本州には・・・ 島としての名称があった。
北海道や伊豆諸島・小笠原諸島は本州を「内地」なんて呼ぶ文化があります。一方、沖縄やその周辺離島では本州を「本土」と呼ぶなど、その呼ばれ方も様々です。しかし、一般的見解では本州も立派な島。まれに英語表記の地図では”Honshu island”という書き方も見かけます。とは言え、いくら島国と言えど、日本人なら「本州=島」と言われてもいまいちピンと来ないかも知れません。
古事記「国産み」神話
そんな本州ですが、本州が本州と呼ばれるはるか前、立派な「島としての名前」があったのはご存知でしょうか。『古事記』(712年)には本州を指して大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)と書かれています。古事記に描かれている「国産み」という神話の中では、イザナギとイザナミの二柱の神が、性交を経て8つの島を産むという。アダルトかつ破天荒な内容であります。その最後、8番目に生まれたのが大倭豊秋津島(本州)とされています。
また、『日本書紀』(720年)には大日本豊秋津洲(おおやまととよあきつしま)と書かれていますが、古代読みで秋津島(あきつしま、あきづしま)と呼ぶのが一般的かと思われます。本州こと秋津島は、国内の人口の80%を擁する、人口密度の高い立派な島なのです。 この強引な解釈に当てはめると、出展や歴史はやや異なるものの、北海道、四国、九州も、「○○島」と呼ぶことが出来ます。
北海道、四国、九州の島名
北海道
北海道は明治時代の律令制を経て北海道と呼ばれるようになりました。100年以上北海道と呼ばれ続けているために、島と捉えることに違和感を覚えそうですが、やはり島です。こちらは日本書紀の斉明天皇四年(658年)阿部臣の遠征が初見だと考えられています。当時、北海道は越渡島、渡島、度島、などと呼ばれていたようです。
しかしその後、平安時代あたりから江戸時代までは蝦夷という呼び方とともに、蝦夷ヶ島、十洲島などとも呼ばれていた歴史があり、こちらの方が一般的だったようです。
四国
こちらは古事記の「国産み」神話にて2番目に生まれたのが、四国こと伊予之二名島(いよのふたなのしま)です。神話内では「胴体が1つで顔が4つある」と説明されています。 そのまま考えるともはや意味不明ですが、顔とは国のことで、伊予国、讃岐国、阿波国、土佐国と4つの顔を持っていたとされています。これらがのちの、愛媛、香川、徳島、高知となりますが、元々四国が四国たる所以はこの「国産み」神話にあったのです。
九州
同じく古事記の「国産み」神話より生まれた島で、4番目に生まれました。筑紫島(つくしのしま)と呼ばれ・・・やはり「胴体が1つで顔が4つある」設定です。
筑紫国、豊国、肥国、熊曽国と4つの顔を持つ点は四国と変わりませんでした。しかしそれぞれ、7世紀末までに分割されます。これは690年頃、中央政府によって行われた国境調査事業によるもので、筑紫国、豊国、肥国は前後に分割され、筑前・筑後、豊前・豊後、肥前・肥後となります。これに九州南部の日向、大隅、薩摩を合わせて9つの国となり、九州と呼ばれるように至りました。ここで触れられていない国がありますね。 熊曽国は九州地方では現在の球磨郡あたりと考えられていますが、九州の地名になることもなく、「国産み」神話だけの登場に終始しています。「熊曽国=日向・大隅・薩摩」とする解釈もありますが、諸説あり、明確な定義づけはされていません。
さてまとめますとこういうことです。
さて、それぞれ由来がありましたが、結局のところ、時代と共にこれらが島という認識は薄れてしまいました。しかし、歴史をたどっていくと、四国や九州も島と呼ばれ、その発端は「国産み」神話、そこから四国や九州の名前の由来まで知ることが出来ました。時代は流れ、その時代時代に合った名称があったのだと伺えます。現在は全国各地に都道府県が敷かれ、市町村が時折合併するなどしています。今後数十年数百年と経てば、今住んでいる町も全く違う名前に変わっているかもしれませんね。
最後はえらく壮大なお話になったうえ、やや論点がズレてしまいましたが、終わり。
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