2日目(11月3日)
朝食が済んで、部屋で一休みしていると突然スマートフォンから警告音が鳴り響きました。
これには妻と2人で本当に焦りました!スマートフォンの画面を見た瞬間、「大津波警報」の文字に、本当に津波警報が発令されたのかと思いました。
しかし落ち着いてよく見ると、「これは訓練です」の文字があり、ホッとしました。後からホテルのスタッフの方に聞くと、今日はたまたま気仙沼市は防災訓練の日だったようです。
スタッフの方のお話しによると、東日本大震災の津波は、このホテルまでは到達せず、幸い大きな被害はなかったとのことです。それでも津波はホテルの600メートル手前まで迫っていたそうです。
前回のツアーの際に、気仙沼大島の語り部さんから、大島が津波の衝撃を和らげたため、その先にある気仙沼の津波被害は小さくなったと聞きました。もし大島がなければ、こちらのホテルも津波の被害にあっていたかもしれない、と思いました。
兎にも角にも、偶然このような貴重な体験ができたことは、津波に対する心構えを養う良い経験になりました。
気仙沼大島大橋
2日目の最初の目的地は、今回のツアーの目的の1つでもある気仙沼と大島を結ぶ「気仙沼大島大橋」です。
前回のツアーで大島の語り部さんから、大橋開通は大島の人たちの悲願と聞いていました。今年4月に開通したばかりの大橋を歩いて渡り、大島の人たちと開通の喜びを分かち合いたいという思いでこの地を訪れました。
大橋へは車で向かいますが、その途中、面白い名前のトンネルを通ります。
こちらのトンネルの名称の由来は、のちほど大島の観光スポット「龍舞崎(たつまいざき)」を紹介する際に書きたいと思います。
ちなみに気仙沼大島大橋は別名「鶴亀大橋」とも呼ぶようです。何とも縁起のよい名称ですが、この別名の由来は気仙沼側の「鶴ヶ浦」、大島側の「亀山」の両岸の景勝地から名付けられたそうです。
大橋には駐車場も両岸にそれぞれ完備しており、この日も観光バスやツーリング中のオートバイなどがたくさん止まっていました。
この大橋は、4月の全面開通までは緊急車両のみが通行できました。全長は297メートル。アーチ橋としては東日本最大の長さだそうです。
気仙沼側の駐車場に車を止め、家族全員で歩いて大橋を渡りました。
橋の上からは、復興が進む気仙沼の街並み、気仙沼港、牡蠣の養殖が盛んなリアス式海岸、大島の亀山が一望でき、海風もとても気持ち良かったです。橋を渡り切った大島側の駐車場には展望台もありました。
これまで40分ほどかけて、フェリーでしか行き来できなかった気仙沼と大島を簡単に往復することができるようになり、特に大島の方たちにとっては大変便利になったと感じました。
大橋開通が大島の方たちの悲願だったということが、昨年はフェリーで、今年は車で実際に大島に渡ってみて、よく分かりました。
気仙沼大島(島内ガイド)
気仙沼大島大橋を通って1年ぶりの大島へ。
車であっという間にフェリー乗り場を通り過ぎ、大橋開通で本当に便利になったとあらためて実感しつつ、ガイドさんと待ち合わせ場所の気仙沼大島観光協会へ向かいます。
ところで、大橋開通でフェリーの運航は廃止されましたが、小型の遊覧船は土日に運行しているようです。フェリーのクルーズは気仙沼の魅力のひとつだったので、なくならなくて本当に良かったです。
気仙沼大島観光協会に着くと、すでにガイドさんが待っていてくれました。1年ぶりの再会で、お互い積もる話をしながらレンタカーで島内をガイドしていただきました。
今回は昨年足を運ぶことのできなかった場所を中心に周りました。
龍舞崎(たつまいざき)
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