【復興支援ツアー2019レポート】被災地の「今」と「魅力」を伝える旅 by cha_chan

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今秋オープンしたての高田松原津波復興記念公園は、「道の駅 高田松原」、「東日本大震災津波伝承館」、「奇跡の一本松」等で構成される、防災メモリアル公園です。

こちらの施設は、宮城県石巻市及び福島県双葉郡浪江町の復興祈念公園と同じく、東日本大震災から10年となる2021年度の完成を目指して整備が進められているところです。

語り部さんとの待ち合わせの時間まで、新しくできた道の駅でお土産を物色(お土産の種類が豊富すぎて、じっくり選んでいる時間がありませんでした・・・)。

お土産を買った後は、本日陸前高田を案内してくださる語り部さんと合流。私たち家族が、小さな子連れということで急きょ箱根山に行くのをやめて、ファミリー向けのツアーにアレンジしてくださいました。

道の駅 高田松原と東日本大震災津波伝承館の間を抜けて、海側に片道20分ほど歩いたところに、奇跡の一本松があります。
道の駅 高田松原と東日本大震災津波伝承館の間を抜けて、海側に片道20分ほど歩いたところに、奇跡の一本松があります。
新しい道の駅。
新しい道の駅。
 みちのく公園と追悼祈念プロジェクト 東北国営公園事務所 - 国営追悼・祈念施設(仮称)
www.thr.mlit.go.jp  

旧気仙中校舎(震災遺構)

まず最初に語り部さんに案内していただいたのは、震災遺構となった旧気仙中校舎です。気仙川の河口に位置するこの3階建ての校舎は、津波により屋上まで完全に浸水してしまいました。

津波は地震から30分で到達。マニュアルでは写真を撮影している三角地点へ避難することになっていましたが、教師の判断で生徒はさらに高台まで避難したおかげで全員無事でした。旧気仙中校舎は必ずしもマニュアル通りに避難しても助かるとは限らないことを伝えるために、震災遺構になったとのことです。

こちらの学校の生徒は全員無事でしたが、気仙沼市では20人の生徒や園児が津波により命を落としています。インフルエンザで学校を休んで自宅にいて津波に飲まれてしまったケース、両親がお迎えに来て、いったん高台に逃げたものの子供が寒いと言って自宅に戻って家族全員が津波に飲まれてしまったケースもあったようです。

東日本大震災では両親が児童を迎えにきた結果、津波被害に合うケースがあったことから、震災以降、陸前高田市では地震発生時のお迎えが禁止になったそうです。

なお、校舎の裏側にはもともと体育館があったようですが、こちらは津波により完全に流失して跡形もありませんでした。

現在こちらの校舎は内部は立ち入り禁止となっていますが、旧道の駅(タピック45)とともに市が改修工事を進め、2021年度を目標に内部を公開することになっています。

<岩手県復興祈念公園>震災遺構の旧気仙中、旧道の駅 内部公開へ | 河北新報オンラインニュース
 <岩手県復興祈念公園>震災遺構の旧気仙中、旧道の駅 内部公開へ | 河北新報オンラインニュース
www.kahoku.co.jp  

奇跡の一本松

次に向かったのが、高田松原の奇跡の一本松と気仙沼の街全体が見下ろせる、ガイドさんおススメの絶景スポットです。

東日本大震災の津波により、約7万本のあった高田松原の松は、1本を残してすべて流失。この一本松は、目の前にある陸前高田ユースホステルによって津波の衝撃が弱まり、何とか生き残ることができました。陸前高田ユースホステルも奇跡の一本松と一緒に震災遺構として残されることとなりました。

陸前高田の復興のシンボルとして、一躍有名になった奇跡の一本松ですが、この松も約1年後に枯死してしまいました。その後、モニュメントとして保存処理をされた状態で、今では陸前高田の最大の観光資源となっています。

ちなみに上記絶景スポットの高台は、街の再建のため、かさ上げ工事のための仮設のベルトコンベアで運ぶ土を削り出された、もともと山だった場所です(現在、高台には新しい幼稚園や公園、住宅などの整備が進められています)。

すでにベルトコンベアは役目を終えて解体されてしまいましたが、このベルトコンベアがあったからこそ、たった1年半で高台移転のための土砂を運び出すことができたのでした。

現在は、上の写真の中央を流れる気仙川の両岸に、復興遺構として保存されているベルトコンベアの2脚の土台だけを見ることができます。

絶景を見下ろし、一句。
絶景を見下ろし、一句。
総理か!と突っ込みが聞こえてきそう・・・。
総理か!と突っ込みが聞こえてきそう・・・。
 奇跡の一本松
www.city.rikuzentakata.iwate.jp  

新市街地

ここで、子供たちの息抜きにと語り部さんが新市街地にある公園に連れて行ってくださいました。公園には大きな遊具や、バスケットボールのコートが完備され、大勢の子供たちで賑わっていました。

これまで、福島、宮城の津波被害で壊滅的な被害を受けた沿岸部を見てきましたが、このように子供たちで賑わっている場所は見たことがありませんでした。子供がいるだけで、その地域全体に活気がある印象になります。

震災から8年半、震災を知らない世代の子供たちも増えていますが、被災地復興の鍵は、子供で賑わう新しい街づくりにあるのではないかと思います。

陸前高田の新市街地は、道路をはじめ、すでに新しい街の整備が進められており、他の被災地よりも復興が早く進んでいるように感じました。さきほど紹介した、仮設ベルトコンベアでかさ上げ工事(全体の1割はまだ工事中)を大幅に短縮できたのが大きかったのだと思います。

ここ陸前高田が、これからの他の被災地の復興の道しるべとなるよう、期待したいです。

大きな遊具で地元の子供たちと一緒に、リフレッシュ!
大きな遊具で地元の子供たちと一緒に、リフレッシュ!
公園にはバスケットボールのコートも完備。
公園にはバスケットボールのコートも完備。
公園周辺はきれいに街並みが整備されていました。
公園周辺はきれいに街並みが整備されていました。
 新市街地3Dイメージ映像
www.city.rikuzentakata.iwate.jp  

陸前高田復興まちづくり情報館

次に案内していただいたのは、2017年に新市街地にオープンした複合商業施設アバッセたかたの南側にある「陸前高田復興まちづくり情報館」という施設です。

この施設には、陸前高田市の震災前からこれまで、そしてこれからを知ることができるパネル展示、中心市街地と復興事業全体のジオラマ、津波によりアメリカに漂着し、地元の方たちの支援で帰還を果たした県立高田高校の実習船かもめの展示がされています。

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