デフィオは障がいの有無や種類に関係なく多様なメンバーが一丸となり一般リーグで本気で戦うインクルーシブ(包括的)型のフットサルチーム。挑戦を志す人であればすべての方を受け入れたい、という想いで活動する。聴こえないからこそできる。不自由だからこそ挑戦できる。監督兼選手として活動する泉さんにチームが目指す熱い思いを語って頂きました。
泉 洋史(いずみ ひろし)
1986年、東京生まれの32歳。東京学芸大学を卒業後、教員をしながらFリーグ所属のフットサルチーム「バルドラール浦安」の下部組織でプロ選手を目指していたが、指導者の道へ。2014年「バルドラール浦安デフィオ」を立ち上げ、監督兼選手に就任。結成1年で、千葉県フットサルリーグ3部に昇格。「挑戦」をコンセプトに、さらに上を目指している。
聴こえないからこそできるプレイ。
――障がい者だけのフットサルチームならありますが、みんなが一丸となり一般リーグで本気で戦うチームは初めて知りました。この活動を始めたきっかけは?
小1から高3まで12年間サッカーをやってきて、18歳からフットサルを始めてプロ選手を目指していました。でも、なれない…と分かった時にフットサルを通して新しいチャレンジをしたいと思いました。もともと特別支援学校の教員を本業にしていたので、フットサルでできることをしたかった。大学では中高の体育教師になる免許は取得できる学部で、漠然と子どもやスポーツに関わる仕事がしたいと思っていましたが、特別支援学校という世界を知って、卒業後にもう一年間東京学芸大学の特別専攻科へ進学して、特別支援学校教員免許を取りました。そこで、聴覚障がいの仲間がいて手話を教えてもらったのが、デフィオに発展したきっかけでした。
――特別支援学校の先生になるには、そういうコースもあるのですね!そこからデフィオ立ち上げまではどのような道のりで?
たくさんの同じ志をもつ人が集まって切磋琢磨する中で、このまま特別支援学校の教員になるか、フットサルのプロを目指すか迷いがありました。その時はプロを目指して家も浦安に引っ越し、卒業後は学校講師をしながらプロになる夢を持ち続けてフットサルに打ち込みました。そこで元ろう者フットサル日本代表を務めた植松隼人(現在コーチ兼選手)と出会い、『手話deフットサル』というイベントでアシスタントをしながら手話を勉強してきました。障がい者の大会はあっても、一般のチームやリーグでの競技は思うように活動できない現状がありました。そもそもデフのリーグがなかったのです。単発の大会はありましたが。そこで植松と「障がい者大会ではなく、一般リーグで新しいチームを起ち上げたいね」と話していて、2014年6月にスタートしました。
――迷いがありつつも出会いもあって活動につながったのですね。聴こえない人と聴こえる人が一緒のチームでやっていくのはコミュニケーションが大変だったのでは?
デフの選手は聴者(健常者)のチームではコミュニケーションが難しく、やめてしまったり、そもそも参加できなかったりという現状がありました。聴こえなくてもしっかりコミュニケーション取りながらやっていけるチームがあれば、できるのに…というニーズがありました。そこにデフィオが誕生して安心して参加してもらえた。ただ競技への意識はメンバー間で差がありましたね。
――どんな違いがありました?
勝つために練習していく姿勢や、負けた時に切り替えていく気持ちです。僕は「聴こえないけどがんばっているでしょ?」的なアピールではなく「聴こえなくてもできる」というポジティブな点を伝えたいです。さらには聴こえないからこそ「見る」ことに特化してチームプレイを高めていける。現状は、うまくいかないとシャットダウンしてしまうこともあります。見なければ、情報は入ってきませんからね。可能性があるのに勿体ないし、対話し一緒に挑戦したい。現在は16名のメンバー。あまり全員揃いませんが常時10名位で活動しています。まだまだ発展途上です。
考えるより行動してみる価値。
――泉さんがサッカーを始められたのはいつ頃で?ごきょうだいはいらっしゃいますか?
僕は4人兄弟の3番目。5歳上の兄、3歳上の兄、僕、4歳下の妹という構成です。上2人の兄がサッカーを始める時に一緒に付いていって自分もやりたい!と。その後、兄2人ともサッカーを辞めて別のことを始めても僕だけサッカーを続けました。一番上の兄は几帳面で美術が得意で美大に進んでから今はイラストレーターに。二番目の兄は行動派で、スポーツが何でも得意で青年海外協力隊を経て研究職をしています。自分は行動派の自由人。妹は美術系の仕事をしています。父は元建設コンサルタント会社に勤めていました。好きなことと仕事がマッチしていたので、自然と皆が仕事は自分が熱意をもってできることを選んでいたように思います。
――いい感じの4人きょうだい構成ですね。サッカーの他に習い事は何かされていました?
近所にあったピアノ教室へ。自分から習いたい!と言って小2から中2まで通いました。僕は考えるより体が動いてしまうような子で、そうだったからこそ次につながったように思います。習い事にしても、親から勧められたことが何もなくて全部自分が好きで決めてきたこと。やってみないとわからないことばかりです。全然すごくないから続けるし、やってみて実績を重ねるしかない。大学時代の先生にも「きみは努力賞を狙うしかない」と言われたのが胸にストンとおちました。考えるよりも行動する子でしたね。
――本業は特別支援学校の先生をされています。学校にはどのような障がいを抱えるお子さんが通われていますか?
主に知的障がい、自閉症の方が通っていて、一人一人様々な実態があります。コミュニケーションでは、言葉を話す方もいれば、サインやジェスチャーをする方もいます。授業では計算や作文をする方もいれば、イラストや写真を通して学ぶ方もいます。いろいろです。1クラス8名定員で現在7名を受け持っています。高等部卒業後は、作業場か、工賃をもらいながら働くための訓練をする場所、企業に障がい者枠で採用してもらう…という大別すると3つあります。障がいがあって支援が必要でも、高校卒業後はすぐ社会へ出ることがほとんどです。もう少し勉強が必要であっても、日本はそうせざるを得ない仕組みになっています。
――現場でないとわからないことって多々あると思います。社会がどんなふうに変わってほしいですか?
知らないということが一番の壁。相手を知らないと怖い気持ちがうまれる。だからフットサルを通じて障がいのある人と触れあえる機会を作れば、知ることで怖くなくなるし社会的価値になる。障がい特性に合わせて対応する点は、大変ですがおもしろい。障がいのある人はスポーツする場が少ないのです。誰もが参加できるチャレンジフットサル教室という場がもっと広く知ってもらえるといいなと思います。
障がいの有無を越えて挑戦したい。
――これまでデフィオの活動を続けてきて、うれしかったことは?
3部に昇格できたこと。最終節に今まで勝てなかった相手に勝った。挑戦し続けることが大事だと実感しました。またフットサル教室の参加者の方に、息子さんが楽しく通えているのは奇跡!と言ってもらえたことです。障がいのある子ども達や、家族に必要としてもらえるのはうれしいです。
――デフィオの活動をもっと関心をもってもらうためにメッセージをお願いします。
デフィオは「挑戦」をテーマに活動しています。挑戦は誰もが楽しめる。挑戦は行動することとつながっています。例えば障がいのある人は、デフィオのようなチームがないからできない、とか、障がいがなくても制限をかけて今はやめておこう、とか。いろんな壁や挑戦の瀬戸際がある。でも、ちょっとやってみれば楽しめる。デフィオが一歩上を目指して挑戦する姿を見せたい。
――2019年が始まりまもなく元号も変わります。今後どのような活動を予定されていますか?
更に障がいの有無種類を越えてメンバーを増やしたい。デフィオならではの個性的なメンバー達が本気で挑戦する姿を見せたいし、共感や発見を広めたい。今は聴覚障がい、知的障がいの人と障害のない人で構成していますが、今後は脳性まひ、精神疾患の人も参加できるようにしたい。そうすることで視野も広められるし、みんなで高みを目指せる。そういう姿をもっと多くの人に見てもらいたいです。そしてチャレンジフットサル教室の参加者を増やしたい。障がいがあっても挑戦する楽しさをフットサルで伝えたい。子どもや家族対象にフットサルを通じていろいろな挑戦ができる機会をもちたいと思います。
――意欲的ですね。では最後に習い事を考える親にアドバイスをお願いします。
迷ったらやってみてほしい。考えていても答えは出ないと思う。行動してみてわかることがあるはずです。やってみて途中でやめてもいいと思う。その経験は絶対にいきるから。無駄なことはひとつもない。そして「その子なり」があるので、いろんなことに触れてみること。体感したことは必ず糧になるはずです。たとえ障がいがあっても「自分なり」を大切にし、挑戦することを楽しんでほしいですね。
編集後記
――ありがとうございました!試合観戦では泉さんをはじめメンバー皆さんの熱血プレイに魅了されました。その真剣さからは誰がどんな障がいの有無があるか?なんて全然わからず。きれいな瞳をキラキラさせてお話ししてくださった泉さんの言葉と包容力は、多くの人を惹きつける力があります。メンバーもスポンサーも募集中!という活動情報を一人でも多くの方に知って頂けますように。引き続き応援したいです!
2018年12月取材・文/マザール あべみちこ
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