今回は3回目の東北への復興支援ツアーです。
実は旅行に行く前日に、知人に震災講話を聞きに行くことを伝えると、こんなことを言われました。
「まだ過去なの?過去を知ったところで何も変わらないよ。」
「困っている人はたくさんいるんだよ。話を聞くのも大事だけど、だったら畑でも耕してきたらいいんじゃない?」
その言葉にはっとしました。
過去を知ることで何か変えられることはないだろうか、とずっと思っていました。現状を知り、周りにいる人たちへ伝えることで何かを得られるんじゃないかと思っていました。
知ることは大事。でも過去にこだわって、ただ知るだけで終わっていては、被災地も自分も前には進めません。
「前に進むために何ができるか?」
ずっとずっと過去にこだわっていた自分を未来へ向けていけるのか?今回の旅のキーワードにもなりました。
旅行前にそんな出会いがあったからか、前回とは一味違った旅になりました。
日程
2018年11月23日(金)~2018年11月25日(日)
参加メンバー
自分:宇宙大好き。妄想癖あります。
妻 :花と猫が大好物。
息子:きのこ大好き幼稚園児。かりんや竹にも夢中。
娘 :プリキュアになりたい4歳児。
1日目(11月23日)
仙台駅に着くと、すぐに駅構内にある駅レンタカーに向かいました。大荷物持ち&子供連れにとって、移動距離が少ないことは、とっても助かります!
駅レンタカーは三連休の初日ということもあり、観光客でものすごい行列でした。もともと10時に出発する予定でしたが、1時間待ちで、11時出発といきなり1時間も押してしまいました。スケジュールを立てる際には要注意です。
まず最初の目的地の女川町方面へ向かいます。女川町には昨年の3月に訪れてから、1年7ヶ月ぶりの再訪です。時間が押していたため車内から町の様子を見ることしか出来ませんでしたが、前回訪れたときよりも、道路や区画整理などが進み、新しい女川町の土台が出来上がりつつあるように感じました。
食事をしていると、兵庫県から来た県立豊岡総合高校の学生さんがミニチュアランドセルをプレゼントしてくれました!鞄の生産が盛んな豊岡の街で、鞄の端切れから手作りで作ってくれたものだそうです。学生さんたちは奉仕活動として、こちらで釜飯の宣伝のお手伝いをしているとのこと。一緒に記念撮影もしていただきました。
食事を終えてすぐに、女川原子力発電所に向かいました。
女川原発を最初の目的場所として選んだ理由は、福島第一原発はご存知のとおり20km圏内は放射線量が高く、人が住める状態ではないのに対して、女川原発は3ヶ月も被災者を受け入れ多くの人を助けたと知り、同じ原発で何が違ったのか知りたかったからです。
女川原子力発電所PR館は女川駅から車で30分程のところにありました。
午後15時過ぎの到着だったためか、私たちの他に入館者はなく貸し切りの状態でした。今回はアテンダントを依頼していたので、館内をずっと案内していただきました。
女川原発は震災時、敷地内の体育館に被災者を受け入れ、最大で364名の方がおよそ3か月間避難生活を送った発電所です。
最初に、なぜ東日本大震災で女川原発は大きな被害を受けなかったのかを映像で見せていただきました。それによると、
1.電気を確保するための備え
2.津波への備え
3.地震への備え
がしっかりしていたため、福島第一原発のような事故にはならなかったそうです。
過去の記録から、津波の高さを想定し、津波が越えてこないよう、敷地を高く作ったそうです。逆に福島第一原発は、コストを優先し想定津波の高さよりも低い場所に敷地を作ってしまいました。その他のことも女川原発は、地震に対して先手先手で備えをしておりました。
「賢者は歴史に学ぶ」
まさにコレだと思いました。過ちを繰り返さないために、過去に学び実践する。このスタンスがあったからこそ、女川原発は福島第一原発とは違って、人々を助けることが出来たのだと思います。
ちなみに、福島第一原発は東電、女川原発は東北電の原発です。過去に何度も大津波に襲われた地域の会社だからこそ、安全を優先できたのではないかと思います。
映像を見た後、館内をアテンダントの方に案内していただきました。
案内中、子供たちが大賑わいしてご迷惑をおかけしてしまいましたが、アテンダントさんは嫌な顔ひとつせず閉館間際まで丁寧に説明してくださいました。
今回案内してくださったアテンダントさんも女川町に住んでいましたが、東日本大震災で被災し、現在は石巻に移られてこちらの施設まで片道1時間かけて車で通われているそうです。
女川原発PRセンターでは地域との交流のため、果樹園「スイートガーデン」で、りんごやかりんの収穫体験をしているようです。スイートガーデンには、なんとニュートンが万有引力を見つけたりんごの木があるとのこと。世界中で接ぎ木されたうちの1本だそうです。
予定より1時間半ほど遅れて女川原発PRセンターを出発し、18時半にホテルパールシティ気仙沼に着きました。2日目からは、ここ気仙沼を巡ります。
1日目は、レンタカーを借りるまでに時間がかかったこと、車に搭載されていたナビが古かったことで、古い道を走ったことで時間が押してしまいました。途中からグーグルナビに切り替えたことで、なんとか1時間半程のロスで辿り着きました。
被災地は道が頻繁に変わるため、また有料道路も使える区間が変わっていることがあるため、グーグルナビなどで最新の道を調べながら走る方がいいと思います。
1日目の夕食はホテルに入っていた、気仙沼料理が食べられる「鼎や(かなえや)」というお店で頂くことにしました。とても繁盛しており、たくさんのお客様で溢れかえっていました。
鼎やさんでは、ラーメンからホルモン焼き、お刺身といろいろなメニューがあり、家族はそれぞれ自分の好きなものを頼んでいました。私は「漁師丼」を頼みました(今回もイクラ大好きな息子に、イクラだけ取られてしまいました)。
ちょうど座っていた席の横にあった衝立を見て、かりん大好きな息子が「あれ?これって、かりんの木だよね?」と食いつきました。妻も「このコブの感じがかりんっぽいよね。」とマニアックな会話に・・・。
息子は料理よりも衝立が気になるようで、店員さんに「この木は何の木ですか?」と質問していました。店員さんも「うーん、何だろうねー。」と首をかしげていました。
そのとき、近くのカウンター席に座っていた常連さんらしきご婦人が「この木はかりんの木じゃないかな。木目とコブの感じがかりんだね。」と教えてくれました。実はこちらのご婦人、気仙沼で建築関係の仕事をしていて一級建築士の資格も持っていらっしゃる、とのこと。
静岡から初めて気仙沼に来たことをお伝えすると、数年前に知り合いに会いに焼津に行ったことがあるとのこと。「気仙沼は海のまちだけど、静岡も魚がおいしいよね。」と食べ物の話で盛り上がりました。
「せっかく気仙沼に来たんだから、美味しいものを食べて行ってね。」と言って、ホルモン焼きとメカジキのステーキをごちそうしてくださいました。
今回の旅の目的もお伝えすると、ご婦人は震災の体験をお話してくださいました。
津波が来た時、ご婦人は建築関係の仕事で市場にいたようです。地震のあと、大津波が来るということで、3F建ての建物の屋上7mのところに逃げたようです。一級建築士だったご婦人は、6mの大津波警報と聞いて、自分のいる建物の屋上が海抜7mということを知っていて、屋上に逃げたということでした。
10分くらいで津波が到達し、ギリギリの高さまで水が迫ってくるのを見たときは、いったんはもうダメだと思ったそうです。
屋上からは引き波で海の底が見えたそうです。また川の水が引いていき、5mくらいの滝のようになったようです。
「人も流されていたけれど、どうすることもできなかった。前も後ろも流された家だらけで、すさまじい光景だった。」とご婦人はおっしゃいました。自然災害だけは誰のせいでもない、どうしようもない、とおっしゃっていました。
仕事の仲間で、道具を取りに行って流された方もいるようです。知り合いの家族にも亡くなった方がいらっしゃるそうです。津波で、車で逃げた人は流され、学校の先生の言うことを聞いて2Fに逃げて子どもが流された学校もあったようです。
津波から身を守るためには、事前に自分の判断で避難するシミュレーションをしておくが大事、と何度もおっしゃっていました。
明日、大島の亀山に登ることをお伝えしたところ、「ぜひ安波山(あんばさん)と大島から、気仙沼の被災状況と、いまの復興状況を見てほしい」と、気仙沼の町を一望できる安波山のことを教えてくださいました。
2日目(11月24日)
2日目は出発時間を1時間ほど早め、8時にホテルを出発しました。昨日ご婦人に教えていただいた安波山は標高239mの山で、駐車場からは15分程度で登れるとのことでした。
航海の安全、大漁を祈願するという由来のあるこの山は、気仙沼の人たちから親しまれているそうです。山頂からは大島も望むことができ、気仙沼の内湾の様子も一望できます。
安波山の山頂から見た気仙沼は、広範囲にわたって復興工事が進められている状態で、茶色い土がむき出しの部分が多かったです。ここから気仙沼を見ると、震災の津波が気仙沼の町全体を飲み込んだことがよく分かります。
現在進行形で復興工事が進められ、日々気仙沼の町並みも変化していくと思います。気仙沼の町の変化を知るには、安波山に登るのがいいと思います。
安波山を下山し、リアスアーク美術館へと向かいました。
開館前に着いてしまいましたが、美術館入口前にも作品があり、楽しむことができました。開館時間になり、館内へ進むと、地下1階に震災の展示がありました。
展示場は被災物などがあり、危ないので子供と手をつないでの観覧になりました。会社の同僚からは、じっくり見ると1日かかると聞いてきたのですが、子供たちが飽きてしまい、なかなかゆっくり見るのは難しかったです。
ひしゃげて半分にねじ切れてしまった車や自転車の一部。写真だけでなく、被災物が実際に展示されており、どれだけ津波の威力が凄まじかったのかが伝わってきました。
写真もたくさん展示されていましたが、子供たちの目を一番引いたのは、明治三陸大津波の被害の様子を描いた絵画でした。波に飲まれる人たちの姿を描いた絵は、写真以上に津波の怖さが伝わってきました。
リアス・アーク美術館を後にし、気仙沼シャークミュージアムへ。
ここでは、子供たちは「シャークゾーン」、私は「震災の記憶ゾーン」へと別れて行動しました。
震災の記憶ゾーンでは、震災発生から気仙沼の復興の様子が映像やパネルで展示されていました。
気仙沼の水産業の生命線とも言える魚市場は、津波で壊滅的な被害を受けました。しかし、わずか3ヶ月で再開させたそうです。海から大きな恩恵を受けてきた市民が一致団結したからこそ、短期間で市場を再開できたようです。
映像の中で、「震災を通じてたくさんの人に助けられた。」「人とのつながりを感じることができた。」「やっぱり絆だと思う。」という言葉を被災者の方々が語られていました。
この映像を見て、女川原発で展示されていた小学生の言葉とつながりました。
「私たちは失ったわけではない。」
震災は失うばかりではなく、日常ではなかなか気づけない、感謝の気持ち、人とのつながりの大切さという当たり前のことを気づかせてくれたのだと思います。
「震災の記憶ゾーン」を一通り回り、まだ少しだけ時間があったので「シャークゾーン」も観ることにしました。
シャークゾーンでは資料だけでなく、映像やサメの歯の実物が展示されており、小さい子でもとても分かりやすい展示の工夫がされていました。
シャーク・ミュージアムの次は海の市で昼食です。こちらでは息子は、旅の前から楽しみにしていた念願のイクラ丼を食べました!私はフカヒレを食べたかったので、フカヒレまんをいただきました!
昼食後は海の市から気仙沼ターミナルへ向かいます。
ターミナルへ向かう途中、かさ上げ工事中の現場を通りました。
気仙沼ターミナルは、海の市から車で5分程のところにありました。
切符売り場ではお菓子のかっぱえびせんが山のように売られているのを見つけました。不思議に思って調べてみると、フェリー乗船中にカモメに餌付けできるということでした。
無料の駐車場に駐車し、いざ乗船!!
外で海風に当たるのは寒いかなと思ったのですが(朝は雪がちらついていました)、日差しが温かく、風の冷たさはそんなに気になりませんでした。
船がとまっている間はいなかったカモメ(ウミネコ?)たちは船が動き出すと集まってきて、船を追いかけてきました。かっぱえびせんを宙に放ると上手にキャッチするカモメもいました。手からかっぱえびせんをくわえて持っていくカモメもいました。
カモメとの触れ合いのおかげで20分という乗船時間はとても楽しい時間になりました。子供たちも飽きることなく楽しんでいました。
大島につき、ガイドさんと合流すると、ガイドさんの車で亀山へ向かいました。大島は周囲22kmという小さな島です。
亀山は気仙沼大島最高峰で標高235mあります。山頂へ向かう道の途中で、枯れた木や黒くすすがかった木がたくさんあることを教えてくれました。
東日本大震災の時、重油タンクが津波に流され、油が流出、瓦礫に引火、炎上。その炎上したガレキが気仙沼大島に流れ着き、燃え広がったそうです。そして、その火は亀山の頂上近くにまで到達したそうです。
津波と火事。
「大島はもう終わりだ。」
誰もが思ったそうです。それでも多くの人たちが大島を守ろうと立ち上がり、力を合わせて消火活動に臨みました。中には中学生もいたそうです。鎮火には4日かかりました。
そんな話を聞いた後で、ガイドさんは言いました。
「津波があったから皆で団結できた。」
ガイドさんの言葉には、自然災害にも負けない人間の強さを感じました。
ガイドさんは、色々な方から支援をいただいたけれど、何より心に残っているのは、米軍の海兵隊の方々の協力だった、とおっしゃっていました。瓦礫の撤去、砂浜清掃、食料支援、なんでも泥まみれになってやってくれたのが海兵隊の方たちだったそうです。別れの際は、島民みんなが行かないでほしいと言ったそうです。
亀山でのガイドが終わり、島を一周ガイドさんの車で案内してくださいました。その中で、四方を海に囲まれ「緑の真珠」と言われる大島の四季折々の魅力を教えてくださいました。
「食べ物」
・夏のウニ
・秋のさんま、まつたけ
・冬のあわび、ゆず
・晩秋から晩春にかけての牡蠣
「花」
・春の桜
・梅雨のあじさい
・冬のつばき
「行楽」
・春のお花見
・夏の海水浴
・秋の紅葉
・冬の星空と夜景
「景色」
・四季折々の美しい自然の風景
特にお子さんのいらっしゃるご家族は、海水浴ができる夏の時期がおすすめと教えてくださいました。
今回は時間の関係で行くことができませんでしたが、また大島に来る機会があれば、歩くと「キュッキュッ。クックッ。」(9+9=18)と音が鳴る十八鳴浜(くぐなりはま)に行ってみたいと思います。またゆっくりと数日かけて、島内を散策してみたいです。
ちなみに、きのこ大好きな息子は、「まつたけの秋にまた来るね!」とガイドさんと約束をしておりました(笑)
最後に、ガイドさんが自宅で取れたゆずをプレゼントしてくださり、またまた息子が大喜びしておりました!
早速、星空三歩ツアーに申し込み参加することにしました。
本日2度目の亀山登山ですが、この日は満月で月が綺麗でした。星空もとても素敵でしたが、それ以上に気仙沼の夜景が本当に綺麗でした。
ガイドさん曰く、この気仙沼の夜景は震災前はもっと光が見えて綺麗だったとのことです。気仙沼の復興が進むにつれて、亀山から見る夜景も日々変化していきます。この美しい夜景を見るためだけでも、大島を訪れる価値は十分あると思います。
残念ながら写真は上手に撮れませんでしたが、大島に行く機会があればぜひ亀山からの気仙沼の夜景を見てもらいたいと思います。
3日目(11月25日)
早いもので、この旅も最終日を迎えました。今日も朝から3度目の亀山登山です!
朝食後は、亀山ツアーまでの時間、休暇村の外を少しお散歩です。
休暇村のレストランからすぐ下に田中浜が見えます。休暇村から歩いて5分ほどで行けるようなので、子供たちを砂浜に連れて行くことにしました。
せっかく砂浜まで下りて来たので、大津波が来た想定のもと、家族で避難訓練を行いました。
田中浜から休暇村に戻ると、すぐに亀山ツアーのバスに乗り込みました。
3度目の登山ということで、山頂への道のりは子供たちも覚えてしまい、山頂まで走って登っていました(笑)
山頂では、気仙沼の青い海と美しいリアス式海岸を一望することができました。360度、水平線を見渡すことができ、とても写真では伝えきれないほどの感動的な美しい風景が広がっていました。
以前は山頂が木々に囲まれており、これほどの景色は見ることができなかったようです。震災による火災で、亀山の頂上付近まで木が燃えあがり、視界を遮るものが無くなったため、この風景が見られるようになりました。
この感動は気仙沼大島でしか味わうことができません。ぜひ、大島の亀山の頂上から、気仙沼の海を見てください。
ただ、今のところ大島にはタクシーがないそうです。来年になれば、気仙沼大橋が開通するので、マイカーやレンタカーでも亀山に行けるようになるかもしれません。
亀山ツアーが終わり、そのままフェリー乗り場に送っていただきました。
気仙沼を後にし、最後の目的地の南三陸町までは1時間ほどの道を車で走ります。途中、三陸自動車道の工事で道が変わっていたため、終始グーグルナビの案内で南三陸を目指しました。
南三陸町に着くと、かさ上げ工事で整備され、町の土台が少しずつ出来上がりつつあるように感じましたが、復興までには、まだまだ時間がかかるように感じました。
南三陸さんさん商店街を後に、仙台駅に向かいます。
実はここで、一波乱が・・・。なんとその日は、宮城駅周辺で「クイーンズ駅伝2018」が開催されていたのです。駅の近くまで来たものの、駅周辺の道がほとんど封鎖されており、そこから駅に近づくことができず、車も渋滞して身動きが取れなくなってしまいました。
新幹線の出発時間が刻一刻と迫るなか、ギリギリで封鎖が解除され、急いでレンタカーを返却し何とか新幹線の時刻に間に合いました。
事前にしっかりと情報収集しておくべきだったと、今回の旅の大きな反省点となりました。
ツアーを通して感じたこと・学んだこと
今回のツアーはレンタカーを借りるまでに1時間かかったり、帰りはクイーンズ駅伝が仙台駅周辺で行われており、なかなか駅に辿り着けず、帰りの新幹線に乗れるのかヒヤヒヤしながらの旅でした。
気仙沼をメインに回りましたが、
「海と共に生きる町」
という言葉どおり、海と共存している気仙沼の姿を感じることができました。気仙沼の人たちは震災の津波も受け入れているような印象を受けました。
自然災害は誰のせいでもない、自分の命は自分で守る。気仙沼には、とても自立した考えを持った方たちが多いように思います。
あんな大きな地震や津波、火災があったにもかかわらず、
「何もなくても、生活できることが分かったからよかった」
「火災で焼けてしまったけど、手入れできない山がキレイになって、素晴らしい景色が見られるようになった」
「自分たちが住んでいる大島が津波の衝撃を和らげて、気仙沼の被害が小さくなってよかった」
東日本大震災をプラスに受け止める人たちに、7年という短い時間で前に歩き出している強い姿を見ることができました。
心の復興が進んでいる気仙沼は、どこよりも早く復興が進んでいくように感じました。
ツアー費用
~交通費~
・新幹線 83,040円
掛川駅 ⇄ 仙台駅
@30,320円×2人=60,640円(大人)
@11,200円×2人=22,400円(子供)※割引なし
※レール&レンタカー使用のため、乗車券20%、特急券10%が割引となる
※大人1名が掛川駅~三島駅の定期券を持っているが、使わない方が割引が効き安い
※子どもは掛川~東京の料金支払いがないため、掛川~東京の割引はつけられない
※子どもが東京~仙台のみ割引を適用すると、大人も東京~仙台のみの割引となり割高になるため、子どもは割引をつけない方が得
・レンタカー 25,730円
ガソリン 3,081円
―――――――――――
合計 28,811円
・高速代 1,520円
休日料金: 440円(三陸自動車道:利府中IC※→三陸自動車道:成瀬奥松島IC)
平日料金: 1,080円(三陸自動車道:成瀬奥松島IC→仙台東部道路:仙台東IC)
※グーグルの検索では仙台東ICだったが、カーナビが利府中ICのルートを案内した
・フェリー代
気仙沼港フェリーターミナル⇄大島汽船ターミナル
@410円(大人)×2人×2回=1,640円
※子供料金はかからなかった
~宿泊費~
・1日目 ホテルパールシティ気仙沼(朝食付)15,926円※
・2日目 休暇村(夕食・朝食付)25,800円
※子どもの食事代を無料にしていただいた
~食事代~
・1日目昼食 3,662円
・1日目夕食 3,948円
・2日目昼食 3,299円
・3日目昼食 1,893円
――――――――――
12,802円
~その他~
・気仙沼大島観光協会「震災・防災講話」 5,000円
・リアス・アーク美術館 @500円(大人)×2人=1,000円
・気仙沼シャークミュージアム @500円(大人)×2人=1,000円
・お土産等 20,000円
――――
■合計
――――
交通費 115,011円
宿泊費 41,726円
食事代 12,802円
その他 27,000円
―――――――――
196,539円
最終更新: