1922年12月15日、戦後のプロ野球を支えたスーパースター、大下弘が誕生
ニックネームは「ポンちゃん」。理由はぽんぽんホームランを打つから。彼の打球はまるで虹を描くように空を駆けてスタンドまで飛んで行った。豪打というイメージからはほど遠い、柔らかなフォームとマスクが持ち味で、こどもからも女性からもよくモテたそうだ。
青バットの大下弘といえば、赤バットの川上哲治、物干し竿の藤村富美男をしのぐ最高のスター選手だった。
往年のプロ野球名監督の三原脩は王、大下、川上、中西、長嶋の中から1人を選ぶとしたら大下であると明言していたという。
残念ながらポンちゃんのホームランを実際に見たことはない。撓うような柔らかな打撃フォームは、いまや画面に雪降る昔の動画の中にしかない。でも、見てみたかったものだと心底思う。
日本プロ野球で3度の三冠王に輝いた落合博満は、真のホームランバッターは田淵幸一と秋山幸二の2人だけで、王貞治も自分もそうではないと語った。たしかにそうだ。田淵のホームランは打った瞬間に分かった。分かってから打球がスタンドに届くまでたいへん滞空時間の長いホームランだった。打球を見上げる観客は「あぁ」と口を開いて打球が描くアーチに見惚れたものだ。
もしもポンちゃんの打球を見ていたら、たぶん落合だって真のホームランバッターの1人に加えていたに違いない。
私生活でも豪放かつ繊細な人柄を物語るエピソードが数多い。スポットライトが似合う華やかさとペーソスを共に背負い込んだ、いかにも昭和らしいスターだった。
これからの時代、こんなタイプのスターが再び登場することはあるだろうか。
歴史の中の12月15日
▼1872年 「皇紀」が制定される。
戦前の日本で使用されていた「神武天皇即位紀元」が制定される。皇紀とは呼ばず単に紀元という言い方で普及していた。たとえば昭和15年、西暦1940年は紀元二千六百年で、海軍の戦闘機「零戦」の零は紀元の末尾の「0」を示している。
制定されたのは明治時代に入ってからのことだった。(明治5年)
▼1937年 「人民戦線事件」治安維持法で知識人らが逮捕される
共産主義政党による国際組織コミンテルンが呼び掛けた反ファシズム統一戦線に呼応して日本で人民戦線を結成しようとしたとして、左派知識人などが大量検挙された事件。12月15日の第一次検挙では加藤勘十、黒田寿男の2人の衆議院議員に加え、山川均、荒畑寒村、向坂逸郎、鈴木茂三郎らが、翌年2月1日の第二次検挙では大内兵衛、美濃部亮吉、江田三郎などの著名人が検挙された。
起訴理由は「治安維持法違反」であった。
▼1939年 映画「風と共に去りぬ」が初演
マーガレット・ミッチェル原作「風と共に去りぬ」の大ヒットを受けて、小説の初版から3年半にして映画が完成。
公開は物語の舞台となったアトランタから始まった。ヴィヴィアン・リー、クラーク・ゲーブルらの演技も圧巻だったが、この時代にカラー映画(しかも3時間42分もの長編大作。映画の上映中に休憩が入る)をつくったことには驚きを禁じ得ない。
太平洋戦争初期、シンガポールなどの占領地でこの映画を観た日本人は「こんな映画をつくる国と戦争しても勝てない」と語ったというエピソードもある。
▼1945年 国家神道が廃止される
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の神道指令で、「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止」が行われた。これにより神道は国家から分離され、信教の自由に基づく宗教として歩み始める。
▼1948年 岳南鉄道が設立される
▼1970年 ナムヨン(南営)号沈没事件
韓国の定期旅客船ナムヨン(南営)号が、済州島から釜山に向かう途中で沈没した海難事件。定員以上の乗客、最大積載量をはるかに超える過積載状態で転覆。近海で操業していた日本漁船が数人を救助したものの、300人以上の死者を出す惨事となった。
▼1994年 古都京都の文化財が世界遺産に登録される
清水寺、仁和寺、平等院、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、龍安寺、西本願寺、二条城など京都市、宇治市、大津市(滋賀県)の17の寺社で構成される。
▼2009年 ボーイング787が初飛行
ANA(全日本空輸)をローンチカスタマーに、また東レ製の炭素繊維を大量に使用したほか、翼や胴体部分の製造にも三菱重工業、川崎重工業、富士重工業が国際共同事業として参加している。
▼2010年 絶滅したと考えられていた「クニマス」が再発見される
田沢湖だけに生息した固有種で、田沢湖では1940年に絶滅したと考えれていたが、富士五湖の西湖で現存の個体が発見された。再発見は魚類研究者でイラストレーター、タレントのさかなクンによるところが大きい。
この日が誕生日
◆37年 ローマ皇帝ネロ
暴君として有名なローマの5代皇帝ネロが生まれた。
◆1841年 田中正造
現在の栃木県佐野市に生まれた政治家。足尾銅山鉱毒事件で反対運動をリードし、衆議院議員を辞職した後に明治天皇への直訴を行った。
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◆1918年 いわさきちひろ
◆1922年 大下弘
神戸・三宮出身の野球選手。青バットの大下として終戦後のプロ野球黎明期を支えたスター選手だった。私生活でも多くの伝説を有するが、引退後は少年野球の指導に力を尽くした。
◆1931年 谷川俊太郎
東京に生まれ育った詩人、訳詩家、絵本作家。「二十億光年の孤独」「マザー・グースのうた」「よしなしうた」
この日亡くなった人たち
・1854年 カメハメハ3世
ハワイ王国の第3代王。ハワイ語の憲法を制定した。
・1944年 グレン・ミラー
アメリカのジャズミュージシャン。第二次世界大戦の勃発を受けて1942年に陸軍航空隊に入隊し、各地で慰問演奏を行う。この日、イギリスからフランスに向かった専用機が英仏海峡で消息を絶った。
・1963年 力道山
大相撲力士出身のプロレスラー。テレビ放送で絶大な人気を誇った。ナイトクラブでの喧嘩で負った傷が元で死亡した。
・1966年 ウォルト・ディズニー
シカゴ生まれのアニメーター、プロデューサー、映画監督、実業家。3色テクニカラーによる初のカラーアニメ映画「花と木」「三匹の子ぶた」など多くのアニメ映画を制作した。さらに1955年にはディズニーランドもオープンする。65才での死は早すぎた。強いんは肺ガンとされる。
・1975年 井上成美
海軍次官、海軍大将として終戦に当たった提督。
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