【うっとり♡】サン・ファン号のライトアップは大晦日まで。お見逃しなく

yumenoshippo01

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石巻市渡波(わたのは)の入江に、いまぞ太平洋へ出航せん! って感じで佇むサン・ファン・バウティスタ号。年末恒例、ロマンチックなライトアップは大晦日、12月31日までですよ~♡

今回ご紹介する写真は昨年2014年12月30日に撮影したものです。ライトアップが行なわれるのは、日没(16時30分頃)から20時まで。この点灯するまでの間の待ち時間がね、またいいんですよ。日が暮れて、あたりはどんどん冷え込んで来て、手持ちぶたさに園内を歩いたりもするんだけど、だんだんカメラを持った人たちが増えて来て、ナイスなポイントを確保せねばとか、ちょっとだけ焦ったりして、その一方ではチャンと点灯してくれるのかななんて不安になったりもしながら、そしてその時がやってくる。

点灯の瞬間は、ものすご〜〜く感激です。

こんなにステキなイルミネーションなんだから、サン・ファン号が目の前に見える場所にレストランでも作って、ワイングラスを傾けたり、スペイン料理を楽しんだりできたらいいのにって思わずにいられません。

きっと国内の人たちだけじゃなくて、インバウンドで海外からやってくる観光客にとっても、最高にステキなスポットになると思うのですが。

さりとて、ここは石巻駅から車で30分弱ほど離れた場所。観光誘致に難点があるのは分かるけど、さればなおのこと! 駅から送迎バスを出して、バスの中でサン・ファン号の歴史や魅力についてのビデオを流すなり、サン・ファン号に関するイベントやるなりして盛り上げつつ、現地でイルミネーションを見ながら食事。なにもスペイン料理じゃなくてもいい。ご近所の「はまぐり堂」のケータリングと、焼き牡蠣&焼きホタテでもあればもう最高!

なあんて思っちゃう訳ですけどね。

嘆願運動でも始めたいくらいです。でもその前に、ライトアップされたサン・ファン号の美しさ、ぜひ見に来て下さいね。

サン・ファン号の歴史についてちょっとだけ

サン・ファン・バウティスタ号(サン・ファン号)は、いまから約400年前、伊達政宗の命を受けて建造された西洋船。太平洋を渡りメキシコ(当時の名称はヌエバ・エスパーニャ)へ、さらにスペイン船に乗って大西洋も横断し、ローマ法王にも謁見したというとんでもない大冒険を果たした船。正使として乗り込んだ支倉常長らの一行は、たぶん日本で初めて地球を半周する大冒険のヒーローなのです。

ヌエバ・エスパーニャって、要するに「新・スペイン」ってこと。メキシコだけじゃなく、現在の米国テキサスの一部やニューメキシコはおろか、カリフォルニアからカナダのバンクーバーあたり、南はパナマの先まで、新・スペイン領だったというからびっくりポンです。それどころか、南蛮貿易で日本にやって来ていた外国船のうち、スペイン船の多くはフィリピン経由でしたが、フィリピンやマリアナ諸島まで新・スペインの領内だったのだとか。

サン・ファン号建造はそんな経緯が背景にあった上でのことなのです。1609年、前フィリピン総督ドン・ロドリゴの一行が新・スペイン(メキシコ)への帰路に台風で船が壊れちゃったことがきっかけで、徳川家康から特別に許可を受けた伊達政宗が、新造船の建造とヨーロッパへと使節団を送り出すことになった、と正史は伝えていますが果たしてそんな単純な話だったのかどうか。野心家の伊達正宗の心中にどんな未来戦略があったのか、いまでは想像することしかできませんが…。いずれにしろサン・ファン号建造は、たぶん、歴史好きな人にはたまらないエピソードに違いないでしょう。

それだけではありません。サン・ファン号は巨大津波とも深い関わりがあったのです。

2011年3月11日、東日本大震災が発生。それに伴い発生した津波で、宮城県円が部は大きな被害を受けました。

それからちょうど400年前の1611年(慶長16年)にも、慶長大津波という大きな災害がありました。そしてその甚大な被害からわずか2年後に、使節船サン・ファン・バウティスタ号は石巻の月浦を出帆したのです。

サン・ファン・バウティスタ号の造船も、まさに仙台藩に新しい扉を開いたきっかけでした。造船は仙台藩に最新の知識がもたらされる機会となったほか、工事によってモノや人の流れ、つまり経済が発生し、被災地の沿岸部に賑わいが生まれたことが想像できます。

当時、使節船サン・ファン・バウティスタ号の建造に関わった人々にも、ふるさとの復興に向けた熱い思いがあったのではないか――

「伊達の黒船をつくった人々 | 慶長遣欧使節出帆400年記念事業 平成27年宮城県慶長遣欧使節船ミュージアム企画展」のフライヤーより

激甚な被害を被ったからこそ、これまで日本で作ったこともないような西洋式の巨船を建造することで、被災した地元を奮い立たせよう――。

こんな発想ができるところ、やはり伊達政宗はスケールが違うとあらためて思うばかりです。そして、その命によってサン・ファン号を造った人々も、それまで西洋船など造ったことはおろか、見たことすらほとんどなかったかもしれないのです。石巻市の雄勝エリアには何カ所か、サン・ファン号建造の地と伝来されている場所が何カ所かありますが、400年経ったいまも、「サン・ファン号を造ったのはうちの浜だ」と主張し合えるほどの誇りが受け継がれているのです。これが東北の強さだと思うのです。

美しさ、そして400年前のロマンを感じさせる大航海、さらに震災に負けないこころをつなぐ場所。サン・ファン号には日本中の人たちに来てほしい。たくさんの海外からの人たちにも来てほしいと思うのです。

サン・ファン号を見下ろす公園内にはこんなステキな鐘も!
サン・ファン号を見下ろす公園内にはこんなステキな鐘も!
離れてみるのもなかなかなもの!
離れてみるのもなかなかなもの!
 宮城県慶長使節船ミュージアム(愛称:サン・ファン館)
www.santjuan.or.jp  
 伊達の黒船をつくった人々 | 慶長遣欧使節出帆400年記念事業 平成27年宮城県慶長遣欧使節船ミュージアム企画展
www.santjuan.or.jp  

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