海辺の地をゆく「石巻市・佐須浜」2013年2月1日

iRyota25

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2013年2月1日(694日目)の石巻市渡波漁港・佐須浜

今回はこれまでで初めて、地元に詳しい方に海辺の地を案内していただきました。

案内人は竹内久古さん、古里裕美さんのお二人。訪ねた場所は石巻市佐須浜。万石浦の入り口に当たる渡波港の西側に位置する海辺の集落です。上の写真の場所は「渡波港佐須浜防波堤」のほぼ先端。赤い灯台が海に倒れています。 [マップ]

右が竹内久古さん(通称「サコさん」)、左は古里裕美さん(通称「マッハさん」)。お二人はNPO法人「On The Road」のボランティアスタッフとして石巻に入り、団体を離れた後も個人としてそのまま石巻に住みついて活動しています。

「私たちみたいに住みついた人って、けっこう多いんです。ボランティアから足を洗う、なんて言うんですよ」(サコさん)

「こっちで生活するようになってからも、地元の人たちからいまだにボランティアさんと呼ばれることも多いんですが、『いえ、もうボランティアはやめました』みたいに話すんです」(マッハさん)

石巻に住みつくきっかけとなった『思い出の地』の紹介をお願いしたところ、案内されたのがここ。サコさんが指さしているのが灯台のあった防波堤です。

位置関係が分かりやすいように、すぐ近くにある宮城県慶長使節船ミュージアム(愛称:サン・ファン館)の高台から見た佐須方面の写真をご覧ください。(写真は2012年11月23日に撮影したものです)

手前は仙台藩士支倉常長ら慶長遣欧使節一行を乗せて太平洋を渡った木造帆船「サン・ファン・バウティスタ」の復元船です。

大型のクレーン船の向こう、一番遠くに細くカギ型に見えるのが渡波港佐須浜防波堤です。

写真を拡大すると、かろうじて防波堤の角に赤い灯台のようなものが見えます。でも、去年の写真なのになぜなんでしょう?

この場所は、仮設住宅で知り合った漁師さんに釣りを教えてもらったり、夕日を眺めにやってきたりした思い出の場所。そんな地元での経験が積み重なって、石巻に暮らすようになったのだそうです。

「釣りって言っても、お世話になってる漁師のおじさんの須田さんがポイントに投げてくれて、誘いをかけるのも須田さんで、魚が掛かってから竿を渡されるって感じなんで、うちらが釣ってるかっていうと微妙なんですけどね」(マッハさん)

なんて話しながら防波堤を歩いていると、先端近くで第一釣り人発見。

「寒いし潮も悪いから、今日はもう退散しようと思ってたところです」(釣り人さん)

休日ともなると須佐の堤防は多くの釣り人でにぎわう場所。おすすめは、「3月以降のカレイですね。この辺はけっこういいイシガレイが釣れるんですよ」と教えてくれました。

サコさん・マッハさんコンビの釣りは、アジのサビキ釣りが中心とか。それでも仕掛けにメバルが掛かったり、隣で釣ってる人がアイナメをゲットしたり、けっこう楽しんでいるみたいです。「ここはワタリガニも獲れるんですよ」(サコさん)。もちろん、「釣れた魚はがぶりんちょ」(マッハさん)なんだとか。

魚が釣れたら漁師さんの仮設住宅に直行すると聞いたので、釣りの手ほどきから料理まで、漁師さんにお世話になっているのかと思いきや、サコさんが包丁を振るうこともあるのだとか。失礼しました。

防波堤の先端です。この灯台が倒れたのは、去年の12月7日に発生した震度5弱の地震の時だったそうです。

海上保安庁の資料によると、東日本大震災の津波では、元々あった昭和6年につくられた高さ9メートルの灯台が倒壊してしまったようです。その年の夏には仮の灯台が設置されていましたが、それも余震で防波堤ごと倒れてしまったのです。

「私たちの釣りポイントだったのにね」(サコさん)

「でもこいつ、倒れた後も夜になると海の中で光ってるって話なんですよ」(マッハさん)

現在では倒壊した防波堤の手前に、小さな小さな仮設の灯台が設置されています。

赤い灯台そばに散乱した消波ブロックの向こうを漁船が走っていきます。佐須浜防波堤の向かい側の長浜防波堤では、堤防の修復工事が進んでいるようです。外海に面している方が優先なのでしょう。

タイヤが嵌ってしまった消波ブロックもありました。引っ張り出すのも大変そう。

あたりを見渡すと、消波ブロックにはたくさんのゴミやがれきが引っかかっています。ブロックそのものも崩れたり傾いたりしています。

防波堤の内側、浜の船曳場では新造船を海に出す作業が行われていました。港が大きな被害を受けた近隣の浜の船も集まってくる佐須浜ですが、後で聞いたところ、この船は佐須浜の人が新たにつくったものという話でした。

壊れたまま手つかずの消波ブロックの護岸。余震で崩壊していく防波堤。そんな中でも進んでいく漁業復活への動き。

石巻の浜では、止まった時間と動き出した時間が交錯しています。そんな時間を生きる人たちのそばで、元気に励ましの声をかけ続けているのが、サコさんやマッハさんのような人たちなのです。

サコさんは言います。「どんなに笑顔でいても、2011年3月11日があって、そこから日常が刻まれているってこと。そのことは心に留めていないと」。

写真家として石巻で活動しているマッハさんは、「少し前までは、ふつうに馴染んで、ふつうにここで生活するってことに意義があるように感じていた。でもいまは違う感情がある」と言います。

“ 被災地 ”に流れる時間の中、ともに生活しながら、彼女たちの中にもたくさんの変化が生じているようです。

防波堤を歩きながら、「どうしてこの町に移り住む決意をしたか」という問いには、最後まで明確に答えてもらうことはできませんでした。途中まで話したところで、「でもね」とか「うまく言えない」とか「わかんない」となってしまうのです。

しかし、それがかえって彼女たちの誠実さなのだと思います。答えは簡単に出せるものではないのです。

復活に向けて大きな変化の中にある町。そこで暮らす人たちの心の変化に寄り添えるのは、自問したり、悩んだりしながら、それでも明るく元気に動き回れる心なのだと感じました。

今回、佐須浜を案内してくれた古里裕美(マッハ)さんの写真展が開催されています。

古里裕美展「ヒカリトカゲ」期間:2013年2月7日(木)〜2月14日(木)

時間:10:00〜18:00場所:巻.com事務局

宮城県石巻市中央2丁目8-2 ホシノボックスピア1F  [マップ]

お近くの方、ぜひご覧ください!

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●TEXT+PHOTO:井上良太(株式会社ジェーピーツーワン)

最終更新:

コメント(1

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  • H

    habihabi64

    海がキラキラきれいです。
    お二人がボランティアから住もうと決めたお気持ちを、そこにはいないのですが、私なりに考えてみたいと思います。