静岡県の函南町にある柏谷公園は、園内に国指定の史跡があるちょっと珍しい公園です。
史跡の名は「柏谷横穴群」。読んで字のごとく、丘陵の斜面に無数の横穴が掘られた遺跡です。実はこの穴、6世紀末から8世紀末までに造られたお墓なのです。自宅の近くにあるということもあって、先月下旬に行ってきました。今日は国指定の貴重な遺跡もある函南町の柏谷公園をご紹介します。
柏谷公園には普通車140台、大型車5台を停めることができる広い駐車場があります。自宅を出発して公園の東側にある駐車場にバイクを停めると、いざ、園内へ!
なかに入ると幅3、4メートルほどの水の流れがあります。考えていた以上に広くて開放的な公園に心地良さを覚えます。
もちろん、まず最初に目指すのは横穴墓です!公園北側奥にある丘陵地に小さな横穴が見えます。
柏谷横穴群は東西600メートル、南北250メートルにもわたる県内最大規模の横穴墓群で、いくつかの支群に分かれています。別名、「柏谷百穴」と呼ばれていますが、実際には300基以上のお墓があります。
穴のあいている丘に近づいてみると・・・
高さ約20メートルほどの丘の斜面が階段状になっており、各段に横穴墓が並ぶように造られています。お墓の大きさはひとつひとつ異なるものの、入口が1~3メートル四方ほどのものが多いです。
横穴墓の周りに石のようにあるのはモルタルです。お墓がある地質は約6万年前に箱根火山が噴火した際の軽石を主体としたもので、もろくなっており保存のために補強されています。
はじめ、お墓に立ち入っていいものだろかと迷っていたのですが、子どもたちが元気よく駆けずり回って遊んでいるのを見て、私も足を踏み入れてみました。
少しドキドキしながら横穴墓をのぞいてみます。中の奥行きはお墓によって異なりますが、2~4メートルほどです。
現地に設置されていた説明板によると、お墓は玄室と墓前域に分かれるそうです。穴が掘られている部分が玄室で遺骸が納められていました。横穴群が使用されていた最後の頃は火葬骨も納められているお墓もあったとのことです。
横穴墓には指導者的立場であった人が埋葬されたと推定されており、玄室から馬具や武具、装身具などの副葬品も出土しています。
玄室の入り口は「閉塞石」と呼ばれる石で塞がれています。この石の壁で死後の世界と現世を分けへだてていたそうです。
一部の横穴墓では閉塞石を見ることができます。写真の122号と呼ばれているお墓もその一つです。写真中央に石が積まれているのがわかります。
閉塞石を隔てて玄室の前に当たる部分にあるのが、墓前域(※前庭部ともいいます)です。ここでは、亡くなった人の霊を慰める供養祭のようなことが行われていたと考えられており、たくさんの土器が出土しています。
柏谷横穴群ではまだ発掘されていないもの、保存のために発掘後、再び埋められたお墓もあります。
写真の横穴群は柏谷公園の北東端に位置するものです。モルタルによる補強があまりされていないので、本来の姿により近い横穴墓を見ることができました。
横穴墓群を見学した後、公園内にある復元家屋を見て周りました。
復元家屋は柏谷公園に実在したものではありませんが、昔の人々の生活を知ることを目的として造られたものです。写真は復元家屋のひとつである「竪穴住居」です。地面を数十センチ掘下げて床の部分を地表面より低くした半地下式の住居で、縄文時代から古墳時代までよく使用されていた。と、むかし学校で習った覚えがあります(笑)
こちらは同じく復元家屋の高床倉庫です。ご存知の方も多いかと思いますが、湿気やネズミによる害を防ぐために地面に立てられた柱の上に倉庫を作ったものです。歴史の授業で習ったネズミ返しが柱や階段の上部に取り付けられているのが見て取れます。
復元家屋は、学校で竪穴住居などの歴史の勉強をされている生徒さんにとっては、とても良い教材になりそうです。ちなみに私が学校で習った時は、竪穴式住居、高床式倉庫などと「式」をつけた名称で教わったのですが、どうやら今は「式」を取り除くのが一般的のようです。
高床倉庫を見終わると、古代の人の暮らしに思いを巡らせながら柏谷公園を後にしました。
お墓と聞くと、少しおどろおどろしいイメージもあるかもしれませんが、柏谷横穴群は近所の子供の遊び場にもなっている明るい雰囲気の史跡です。公園には広い芝生や遊具などもあり、小さなお子さんがいるファミリーに特にオススメです。晴れた休日あたり、ご家族で柏谷公園に行かれると楽しいひとときを過ごすことができると思いますよ☆
柏谷公園
参考WEBサイト
Text & Photo:sKenji
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