その池は新幹線の三島駅から歩いて5分ほどの場所にあります。
まるで、元々はどこかのお家の庭だったみたいな小さな場所。だけどここは鎌倉時代のさらに以前から記録が残っているという、千年近くも続く湧き水の池。三島大社へ参拝する人たちがこの池で居住まいを正して、あるいはお清めまでしていたという「鏡池」という湧水なんです。
10月初旬のとある日の昼下がり、ぶらっと行ってみると、なんと写真を撮ってる人を発見! 自分にとってこの場所は、こっちの方に引っ越してきて、新しい地元のことを知りたくて町歩きのボランティアさんに連れられてやってきて、「う~ん、昔は鏡になるような湧水が湧き出ていたから鏡池っていうんだけど、最近はずっと枯れっぱなしでねえ」と残念そうな説明を受けた場所なのです。それから気になって時々来てみたり、昼のお弁当を食べたりしていたけど、ほとんど誰にも遭遇することのなかった、いわば「秘密の場所」だったのに!
そうなのです、彼が写真を撮っていたのは、この鏡池に水が湧き出しているのがとっても久しぶりで珍しいことだったからなのです。
先日ご紹介した三島駅前の楽寿園の小浜池と同じなのです。
こんな小さなポケットパークみたいな場所でも、気になって仕方がないなんて、三島のネイティブさんたちは本当に湧水に誇りを持っているのだと改めて感じてしまった。
ちょっと湧き出している感じは分かりにくいかもしれないけど、自分が知る限り「ある一時期」以外、ずっとこの場所もただの窪みみたいな感じだったのです。
よく、泉が湧き出す様子を「こんこんと」というけれど、ここはじわーっとあちこちから湧き出してきて、静かに鏡のような水面をなしてから、御殿川と呼ばれる水系の水路に流れ落ちて行く湧水です。
私が知ってる「ある一時期」水が湧き出していたのは、東日本大震災の直後から数カ月の間のこと。覚えていらっしゃるでしょうか、3月11日の大震災の数日後、富士山麓西側を震源とする地震が発生したのを(2011年3月15日の静岡県東部地震)。
そのおかげで、というのはおかしな話ですが、東京電力による計画停電の実施が緩和されるといった余録もあったわけですが、東北の超巨大地震の影響で富士山が噴火するのではないかと心配されていた丁度その頃からの数カ月。ほんと数カ月限定で水が湧き出して、そのうち小さな水溜まりみたいになって、やがて枯れてしまった……
幸いにも、現在まで富士山の本格的な火山活動は報告されてはいません。しかし、あれから4年後に突如湧き出してきた鏡池の泉。素直に喜んでいいのかどうか、ちょと微妙な感じもなきにしもあらず。
しかし、しかし、よくよく見てみるとこの湧水、とっても不思議なんです。泉とか湧水とかっていうと、岩の割れ目からとか、水底の砂を巻き上げるように湧き出してくるイメージがあったのだけど、鏡池はちょっと違う。さすが鏡池なのです!
たとえば――
と言いながら、ちょっと分かりにくいから下に拡大してみますね。
なんと、溶岩の表面にブツブツあいた泡の通り道のような小さな穴からも、白丸で囲ったところみたく泉が湧いているのです。
こちらの写真はもっと分かりにくいかもしれませんが、岩の奥から静かにだけど、それなりにけっこうな勢いで水が流れ出しています。水中の水草が手前側に倒れてしまうくらいにです。
こんな様子を見ていると、小浜池や柿田川湧水のようにこんこんと、ではないけれど、静かに湧き出してくる水が、やさしくゆるやかに溜まっていって鏡のような水面をつくる場所。それこそ平安時代の昔から(あっ、竹取物語に登場する富士山って、かすかに煙を噴いていたって記述されているけど、平安から鎌倉初期って富士山が噴煙を出すのが珍しくなかったという研究もあるそうですよ)、三島大社に参拝する人々の憩いの場所だったんだということが伝わってきます。
その山をふしの山とは名づけゝる。その煙いまだ雲の中へたち昇るとぞいひ傳へたる。
この湧水、ずっと湧き出し続けてほしいものです。でも、大地震や大噴火の懸念が叫ばれている昨今のこと、湧水と噴火を関連づける考え方だってありえるでしょう。それでもたとえば富士山が噴火するにしても、白い煙をたおやかに、たま~にたなびかせる程度にしておいてほしいなと思ったりします。
たおやかに、たま〜に、ね。
イギリス発祥の環境保護活動を三島市、そして富士山・伊豆半島周辺で行なっているグラウンドワーク三島というNPO団体は、一時期ゴミ溜めのようになっていた鏡池周辺の復旧と保護・維持活動を行っているそうです。興味のある方は団体のホームページを検索して、保護活動に参加されてみては? 町の歴史についてもいろいろ教えてもらえるかも、ですよ。
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