こどもと一緒に遊びに行こう「古墳時代へタ〜イムトリップ!」

izunoshippo200000

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私はいま〜♪

千数百年の時間を超えた場所にいます。ここは古墳時代(たぶん)のお墓。お墓はお墓でも、山の斜面を利用して作られた古墳の真ん中、石室というところ。エジプトのピラミッドなんかでも石室って言葉はよく出てきますよね。

日本には何百もの古墳がありますが、その多くは宮内省の管理によってめったに中を覗いたりなんかできません。たとえ何々天皇の墳墓ということがわからなくても、もしかしたら天皇家につながる人のお墓かもしれないから、という理由なんだといいます。

でも、古墳に埋葬された人の居場所だったはずの石室が、ぽろろんと無造作に公開されている場所もあるのです。奈良は飛鳥の「石舞台」とかも、古墳ながらその中心部が一般の私たちに「はいどうぞ」と見せてもらえる場所ですが、ここ伊豆の温泉街のすぐそばにある石室もそう。

古墳だったはずの墳丘のもっともコアな場所か、ここまでふわっと公開されているという点でものすご〜くレアな場所。

ほんでもってこの石室、実際に目にするとでかい。しかも、隣に建てられた説明パネルにも大きさは記載されているものの(なぜか実見したものよりかなり控えめ)、時代も造られた経緯も、その時代背景もつまびらかではない。もちろん「誰のお墓」なんてことも特定されていません。

地元に生まれ育った50代の人に言わせると、「でっかい石のある遊び場だった。後ろの山を使っての探検ごっことか、かくれんぼとかでよく来ていた場所。すぐ近くに大きな洞窟とかもあるしね(実はそれも古代の人によって造られたものだったらしいと最近判明!)歴史的にどうとか考えたこともなかったよ」なんだって。

奈良の飛鳥の石舞台はすっごーい観光名所にもなっているのだけれど、石室がほぼ70%くらい残されているここは、ほとんど知られていない。市の史跡になっているものの、訪ねてくる人はほぼゼロ。伊豆半島のジオパーク運動の一環でやってくるくらい。

まあ、それはそれでいい。古代のロマンはここにある。

そして、数十世紀さかのぼった頃にも、この場所に生き、死に、いろんな人と関わり、まあ墓の主は豪族なんだろうから地域の人たちに無理を強いてこんな石室付きの墳丘を造らせたのかもしれないし、でも逆に、この地域に暮らしていた人たちに愛されていたからこそ、亡くなった時に中央の大和政権に対して見栄えする立派なお墓を造ってもらえたのかもしれない。

そもそもだ、石を四角くくり抜くことなら、地元産の伊豆石(岩としては比較的柔らかい凝灰岩)なら可能だろう。でも、この石室には屋根みたいな上部がかぶせられている。この屋根みたいな部分をどうやってかぶせたのか。

伊豆ジオパークのお勉強会で講師の先生に聞いたことがあるけれど、「それが謎なんです!」とのことだった。

本来は石室というべきだけれど、史跡としての名称は「白石の石棺」。所在地は静岡県伊豆の国市、伊豆長岡温泉街のはずれに密やかに、看板が立てられてます。訪れる人はほとんどいません。

下から見上げるとこんな感じ。屋根があるのが石室の場所。昭和に入ってから温泉旅館建設のために山の斜面を削ってみたら、なんか大変そうなもんが出てきたぞということだったみたい。でもそのおかげで、「なんだよ、温泉旅館が造れなくなっちゃったじゃないか!」ということだったんだろうな。

奈良は飛鳥の石舞台もいいです。でもその真逆の存在として、ほとんどの人に顧みられることすらない石棺。そこから想像することができる古代の人たちの生き様や、石棺が知られるようになった後の時代のこと、そんな時代の変遷はお構いなしに、この場所を遊び場としてずっと使い続けてきた子どもたちの1000年以上の歴史とか、いろいろ夢想空想できるこの場所もいいですよ。観光地なのに周辺にはなぁんにも無いですけどね。

市史跡「白石石棺」

青い海、高い空、カブトムシやクワガタムシがたっくさん獲れる山、そして温泉。この夏、伊豆にいらしたら、定番以外のちょっとしたお楽しみにもぜひチャレンジを!

「いいキャラ」があるのに低迷・衰退し続けている伊豆の温泉町。次回は、「こどもと一緒に遊びに行こう」のテーマから少し離れて、「町おこしって何だ!」についてこども達や地元の人たちと一緒に考えます。

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