6月19日。今日は太宰治の67回目の命日とされる「桜桃忌」です。
桜桃=サクランボにちなんで、大奮発して買ってきました。どうして太宰治の命日が桜桃忌と呼ばれるのかというと、この年の5月に発表された彼の短編小説の作品名にちなんでのこと。小説「桜桃」はこんな風に始まる物語でした。
子供より親が大事、と思いたい。子供のために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考えてみても、何、子供よりも、その親のほうが弱いのだ。少くとも、私の家庭においては、そうである。
冒頭に描写されるのは、最近の家庭にだってありそうな、ごくありふれた夕食時の光景です。当時の太宰家には3人のこどもがいて、「長女は七歳、長男は四歳、次女は一歳である。それでも、既にそれぞれ、両親を圧倒し掛けている。父と母は、さながら子供たちの下男下女の趣きを呈しているのである。」そんな状況だったと、小説には描かれています。(あくまでも小説ですけどね)
夏、家族全部三畳間に集まり、大にぎやか、大混乱の夕食をしたため、父はタオルでやたらに顔の汗を拭ふき、
「めし食って大汗かくもげびた事、と柳多留にあったけれども、どうも、こんなに子供たちがうるさくては、いかにお上品なお父さんといえども、汗が流れる」
と、ひとりぶつぶつ不平を言い出す。
母は、一歳の次女におっぱいを含ませながら、そうして、お父さんと長女と長男のお給仕をするやら、子供たちのこぼしたものを拭くやら、拾うやら、鼻をかんでやるやら、八面六臂のすさまじい働きをして、
「お父さんは、お鼻に一ばん汗をおかきになるようね。いつも、せわしくお鼻を拭いていらっしゃる」
父は苦笑して、
「それじゃ、お前はどこだ。内股かね?」
「お上品なお父さんですこと」
「いや、何もお前、医学的な話じゃないか。上品も下品も無い」
「私はね」
と母は少しまじめな顔になり、
「この、お乳とお乳のあいだに、……涙の谷、……」
涙の谷。
父は黙して、食事をつづけた。
私は家庭に在っては、いつも冗談を言っている。それこそ「心には悩みわずらう」事の多いゆえに、「おもてには快楽」をよそわざるを得ない、とでも言おうか。いや、家庭に在る時ばかりでなく、私は人に接する時でも、心がどんなにつらくても、からだがどんなに苦しくても、ほとんど必死で、楽しい雰囲気創を創る事に努力する。そうして、客とわかれた後、私は疲労によろめき、お金の事、道徳の事、自殺の事を考える。いや、それは人に接する場合だけではない。小説を書く時も、それと同じである。私は、悲しい時に、かえって軽い楽しい物語の創造に努力する。自分では、もっとも、おいしい奉仕のつもりでいるのだが、人はそれに気づかず、太宰という作家も、このごろは軽薄である、面白さだけで読者を釣る、すこぶる安易、と私をさげすむ。
人間が、人間に奉仕するというのは、悪い事であろうか。もったいぶって、なかなか笑わぬというのは、善い事であろうか。
桜桃の中の太宰は言います。「私は、糞真面目で興覚めな、気まずい事に堪え切れないのだ。私は、私の家庭においても、絶えず冗談を言い、薄氷を踏む思いで冗談を言い、一部の読者、批評家の想像を裏切り…」。夫婦はいたわり合って暮らしていて、父も母も負けじと我が子を可愛がりと。
しかし、これは外見。母が胸をあけると、涙の谷、父の寝汗も、いよいよひどく、夫婦は互いに相手の苦痛を知っているのだが、それに、さわらないように努めて、父が冗談を言えば、母も笑う。
しかし、その時、涙の谷、と母に言われて父は黙し、何か冗談を言って切りかえそうと思っても、とっさにうまい言葉が浮かばず、黙しつづけると、いよいよ気まずさが積り
そして――
はっきり言おう。くどくどと、あちこち持ってまわった書き方をしたが、実はこの小説、夫婦喧嘩の小説なのである。
「涙の谷」
それが導火線であった。
夫婦のやり取りが続く。このように克明に描けるのはすごいことだと思う。いや、あくまでも小説の話なのだが。
言いかけて、私は、よした。女房の身内のひとの事に少しでも、ふれると、ひどく二人の気持がややこしくなる。
生きるという事は、たいへんな事だ。あちこちから鎖がからまっていて、少しでも動くと、血が噴き出す。
私は黙って立って、六畳間の机の引出しから稿料のはいっている封筒を取り出し、袂につっ込んで、それから原稿用紙と辞典を黒い風呂敷に包み、物体でないみたいに、ふわりと外に出る。
そして、桜桃に描かれた太宰らしき人物(いやあくまでも小説なのだが)は、お酒を飲む場所へ「まっすぐに行く」。
「飲もう。きょうはまた、ばかに綺麗な縞を、……」
「わるくないでしょう? あなたの好く縞だと思っていたの」
「きょうは、夫婦喧嘩でね、陰にこもってやりきれねえんだ。飲もう。今夜は泊るぜ。だんぜん泊る」
子供より親が大事、と思いたい。子供よりも、その親のほうが弱いのだ。
桜桃が出た。
私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事も無いかもしれない。食べさせたら、よろこぶだろう。父が持って帰ったら、よろこぶだろう。蔓を糸でつないで、首にかけると、桜桃は、珊瑚の首飾りのように見えるだろう。
しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐はき、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。
あくまでも小説なんですけどね。でも、太宰治といえば私小説ということになっています。そんな彼が愛人・山崎富栄ととも玉川上水に入水自殺をした後(身を投げたのは6月13日だったそうです)、2人の遺体が発見されたのがこの日だったということで、今日が桜桃忌となったのです。そしてこの日は、奇しくも彼の39回目の誕生日でもありました。
今日は太宰治の命日とされる「桜桃忌」。私小説の大家みたいに言われて毀誉褒貶の激しい人ですが、生家からの、時代思想からの、そして、日本人全体が当事者として体験した昭和20年の「転向」「変節」を背負い続け、その対極にある「信じること」を描いた表現者だったという評価は、あまり一般的ではないようです。
もううちの子は寝ちゃったけど、叩き起こして今日中にいっしょに食べようかな。そしてやっぱり、「子供よりも親が大事」とうそぶいてみようかな。
――そんなことではありませんね。
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