「判断しないといけないときに、もうわからなくなってしまうんです」
前回は、1号機が爆発した後の円卓(緊急対策室)で、本店など外部からの注文や問い合わせが「雑音」に思えたこと、「うるさい、黙っていろ」とテレビ会議システムで何度も言ったこと、「やっていられないよ」という発言がなぜかマスコミに漏れたことなどを紹介した。円卓周辺が混乱状態にあったのは、緊急対策室そのものが原発事故現場の最前線ではなく、本当の現場からの情報も思うようにつかめない状況だったことに一因があったからだろう。
現場の最前線の状況が把握しづらい中、時間経過とともに危機は2号機、3号機にも迫ってくる。
そのような状況で、ついに吉田所長から「判断しないといけないときに、もうわからなくなってしまうんです」という言葉がこぼれる。弱気ともとれるこの発言と、前回の「うるさい、黙っていろ」。そのどちらもが吉田所長の本音であり、緊急対策室の混乱を物語っているように思える。
「as soon as possible」で入れろ
ヨコヤリ質問の後、インタビューは3月12日、1号機が爆発した後の19時過ぎから再開する。質問者が問う。19時04分から1号機への海水注入が始まっている。しかし、その後20時45分になってから、ホウ酸と海水を混ぜて注入を開始しているのはなぜか。
○回答者 海水とホウ酸を最初から一緒に混ぜたいと思って用意しろといっていたんです。ただ、ここの場所の線量が非常に高いのと、ホウ酸はある程度溶かして入れないといけないんです。要するに、袋で入ってくるのは、ホウ酸の塊というか、結晶というか、白いあれですから、あれをぱっと入れても、溶かしてうまく入れる手順も考えておけということは、もっと前に言っていたんです。
ただ、やはり現場の線量が高い、それから準備がなかなか整わない、まずは水を入れるということを最優先で、ホウ酸は、しようがないから、準備でき次第入れろということで、実質的にできたのが20時45分ということであって、これは指示で20時45分になったんではなくて、これは「as soon as possible」で入れろということが、現場で実際にはこの時間になったということです。
吉田調書 2011年7月29日 13ページ
本当ならホウ酸を混ぜて入れたいところだが、ホウ酸は袋詰めの結晶なので溶かす手間がかかる。それができてから注入したのが20時45分だったとの説明だ。ここで注目すべきは「やはり現場の線量が高い」という一言だろう。
円卓からはホウ酸を溶かす現場は見えていない。ただ「as soon as possible」と指示を出すしかない。そして現場では「可及的速やか」な作業を行った結果、海水注入開始から1時間41分も経過してからようやく実施にこぎつけたということだ。
文字で読んでいるとあっという間だが、事故対応の現場ではこれだけのタイムラグがあり、またその「時差」は、円卓と現場最前線の「距離」をも示している。
機関銃で建屋に穴を開けてほしいくらいだった
水素爆発は格納容器の中ではなく、その外側、建屋の空間に溜まった水素が爆発したものとされている。1号機で起きたのと同じことが他の号機でも起こり得る。それを防ぐための検討を行ったかどうか、質問者が訊ねる。
○質問者 (略)今後、そういったことが起こることを防ぐために、何かする手立てはないかというような、そういう検討というのはされたんですか。
○回答者 同時にします。
○質問者 例えば、どういう議論がそのときには。
○回答者 まず、本当に原子炉建屋のブローアウトパネルというのがありまして、原子炉建屋の圧力がある程度上がると、このブローアウトパネルが外側に破れて、圧力を逃がすような構造になっています。
ところが、これが平成19年の柏崎の地震のときに、地震力で圧力が上がっていないのに、ブローアウトパネルが完全に開いた事例が何例かありまして、そのブローアウトパネルは、ちょっとひらきづらくするような改良といいますか、今から思うと改悪なんですけれども、するようになっていまして、各号機のブローアウトパネルが開きづらいということがありました。
吉田調書 2011年7月29日 13~14ページ
回答の途中だが、柏崎原発の事故を機会に、ブローアウトパネルを開きにくく「改悪」した。これは非常に重大なことだ。この措置が考えられた経緯、認められた経緯、さらに他の原発で同様のことが実施されたのかどうか、調査の必要がある。
回答は続く。
それで、2号、3号も当然のことながらこの事象が起こるということは、私も頭の中にありましたし、本店も同じ意識で共有して、まず、どうしようかと、それで、ブローアウトパネルを開けるにしても、今、原子炉建屋の中にも入れないような状態で、外からも開けられないと。
それで、いろんなことを考えて、もう一つは、作業に伴って、もう既にどれくらい水素が浮いているかわからない、作業に行くのも危ないわけですね。作業によって、例えば火花で発火するということもあり得るので、いろいろ検討したんですけれども、例えば外側から何かウオータージェットみたいなもので開ければ、要するに水で開けるので火花がでないからウオータージェットはできないかとか、そんな単時間(ママ)穴を開けるような工具もないですし、いろんな検討をしました。人間が入ってできないかとか、いろんなことは考えたんですが、少なくともすぐにできるような状況ではないということで、並行して考えてはいたんですけれども、そんな状態が続いていた。ですから、検討をずっと継続していた。
吉田調書 2011年7月29日 14ページ
この回答は長い。これまででも最長といえるほど長い回答だ。1号機の爆発が水素爆発だとしたら、他の号機で同じことが起きることは予期できたはずという「批判」に対抗するための言葉なのだろうか。あらかじめ想定問答でもしていたのではないかと想像してしまう。できれば実際の音声を聞いてみたい。
ヨコヤリして申し訳ありません。回答はまだ続きます。
それで、たまたま2号機が、現場に行った人間がブローアウトパネルが開いているぞと、何んでだということで、多分あれは1号機の爆発の圧力か何かによるんだと思うんです。それにしても解せないのは、海側にブローアウトパネルがあって、1号機はこっちから爆発しているので、よくこのブローアウトパネルが開いたなと思っているんですけれども、いずれにしても、2号機はブローアウトパネルが開いているから、何とか逃げそうだということでほっとしたので、3号をどうするか、こういう話で、3号機を重点的にやって、そのブローアウトパネル、もしくはブローアウトパネル以外でもいいんですけれども、開けられないかと、極端なことを言うと、自衛隊のジェット機か何か来て、機関銃か何かで穴を開けてくれてないかくらいのことも考えたわけなんですけれども。
吉田調書 2011年7月29日 14ページ
自衛隊のジェット機の機関銃で穴を開けてほしいとは! 火花が水素に引火するかもしれないことなど分かっているだろうに、こんな発言が飛び出すとは!
それだけ、何とかしたいが手詰まりだったと言いたいのだろうか。
だとしたら、これは原発の本質的な弱点を示す事項でもあると考えられる。
そこで質問者が、ほかに排気の方法はなかったのかと尋ねる。
○質問者 建屋の非常用の排気の系統でSGTS(非常用ガス処理装置:Stand-by Gas Treatment System)、あれというのは、このときは使える状況ではないんですか。
○回答者 ないです。非常用系の電源がないですから、SGTSがもし生きていれば、水素爆発はなかったですよ。絶対にないです。そこから非常用換気しているわけですから、そこから原子炉建屋の中の気体が全部フィルターをかまして外に出ていくわけですから、これは建屋の中の非常用の換気が生きていれば、水素爆発は起こっていません。
吉田調書 2011年7月29日 14ページ
非常用のガス処理装置さえ生きていれば水素爆発は起こっていないと断言。この感覚はちょっと理解しかねる。電源が失われたために、ありとあらゆる非常用の装置・設備が使用不能になったために、原発は刻一刻と危険度を高めているわけだ。そして現に爆発は起きている。非常用設備さえ無事なら爆発はなかったとことさら強調することの目的は何なのだろう。
さらに続けて吉田所長は、人為的ミスにもつながるようなことまで口を滑らせる。
だから、我々がちょっと意識で抜けていたのは、何か換気してSGTSは止まっている、通常換気系も止まっているんですけれども、換気してくれているような勘違いしている部分があって、そこで水素がたまって爆発するという発想になかなか切り替えられていなかった。
吉田調書 2011年7月29日 14ページ
換気が働いていないという考えがあれば、もしかしたら水素爆発を予見できたかもしれないということだ。これも重要な発言だろう。予見できたからといって防げたかどうかは不明だろうが。
この後、質問者と回答者は、何とかして建屋に穴を開けたかったというやり取り(質問者は大きな鉄球みたいなのをヘリコプターでぶら下げてぶつけるという、ウルトラマンの科学特捜隊を思わせるようなアイデアまで披瀝する)を経て、2,3号機のベント準備へ話題を移していく。
2,3号機のベント準備を指示したものの「人手不足」
話題は変わって、おそらく質問者も替わって、2,3号機についてのベントの準備を開始するように発電所長指示を出した件が質される。発電所長指示が出された時間は1号機への海水注入よりもさらに遡って12日17時30分、1号機の爆発から2時間弱の時点だった。
質問者に応える形で、2、3号機のベントの準備を進めるように言ったものの、1号機に全員が掛かっている状況では人員的に余裕がなかった。しかも、12日の午後には1号機の爆発が発生している。2、3号機に対する手当てが必要だという考えはあり、指示もしているのだが、結果的には具体的な動きを取ることができなかった状況が語られる。
○質問者 (前略)そうすると、17時30分の時点で、2号機と3号機、いずれもベント操作の準備を開始せよと、そういうことをなさっておられるということになるんですかね。
○回答者 はい。
○質問者 この段階で、2号機、3号機について、そのベントの準備をせよという判断をされたのは、どうしてなんですか。
○回答者 これも当然のことながら、1号機でベントでえらい手間をとりましたし、どっちみち3号、2号も同じような状態になるわけですから、最後のラプチャディスクだけぽんと破れればベントできるようにしておかないと、格納容器の圧力が勿論上がってということになるので、その準備をしろということを早めに言った。
吉田調書 2011年7月29日 15ページ
この回答に対して、おそらく質問者が問う。引っ掛かりもっかかりの言葉なので、要約するとこういうことだ。
ベントについては1号機でもそうとう苦労している。線量が高かった、余震が続いたりして一筋縄ではいかないと分かっていたはずだ。もっと早く、たとえば3月12日の未明とかから2,3号機のベント準備を始めていてもよかったのではないか。何か原因があるのか。
○回答者 まだ、1号機のベントが完全に、1号機に人が全部かかっているわけですね。いずれにしても余裕がないんですよ。
○質問者 それは、人員的。
吉田調書 2011年7月29日 15ページ
ダメージコントロールにあたる人員が不足していた。このことも原発の弱点として特記しておく必要があるだろう。
しかもそれは、爆発前の1号機についてのことだ。1号機に爆発が起き、現場が混乱している中、隣に並んでたっている2,3,4号機の手当ても急がなければならない状況に陥る。
複数の原子炉が同じ敷地内に設置される場合が多い日本では、ダメージコントロール要員の確保が極めて重要かつ困難な課題として存在することが、このやり取りに示されている。
○回答者 人員的余裕もないですね。それで、今、言ったように、12日の午後には、爆発しているわけですから、その段階で、現場に行って、ベントの操作の準備をしろと言っても、人員的も、線量も上がってきていますしね、なかなか行かせられないという状況なんだけれども、だけれども早くしろということなんです。
ですから、やっと爆発の後で、いっぺん対比させて、1号機のラインナップをさせた、そういうようなタイミングで同時に、考えてはいたんですけれども、まずは1号機を何とか落ち着けるということが一番重要だというふうな判断をしたということです。
吉田調書 2011年7月29日 15ページ
つまり、1号機が爆発してから2時間弱で、2,3号機のベントの準備をせよとの発電所長指示は出してはいるが、出しただけということになる。なぜなら、爆発後に1号機のラインナップをつくり直して海水注入を始めたのは12日の19時だ。17時30分の時点では1号機のケアに全力でかかっていたはずだからだ。
冷却系は動いているか?現場はえらい大変な思いをして確認に向かっていた
質問は2号機の冷却系、とくに炉心からタービンへの配管の弁が閉鎖された後、原子炉内だけで独立して冷却を行うRCIC(原子炉隔離時冷却系:Reactor Core Isolation Cooling)が生きているのかどうか。
RCICの設備は原子炉建屋の中にある。事故後はたいへん高い線量になっている。しかし作動状況を確認する計器類は電源ダウンの状態が続いていた。
このやり取りは衝撃的だ。緊急対策室の円卓と本当の現場との距離がいかに遠いものだったのか、また原子力発電所のダメージコントロールが、結局は高線量を冒して人間に突入させるほかないという現実が示される。
○質問者 当初、この2号機に関していうと、現場の方の工夫ということで、バッテリーなんかで要らない負荷なんかは全部落として、RCICの方に電源を集中させると…(中略)…では、このRCICがまだ動いているんだということについては、何か確認の方法、これはどういった形で確認を。
○回答者 私も要するに、免震棟の緊急対策室にいると、現場がわかりません。ですから、RCICは動いているのかという問いかけは何回もしました。だけれども、現場で、要するに計器が見えないという話が入ってきて、それでも確認してくれということを言って、やっと後で聞くとえらい大変な思いをして、RCICの運転を確認する、原子炉建屋の中に入っていって、大変な思いをしてというのは、私もうかつなことで、そんなに、大変なのはわかっていましたけれども、物すごく大変だという認識が、その時点ではなかったので、RCICを確認してくれと、それで大変な思いをして、2時55分の時点で報告があってほっとしたという思いがあるんですけれども、記憶があります。
吉田調書 2011年7月29日 16ページ
「えらい大変」「物すごく大変」という言葉が具体的にどういうことを示しているのかを是非とも質問してほしかった。おそらく主に線量の問題になるだろうが、何ミリシーベルトくらいだったのか、現場に留まれる時間が何分くらいだったのか、あるいはこの確認で線量をオーバーしてしまった人がいるのかいなのか。
おそろしいことだと思う。
原子力というと科学の粋というイメージもあるが現実はまったく違う。重大事故が発生した現場は、いわば決死隊的な人たちによってしか対処のしようがないのだ。
なぜ免震重要棟の緊急対策室には、原子炉の状況を示す計器がなかったのだろうか。針で示すようなメーターでなくてもいいはずだ。いろいろなパラメーターをLANなり無線で飛ばしてパソコンで一覧するというような、今ではハウス農家にも普及しているようなテレメーターの仕組みが装備されていないのはなぜなのか。
計器用電源がダウンしていたという話もしばしば聞かされてきたが、免震重要棟には事故直後から電気が来ている。非常用電源が完備されていたのかどうかは判らないが、本店とのテレビ会議システムが動いているくらいだから、電気がないはずはなない。その電気を、最も重要な現場の最前線に回すことはできなかったのか。もっと言えば、原子炉の運転室になぜ、免震重要棟と同様の電源システムを備えなかったのか。
怠慢としか言いようがない。
免震重要棟はただの箱かとの誹りにも反論できないだろう。
免震重要棟は中越地震の後に建設して、大震災には滑り込みセーフで完成していたという。もし免震重要棟すらなかったら、いったいどんなことになっていたのか。
吉田所長が告白しているように「免震棟の緊急対策室にいると現場がわからない」のだとしたら、緊急対策室なんて看板は下ろすべきだろう。しかも、現場の状況が分からないという告白は、シビアアクシデント時のダメージコントロールについて、実際の事故現場で役立つような計画は立てられていなかった(だから現場の状況を想像することもできない)ことも意味している。
おそろしいことだ。
最終更新: