紆余曲折の末に公開された「吉田調書」。メディアやブロガーなど多くの人々記事が続々とアップされているが、このままでは一時のブームに終わってしまうのだろうかという不安がある。
吉田調書はそのページ数の膨大さもさることながら、聞き取り項目(インタビューのテーマ)も多岐にわたる。しかもそれぞれの質問に対する回答の「深さ」はまちまちで、たとえば雑誌のインタビュー記事のように内容が整理・編集された物ではない。ざっと通読して、ポイントになりそうな部分を掘り下げるという読み方では重要な話を読み洩らしてしまう恐れが大きい。精読すれば分かるかもしれない「隠されたテーマ」が看過されかねない。
ネットの書き物にはスピード勝負という面はあるが、公開された吉田調書を時間をかけて読んでいきたいと思うのは、上記のような考えによる。この先何回の読み物になるのか、現時点では予想できないが、できるだけしっかり読むことを第一義として、連載記事を始めようと思う。
所長がすべてを把握していたとは限らない
吉田調書を読み始めるにあたり、心しようと決めたことがふたつある。原発事故直後から、メディアやネットでは吉田所長をどこかヒーロー視するような面があるように感じてきた。逝去された後はその傾向はますます強まったように思う。もちろん、吉田所長と所員や関連企業の作業員の人たち、そして自衛隊や消防など危険を冒して現場に入った人たちの仕事が最大限に尊ばれるべきなのは言うまでもない。
しかし、原発事故の進展や、最悪のシナリオに発展するのを喰いとめ何とか現状に鎮め込まれていることと、彼らの仕事が100%結びついているかどうかは現時点では判断できない。「彼らのおかげで最悪の事態を免れた」というのは分かりやすい話かもしれないが、最初からそのような立ち位置では、何か大切なことを見落としてしまうかもしれない。調書を読み進めて、そのほかに事故原発の現状を示すデータなどがさらに明らかにされていったその先に、「やはり彼らの活躍があったからだった」という理解ができる未来が訪れることを強く期待する。
もうひとつ心したことは、吉田所長がインタビューに答える際に、どのようなスタンスから発言しているのかを注意深く見ていきたいということだ。私は、吉田所長に関する報道から、技術畑叩き上げの管理責任者というイメージを受け取ることが多かった。しかしそれは実像なのか。何を言いたいのかというと「何しろ直接会ったことのない人なのだから、調書に残された吉田所長の言葉に真摯に向き合おう」ということだ。
告白するなら、吉田調書の最初のファイルを読んだだけでそれまで勝手に想像していたイメージと現実が違っていたことにいくつか気づかされた。
ざっくばらんな言い方をするなら、吉田所長は「宇宙戦艦ヤマト」の沖田艦長のような立ち位置で、事故原発を鎮め込むという仕事に取り組んできたのだと想像していた。艦橋の奥、若手スタッフが立ち回るその後ろの椅子に深く腰をおろし、全体の状況を見据えながら適切な指示を出す、というような。
ところが、原子力発電所で緊急事態が発生した時に、責任者や専門家が集まる場所は、原子炉内の情報が集約される操作室ではなく、免震重要棟に組織される緊急対策本部の「センターテーブル」と呼ばれる円卓だった。
○回答者 はい。ただ、安否確認していますから、私が入った時点では安否確認が終わっていませんので、そのメンバーが全員そろっているわけではなくて、私とユニット所長、発電部長、保安部長という部長クラスと、あとはGMクラスが最初に入った。下で安否確認したところがバックアップする人間が次々入った、こういう状況です。
吉田調書 2011年7月22日 10ページ
回答者とは吉田所長のことで、地震の後、津波がまだ襲来する前の時点で免震重要棟の緊急対策本部に幹部が集まっていた時点の状況を説明している。GMはグループマネージャーの略で、職階としては副部長クラスだと吉田所長は別の箇所で説明している。
吉田所長が着座した、この緊急対策本部のセンターテーブルというのがどのような場所なのか、状況が伺える箇所をいくつか引用する。
○質問者 その確認の仕方というのは、例えば、スクラムの関係ですと、発電班を通じて当直の方に連絡を取るということになるんですか。
○回答者 そうです。
○質問者 そうすると、本部と当直との間での連絡方法がまず問題になってくると思うんですが、この時点では、通常使われているのがPHSだと聞いていますが、PHSはつながっているような状況だったのですか。
○回答者 具体的に何で通信したかというのは、私もいちいち確認していません。ですから、私は運転管理部長からプラントの状況をセンターテーブルで聞くということで、センターテーブルの運転管理部長と当直の間でどういうやりとりをしたかは、具体的なものは把握しておりません。ただ、後で聞いたところによると、その時点ではまだ通常の通信手段があったと聞いております。
吉田調書 2011年7月22日 11ページ
運転するだけでも大人数の組織になるから当然かもしれないが、吉田所長への情報伝達はダイレクトなものではなく、各部門のトップがおそらくPHSで、つまり電話による音声で吸い上げたうえで集約されたものだったということだ。
津波襲来前に、原子力発電所の外からの電源が失われた時点については、次のようなインタビューのやり取りが残されている。
(非常用ディーゼルが駆動している報告が発電班からあったかとの問いに「ありました」と答えたのを受けて)
○質問者 当然それは外部電源が喪失しているであろうと。その外部電源が喪失したということの具体的な状況、例えば、送電線がどういう状況になっているとか、電塔というんですか、鉄柱、それが倒れているのかどうかとか、その辺の具体的な被害状況まではまだわからないですね。
○回答者 わかりません、この時点では。信号というか、電気が来ているか、来ていないかを中央操作室で確認するだけですから。それが具体的に、どこがどう損傷しているかというのは、この時点では把握できていません。
吉田調書 2011年7月22日 11ページ
原子炉を冷却するためのIC、RCICといった機器の運転状況について、現場からどのような形で報告が上げられ、センターテーブルでどのように情報共有が行われたのか、次のやり取りから想像できる。
○回答者 少なくともICとかRCICについては、そういう操作をしているということについて、発電班長からの情報は聞いております。それは緊対室の白板に報告あったことを書いていますから、そういうところに残っているかと思います。
○質問者 現場の当直の方々は、自動起動しているんであれば、その確認をされたり、手動で起動されたりということをされていると思うんですが、そういった情報が発電班を通じて所長のところまで報告というのは来ていたんですか。
○回答者 所長というよりも、そこで発話するんですね。発電班長が中央操作室からもらった連絡内容をそこで発話します。テーブルの中で、発電班からの報告ですと、IC、1号機等、そういうことを発話しますから、それを聞いて了解と、そういうい形で情報共有する。
吉田調書 2011年7月22日 13ページ
宇宙戦艦ヤマトの艦橋といったイメージなど吹っ飛んでしまった。ここまで引用した部分を読んだだけでも、福島第一原子力発電所免震棟のセンターテーブルが、事故の最前線からかなり「遠い」ということが想像できる。それでは、津波襲来時の状況はどうだったのだろうか。
○質問者 次に、津波が実際にやってきて、津波が来たことというのは、その時点ですぐにわかるものなんですか。
○回答者 わかりませんでした、私は。
○質問者 どうやって把握されましたか。
○回答者 逆に言うと、全交流電源喪失を聞いたときに、DG(注:ディーゼル発電機)がだめという話が、えっということなんです。そのときに、海の監視用のテレビなどというのもこちら側になかったんです。円卓の方に監視用のカメラのデータが届かない状況になっていましたから、外の状況が何もわからないんですね。要するに、テレビで、NHKの津波注意報と、現場で、ぽっぽっと上がってくる情報ぐらいしかないものですから、海の状況がどうなっているかというのは円卓からはわからない。だから、津波到達についても、中央操作室(注:各原子炉の操作室)の人もわからないと思うんです。外が見えないですから。ですから、後で、外に行って、なおかつ別の建屋から見ていた人から入ってきた話だと、津波が来たという話はちょっと後で来るんですけれども、異常が起こったのは37分の全交流電源喪失が最初でして、DGが動かないよ、なんでだという話の後で、津波が来たみたいだという話で、だんだんそこに一致していくんです。この時点で、えっという感覚ですね。
吉田調書 2011年7月22日 20ページ
残念ながら情報伝達のために整備された環境とは言い難い。新潟県中越沖地震の経験から建築され、東日本大震災の前年から運用されていた新しい施設である免震重要棟で、このような状況だったというのは驚くほかない。津波が迫る海の状況もNHKのテレビなどで見るか、外に見に行った人の報告でしか入ってこないとは。
宇宙戦艦ヤマトを引き合い出した流れで、やや暴論ながら言わせてもらえば、軍艦であればやられたら沈没する。それだけだ。しかし、原子力発電所がやられると地域はもちろん、世界規模で大きな影響が及ぶ。そのような施設の情報集約の場として緊急対策室が適切だったかどうか、十全といえる危機管理体制があったのかどうか、その可否は論ずることすら論外に思える。
事故原発ではさらにその後、全電源喪失によって原子炉内の状況を示すデータも失われる。現場の状況を把握しようにも、ほとんど何も情報がない。全電源喪失のことをステーションブラックアウトとも呼ぶらしいが、緊急対策本部そのものが情報という点でブラックアウト状態だったということがよくわかった。
吉田所長はこのような劣悪な条件のもと、事故原発の指揮に当たったわけだ。事故の進展とともに、緊急対策本部でどんな事態が発生していったのか、次回から順を追って読み込んでいく。
文●井上良太
最終更新: