吉田所長の言葉の向うにはどんな心理があったのか
前回は、吉田所長が地震被害を受けた後の原発の状況について、必ずしも全容を把握しうる立ち位置になかったことについて考えた。そうは言っても、事故原発の最前線近くにあった吉田所長の言葉は、原発がどのように壊れていったのか、事故がどのように進展していったのかを知る上で、貴重なものであることは揺るがない。
今回からは所長の言葉から事故の経緯を追っていく予定だったが、その前にあと2点、どうしても指摘しておかなければならないことがある。
ひとつは、中越沖地震で柏崎刈羽原発で火災が発生したことが契機になって、福島第一原発に消防車や防火水槽などの消防設備が増置・増設された経緯を説明する、吉田所長の言葉の背景にある心理だ。
被災した福島第一原発では、ほとんどの電源が失われ、炉心を冷却する方法もその多くが不可能となっていく中、増設された消火設備と消防車を連結することで、炉心に水を入れるという措置が行われた。このやり方は過酷事故時のマニュアルにも記載されていなかったもので、事故後、臨機応変な対応として評価されることもあった。
1号機建屋爆発以前の段階では、事故の進展を押しとどめようとする措置として、結果的にはほぼ唯一となった消防施設を追加導入した経緯について、吉田所長は次のように語っている。
○質問者 今回、水が取れたのは、消火栓ではなくて、消火用の水が来ている升があったんですか。
○回答者 そうです。
○質問者 消火栓ではない。升か。
○回答者 これも防火水槽ということで、中越沖地震のときに柏崎の3号機の変圧器が燃えましたね。
○質問者 私は後から見に行きました。
○回答者 非常に真っ黒けになって、NHKが御丁寧に報道していただいたんで、全国の方が燃えているところと黒い煙を見ていらっしゃると思うんですが、あの後、原子力発電所には消防車もないのかということで、えらいバッシングに遭いまして、消防車を買った。それと同時に、防火対策をもっとしないといけないということで、防火水槽を、水源を、発電所内に升をつくったのはその後なんですね。ですから、消火対策にこれだけ力を入れたのは中越沖地震の後です。この升も何カ所かあれした。
吉田調書 2011年7月22日 25ページ
NHKが御丁寧に報道していただいたんで
注目したいのは「NHKが御丁寧に報道していただいたんで」という言葉だ。重箱の隅を突っつくなとお叱りの声もあるかもしれないが、言葉のほんの端々にその人の心理が反映する場合が非常に多いことを私たちは知っている。私たちが日常的に行っているコミュニケーションとは、言葉の意味(整理され浄書されたテキストのようなもの)ばかりではなく、その人の声や言葉の抑揚、そして小さな言葉づかいまで含めて行われるものだ。たしか、言語による部分よりも雰囲気による分の方が多いという研究もあったと記憶する。
もちろん、たまたまそういう言い方になっただけ、口が滑ったという場合もあるだろうし、本意ではないことを口走ってしまうこともあるだろう。そのような可能性を否定せず、ちゃんと踏まえた上であっても、吉田所長の「御丁寧に報道していただいたんで」という言葉を記憶にとどめておく価値はあると思う。
一般的に、「御丁寧に~していただいて」という場合、「懇切丁寧に~していただいてありがたい」という意味を構成することは少ない。多くの場合「よけいなことしやがって」という含意を表すものだ。
この一般的にありがちな含意にそって吉田所長の発言を意地悪く読むと、
「非常に真っ黒けになって」という事実を、(NHKが御丁寧に報道したせいで)、全国の方が黒い煙を上げて燃えているのを見ることになって、(NHKが御丁寧に報道したせいで)、原発には消防車もないのかと激しくバッシングされることになり、(元をただせばNHKが御丁寧に報道したせいで)、消防車を買った。それと同時に防火水槽をつくった。消火対策にこれだけ力を入れたのは、中越沖地震で(NHKが御丁寧に報道したことがあったからだ)。
というようにも読み取れる。
結果的には事故の進展を少しでも食い止めることになった消防車や消火施設の導入そのものを、吉田所長が悪んでいることなどありえないだろう。消防設備の充実は望ましいことだったと考えているにちがいない。それでも、「御丁寧に~していただいて」という表現がついこぼれでてしまう。そこに吉田所長のアンビバレントな面が見て取れるように思うのだ。
消火設備の充実はあらまほしきことと考えながらも、組織人としては「余計な仕事を増やしやがって」「余計な出費をさせやがって」という思い(中身のない形骸化した、口癖のようなものかもしれないが)があっても不思議ではない。吉田所長の「御丁寧に」には、東京電力の組織人(執行取締役)としての彼が反映されているのかもしれない。
もちろん、まったく口が滑っただけということなのかもしれないが、両方の可能性があることを念頭に置くことは、吉田調書を読む上で無益なことではあるまい。
事前に設定されたインタビューの筋道
もうひとつ注目したいのは、インタビュアー側の問題だ。「調書」の頭紙には聴取者として政府事故調の畑村洋太郎委員長、柳田邦夫委員、淵上正朗技術顧問と並んで、加藤経将氏(事故調査・検証委員会事務局局員という肩書で参加した東京地検検事)ほかもう一名の名前がある。実際のインタビューは加藤経将氏が主に行っているようだ。しかし、時々、加藤氏以外の委員からのものと思われる質問が差し挟まれる。そしてその質問は時として、加藤氏の質問を遮っているようにも思えるのだ。たとえばこんな風に。
○質問者 1個何立米ぐらいあるんですか。
○回答者 40tです。各号機のわきにつけている共通の設備が具体的にいくつあるかはまた聞いていただければいいと思いますけれども、それをつくったから、そこから引いたと。
○質問者 面白いからそっちの方に話が生きたくなるけれども、行くときっと変になってしまうから。
○質問者 もう一つ、東電が公表された中で、代替注水として、このころ検討されるようになったものとして、ホウ酸。
吉田調書 2011年7月22日 25ページ
前出の「御丁寧」に続く部分だ。防火水槽の容量についての質問に続いて、別の質問者が遮っている。
「面白いからそっちの方に話が行きたくなるけれども、行くときっと変になってしまうから」とは何だろう。何が「きっと変になる」というのだろう。明らかに話の流れをコントロールしようとしている。あるいは「御丁寧」の話の流れを終わらせたかったのかもしれない。
別の質問者に割って入られた、おそらく加藤氏と思われる人物は、もうひとつの代替注水手段へと質問の舵を切った。
さらに露骨な誘導に思えるこんな発言もある。
話のテーマはベント実施の現場の困難。格納容器の圧力がどんどん上がり、ベントを実施するしかないと、そのための準備作業を進める中、東京の本店からもベントについて催促される様子が描かれる。
質問者は加藤氏ではなく、委員の誰かだと思われる。書き起こされた話し言葉で読みづらい面もあるが、重要な部分なので引用する。
○質問者 ここに具体的には、当然、その手順書を拝見させていただきますと、要するに、中央操作室の方からスイッチでやっていけば、弁が開いてということができますけれども、今回、それができないわけですね。それは、当然電源であったり、コンプレッサーであったり、そういうところが必要になってくるということになったわけですね。
○回答者 それも、まだ、この時点で、私もこの事象に初めて直面しているので、はっきりいってわからないんですよ。細かい現場の状況が、要するに、この辺、まだ本店と近い部分があって、要するに計器が見えていないし、中操の状況の電源、真っ暗だとか、主要計器が消えているというのはあるんですけれども、だからベントしろというとできそうな雰囲気になっているんですね。思い込みなんだけれども、要するに電源とか空気源がないけれども、要するにベントなんて極端に言うと、バルブを開くだけなので、バルブ開けばできるんじゃないのというような感じなんですよ、この辺は。その後でいろいろ入ってくると、AO弁のエアーがない、勿論、MO弁は駄目だと。手動でどうなんだというと、線量が高いから入れないというような状況がここから入ってきて、そんなに大変なのかという認識がやっとでき上がる、その辺がまた本店なり、東京に連絡しても、その辺は伝わらないですから、ベントの大変さみたいなものは、この時点では、早くやれ、はやくやれというだけの話です。そこが本当の現場、中操という現場と、準現場の緊対室と、現場から遠く離れている本店と認識の差が歴然とできてしまっている。
吉田調書 2011年7月22日 39ページ
前回指摘したように吉田所長は、建屋の最前線にいるわけではない。中央操作室にいるわけでもない。最前線から少し距離を置いた免震重要棟の円卓にいる。だから現場が置かれている本当の状況や困難に対する認識が、この時点では薄かったと告白している。ベントなんか簡単なことだろうと。それは「要するに、この辺、まだ本店と近い部分があって」とまで語っている。
この辺の吉田所長の発言は、極めて明快で抑止が効いていて、もっと言えば「侍」を感じさせるものがある。ところが、この先の質問者とのやり取りの中で話の内容が変質していくように見えるのだ。
○質問者 ちょっと今のに、また脇から入ると、私らは、いろんなものを外から聞いていると、例えばバルブを1つ開けるんだというのでいったときに、多くの人は、どこかで何かスイッチを押せば、バルブは開くんだろうかとか、何とかいうふうにしか、世の中の人は全部思っていないわけですね。(注:おそらく「世の中の人はそう思っている」といいたいのだろう)
(中略)
そこら辺の考えの共有というのは、私はとても難しいような気がするんですが、やはりそうですか。
○回答者 はい。
○質問者 何かすごい階層があってね。
○回答者 あります。ですから、一番遠いのは官邸ですね。要するに大臣命令が出ればすぐに開くと思っているわけですから、そんなもんじゃないと。
吉田調書 2011年7月22日 39ページ~40ページ
続く部分は読むに堪えない。調書が非公開とされた理由は、聞き取りの公平性という問題もあったのではないかと訝りたくなる。
○質問者 それが言いたいんですよ、開けと言えば、すぐ開くのが当たり前と思っている人と、本当に開かせようと思ったら、やらなければいけないことに落とし込んでいくと、物すごくたくさんのことが出てきますね。やはりそこの差がとても大きい感じがします。
○回答者 ここは、是非、そこの差というものを、もう少しビビットにちゃんと訴えるべきだというか、これから先も、やはりこういうことは山ほどあると思いますので、ここのギャップというのは、しっかり御説明していきたいと我々思っております。
○質問者 すごく思います。これは、技術的なことの技術書云々で何とか偉そうなことをいうのとは違って、本物を動かすというのと、指示だけ出すとの間に物すごい距離があって、質的にもいろんなものがあるんだというのを意識しないと、本当の一番実現したい安全は出てこないんだというのを、どこかで学んだことにして言わないといけないんではないか、今、効いていると、すごくそういう感じがします。
また、どうぞ、元に戻ってください。
吉田調書 2011年7月22日 40ページ
話の源流をたどれば、現場の状況は最前線で働くスタッフにしか分からない面がある。吉田所長自身も、対応の当初は現場の状況に対して理解が足りない面があったと告白していた。中央操作室、円卓、東京の本店、さらには官邸など現場から距離が遠くなるほど情報の共有は難しい。そこに課題があるという話だった。
それが、中央操作室、円卓は理解しているが、そこから先はまったく分かっちゃいないという話になり、命令ひとつ、ボタンひとつで何でもできるはずという考え違いについてビビットに訴えていくという方針が打ち出される。質問者は「我が意を得たり」と快哉を叫ぶ。
「現場との距離感」を改善するためにどうすればいいか、という問題が、組織なり個人の糾弾になりかねないところに変容していく。
聴取に当たっては、あらかじめ検討された質問の流れがあることは、加藤氏と考えられる質問者とのやり取りの中でも見てとれる。質問シートを事前に作成するのは当然だろう。しかし、上記のやり取りを読んでいると、状況や原因を解明することを目指した聴取シートとは異なる色合いの、恣意的な介入、あるいは誘導が行われていると考えざるをえない。
吉田調書は難物である。難物という意味は、単に内容が膨大かつ専門的であるということに加えて、様々なノイズが夾雑していることを十分覚悟して、それらを丁寧に取り除きつつ進める必要があるということだ。
文●井上良太
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