今回からは2011年7月29日に行われた吉田昌郎所長へのインタビューを紹介します。
○質問者 では、早速、私、事務局加藤の方から、まず伺わせていただきます。
前回は、最後の方、駆け足だったんですが、1号機の水素爆発、つまり、3月12日15時36分ころの事象についてまで伺いまして、まず、12日の15時36分に1号機で爆発が起こったということについて、このとき、所長は、免震重要棟の緊対室(注:緊急対策室)の方におられたということでよろしいですか。
○回答者 そうです。
吉田調書 2011年7月29日 3ページ
また地震だと思った1号機の爆発
インタビューは冒頭から核心部分、1号機の爆発についてのやり取りだ。
○質問者 この爆発については、どのようにして把握をされましたか。
○回答者 これは、まず、状況から言うと、爆発については全然想定していなかったという状況で、現場的に言いますと、ちょうど1号機のSLC、ホウ酸水注入系の起動準備ができたと。あとは、スイッチを押すというか、中操(中央操作室)の操作をすれば、原子炉への注水が完了できますよというような状況になっていた。
そういう状況で、では、注水するかというときには、まず、その時点では、免震重要棟から1号機が全然見えないんですね.線量が高いですから、
外に出られないような状況で、だれも外に行って見ていない。そのときに、下から突き上げるような、非常に短時間のどんという振動がありましたものですから、また、地震だという認識でおりました。
そうしているうちに、いろいろ情報が入って、現場から帰ってきた人間から情報が入ってきて、1号機の原子炉建屋の一番上が何だか柱だけになっているという情報が入ってきまして、何だそれはということで、その後、けがした人間も帰ってきて、状況を現場にいた人間から聞くと、1号機の原子建屋の上が爆発したみたいだという情報を聞きました。
ですから、直接私も爆発したところは見ていませんし、そこの状況を話で聞いた状況です。
それで、すぐに偵察といいますか、線量がまだ高かったんですけれども、状況が見られますので、見てくるということで、偵察に行かせましたら、今のような状況で、上が柱だけで壁がなくなっているという状況。
それで、すぐさま確認した後で本店の方にも報告をして、どうも爆発したんじゃないかと、原因はわからないと、いろんな説があって、原子力発電所の中には、主発電機という、いろいろ電気を起こしている発電機に、水素を供給して、発電機を冷却するために、水素が入っているんですよね。そういう水素に引火したとか、最初は原因がわからなかったといいますか、今だからこそ、格納容器から漏えいした水素が上にたまって爆発したんだろうと、そういうのは後になればわかるんですが、その時点では、原因がわからないという状況でやっていました。
吉田調書 2011年7月29日 3ページ
またしても、緊急対策室が現場の状況から隔絶されていたのかが語られる。津波襲来も分からない。全電源喪失も分からない。消火ラインからの注水が成功したかどうかも分からない。ベントできたかどうかも分からない。
そして、1号機の爆発すら緊急対策室で円卓を囲む発電所幹部たちは分からなかった。
これでは一体、何のための緊急対策室なのか。シビアアクシデントに対応する体制がまったく整えられていなかったということに他ならない。もしも中越沖地震で発生した柏崎刈羽原発の火災が大々的に報道されていなかったら、おそらく福島第一には免震重要棟すらなかったことだろう。原子力発電所は何に備えていたのか。
水素爆発という話がまとまっていくプロセス
○質問者 今、最後におっしゃった格納容器の方から水素が漏れて建屋の上部の方に充満して、このような爆発が起こったんではないかと。そんな話というのは、いつごろから出始めたんですか。
○回答者 これは、その日のうちではあるんですけれども、しばらく経ってから、いろんな意見がありました。
現場にいた人間が、どうもタービン建屋から火花がいっているみたいな話が最初の段階で入ってきましたね、現場の近くにいた人間が、タービンということは、発電機の水素か何か、そっち側を疑われたんですけれども、だったらタービン建屋が壊れていないのはおかしいなと、何でということで、本店とも話をしている中で、格納容器から漏れた水素ではないかと、2時間ぐらい経って、その可能性が高いというようなことになったかと思います。
その時間感覚はあれですけれども、少なくともその日のうちには、一番可能性が高いのは、格納容器から出た水素による爆発だろうというのが大体見えてきた。
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1号機で起きた爆発は水素爆発と言われている。ただ、あくまでもその蓋然性が高いというだけで、水素爆発だったという証拠はない。すべてが、発生した事象に対して後追いで解釈が付け加えられていくというプロセスで進んでいく。
水素発生を予想していたか
話はここから爆発前に遡る。水素爆発であるとしたら、水素の漏出を予期していたかどうか、質問者の追及が始まる。
○質問者 当時、1号機が、特に3月12日の爆発する前、午後にはいってぐらい、そのころの1号機の原子炉の中の状態、炉心の状態がどのようなものだということを考えていましたか。
○回答者 格納容器の圧力が上がっていたわけですから、ベントしようということで、ベント操作をしたわけですね。
この前も申しましたように、本当にベントが行われているかどうか、いまだに私もわかりません。確信を持てない。というのは、それを示すモニタリング、そういうのが全部ないわけですから、それから最後は、ラプチャディスクといいまして、バルブを開けても、圧力バランスで、これをやぶれない、ベントしないわけですね。そうすると、ラプチャディスクというのは、やぶれたか、やぶれていないか、そこの支持するものは何もないですから、圧力が高ければやぶれるというだけの機械的な装置ですから、最終的には、スタックモニターが生きていない限り、本当に放出したのは、していないのかわからないと。我々は、1つはベント、もう一つは注水、この2本に絞って作業を傾注していた。それとSLも含めてSLCも、これを一生懸命やっていたんです。
吉田調書 2011年7月29日 4ページ
前回のインタビューでは、水素が漏れるという認識はなくて仕方がない、アメリカのマニュアルにもそんな記載がなかったという質問者による「誘導」が行われていたが、それと正反対の話が展開されていく。
○質問者 それで、注水やベントなんかをしているときの、炉心とか、あとは原子炉の水位、こういったところが、要するに炉心が露出して、相当程度損傷しているんではないかと。
○回答者 その認識は持っておりました。
○質問者 その場合には、圧力容器内で、炉心がそういう露出しているような状況になってくると、水素が大量に発生するというような。
○回答者 勿論、そういう認識は持っています。
○質問者 それは、理論的に考えるとそうだということなのか、あるいはその当時、そういう水素が大量に発生しているんじゃないかというようなこと、現実に、そういう認識を持っておられたんですか。
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水素発生の可能性は理屈として認識していたのか、現実味をもった危機として認識していたのか。答えは――
○回答者 持っていました。
ただし、それが、今からあれですけれども、格納容器の中に、要するにとどまっている、ある部分はリークするんでしょうけれども、基本的には格納容器の中でそれがとどまっているので、まずは、本当は格納容器の中の圧力を下げないといけない。ということは、ここの中の水素を外に、水素を含めてですけれども、加圧している原因が水素であり、中で発生する水蒸気であり、そういうものが圧力を上げているわけですから、これをベントで逃がしてやらないといけない。要するに格納容器の圧力を下げると、ベント操作というのは、そういうことなので、それをまずやるというか、この日の朝というか、未明からずっとそれにチャレンジしていたわけです。
それで、やっと実際に弁を開く操作をして、14時だったか、圧力が落ちたんです。それと、その直後に、この前も言いましたけれども、NHKのテレビカメラを見ていましたら、主排気塔から白い煙がぽっと出たんですよ。それで、うっという感じで、何だこれはと、これはベントができたんではないかということで、ベントが成功したんではないかという感じを持った。
ただ、それは、そういう状況証拠でしかないので、格納容器の圧力が下がったということと、何か増えているよと、本当に確認しないといけないのは、モニタリング、落ちてきていれば、モニタリングの値が一番ベントしたか、していないかの根拠になるんですけれども、それがなかったですから、状況証拠からベントが成功したというふうに考えられるということを報告した。
吉田調書 2011年7月29日 4ページ
水素発生は認識しているが、格納容器の中にあると信じて疑わなかった。さらに、ベントの目的として「水素を外に逃がす」という言葉が飛び出す。何とも苦しい。
原子炉建屋をリアクタービルと呼ぶ質問者
しかし、だ。前回のインタビューでも見られたが、話が核心に近づいたところでなぜか質問者が入れ替わったと思われる。
○質問者 そうすると、後から爆発が起こって、何が原因なのかということなんかをいろいろと議論している中では、後から振り返ってみると、炉心が相当程度露出して、そこに圧力容器の中で、まず、水素が大量に発生して、それが格納容器内に出てきて、そういうところからリークしたものが上部にたまったんじゃないかと、後から考えると、それが結び付いてきたということになりますかね。
○回答者 はい。
○質問者 それで、現実に振り返ってみると、前日11日の夜ころリアクタービル(注:原子炉建屋。なぜ質問者がここで呼び方を変えているのか要注目)の内部あるいはその周辺では放射線量が相当上昇していて、これは格納容器の中からどんどんリークしていたという可能性が高いわけですね。
○回答者 高いですね。
○質問者 そのような状況証拠なんかも併せてすっと考えてみると、やはり建屋の中に水素が充満して、それが爆発したんではないかという可能性が一番高いんじゃないか、そういう議論になっておったという理解でよろしいですか。
○回答者 そういうことです。
○質問者 それで、今、話が前後いたしますけれども、当時、爆発の前から、今、SLCということで、これはホウ酸水の注入ラインを、これは主に2Cというパワーセンター(注:電力供給を担う機器が収められた部屋や筐体。電力業界の専門用語)の辺りに電源車をつないで、それでケーブルを通して、1号機、それから2号機もそうだと思うんですが、SLCの注入系というとを1つきちんとラインを整えて、それで注入しようと試みておられたということなんですね。
○回答者 はい。
吉田調書 2011年7月29日 4~5ページ
「後から考えると」を強調する質問者。この間のやり取りは質問者が自説を開陳し、それに対して所長が認めるということの繰り返し。これはいったい何事だろう。やり取りのテーマは、水素が格納容器からもれることを予期できたか、どうか。これがもしも刑事罰を争う裁判であれば核心部分だ。
原子炉建屋を「リアクタービル」と、これまでのインタビューでは出てこなかった言葉で呼び、パワーセンターに電源車とケーブルを繋いでといった事前に予習したのだろう現場対応について語る。この質問者は、前回頻繁に口を挟んでいた質問者とは別人だ。おそらく、あの人物だろうという目星もつく。
政府が吉田調書を非公開とした最大の理由は、このようなインタビューの実態をとてもじゃないが公表できないと考えたからではないか。その思いをますます強くする2回目のインタビューは、爆発をめぐって続いていく。
(つづく)
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