東京電力「吉田調書」を読む(4)総理の来訪、時間の記憶がほとんどない

iRyota25

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原発の敷地の外側、大熊町や浪江町、相双地域の人々がどうしているか、周辺住民のことは何も分かりませんと応える吉田所長の言葉に、質問者は「これも外のことですが」と水を向けたのは、当時の菅首相が3月12日に事故原発を訪れた時のことだった。

現場が全然うまくいかない状況

○質問者 では、また、外からの情報なんですが、6時50分に経産大臣が法令に基づくベントの実施命令ということで、これはベントやるよということで報告を挙げていって、その了解をもらっていたわけですね。それに向けて一生懸命準備していたわけですね。

 ここで、このタイミングでなぜ経産大臣が法令に基づくベントの実施命令、手動によるベントみたいな、こういうことが出るのか、その経緯はおわかりですか。

○回答者 知りませんけれども、こちらでは頭にきて、こんなにはできないと言っているのに何を言っているんだと、極端なことを言うと、そういう状態ですよ。実施命令出してできるんだったらやってみろと、極端なことを言うと、そういう精神状態になっていますから、現場が全然うまくいかない状況ですから。

吉田調書 2011年7月22日 49ページ

自治体への対応について「外のことはわからない」と語ったひとつ前のインタビューのテーマは、消防車による1号機炉心への注水が始まったという話だった。格納容器の破裂を防ぐために何が何でもベントをしろというテーマに移ったとたんに、吉田所長の言葉の調子が一変しているのがわかる。

○質問者 これは、要するに先ほどの話だと。

○回答者 多分、私はわからないですけれども、さっきの小森の話も、やはりベントに物すごい、勿論、こっちもこだわっているんですけれども、できないんですよと言っている話がちゃんと通じていかなくて、要は、何かぐずぐずしているのか、何か意図的にぐずぐずしていると思われていたんじゃないかと思うんですけれども、我々は現場では何をやってもできない状態なのに、ぐずぐずしているということで、東京電力に対する怒りが、このベントの実施命令になったかどうかは知りませんけれども、それは本店と官邸の話ですから、私は知りませんと言うことしかないんです。でも、こっちは必死で手配していたということしかないので。

吉田調書 2011年7月22日 49ページ

「先ほどの話」とは、「東京電力「吉田調書」を読む(1)」で触れた現場との距離感のことだろう。現場と円卓の距離は埋まっていったが、本店、官邸と距離が遠くなっていくと話が通らない。そんな話が「東京電力対する怒り」という言葉を織り交ぜて具体的に語られる。燃えたぎるような吉田所長に質問者が投げかけた次の質問は…。

総理が来る目的は…「知りません」

○質問者 この辺り、そのあと7時11分に、内閣総理大臣が到着されるということが書いてあるんですけれども、総理が来られるということは、いつごろそういう話になったんですか。

○回答者 時間の記憶がほとんどないんです。いつ最初の情報が来たとか、でも、多分1時間くらい、今出られたと、ヘリでですね、そういう話が入ってきているので、到着の最低1時間以上前には出られたという話が入ってきているはずですから、その6時前後とかには、来るよという情報は入ってい来たんだろうないう、これは今からの推定ですけれども、そうだと思います。

○質問者 これは、本店を通じてですか。テレビ会議か何かで。

○回答者 はい。

○質問者 では、何のために来るということだったんですか。

○回答者 知りません。

○質問者 そういう目的も伝えらず、いきなり来ると。

○回答者 行くよという話しかこちらはもらっていません。

吉田調書 2011年7月22日 49~50ページ

招かれざる客。たしかに大変な対応をしている中、迷惑だったのはよく理解できるが、この辺りでやり取りされる言葉の棘のようなものは、読んでいてあまりいい気分がするものではない。

○質問者 実際に、向うに来られたときというのは、総理とほかにはどういった方が来られていたんですか。

○回答者 私は、覚えているのは、総理と班目原子力安全委員長と、それから県の代表だと思うんですけど、内堀副知事の顔は知っていますから、その御三人は覚えていますけれども、ほかに数名いらっしゃったんですけれども、防災服を着て、その人の顔は存じ上げないので、どなたかよくわからない状態ですが、総勢10名くらいいらっしゃったんでしょうか、そんな感じで。

○質問者 そのときの、プラント側の方の、サイト側の方の対応はどなたがされたんですか。向こうから来られますね。所長がまず対応されますね。ほかに一緒に対応されたのは。

○回答者 私だけです。

○質問者 お一人だけですか。

○回答者 私だけです。指示をしているので、ベントの継続だとか、その辺の指示をして、ちゃんと継続してやれと、それで何かあれば、あのとき携帯が通じなかったら、PHS通じなかったら、だれかこっち来いと指示をして、それで、そういう対応をしていた。

吉田調書 2011年7月22日 50ページ

総理は「円卓」へは来ず

○質問者 その御一行は、免震重要棟の方に来られたんですか。

○回答者 そうです。

○質問者 免震重要棟の2階には緊急対策室がありますけれども、そのお部屋に来られたわけではないんですか。

○回答者 いえ、違います。免震重要棟は円卓がここにありますね。大きい部屋がこうありますけど、私はこの辺に座っているんですけれども、ここに構造上、廊下がこうあって、ここに席を用意して、ここに総理、ここに■■さん、ここに内堀さんいて、あとは、よく知らない人がいらっしゃって、SPの人がいらっしゃって、私と武藤がここにいて、ユニット所長、■■とかが代わりに指揮を取ると、あとは班長が、だからここで判断できないことがあれば言いに来いという形です。

○質問者 武藤さんは、どこにおられたんですか。

○回答者 オフサイトセンターに。

○質問者 では、総理が来られるのに合わせて。

○回答者 それで、オフサイトセンターからこちらに来た。

吉田調書 2011年7月22日 50ページ

武藤さんとは、当時の東京電力副社長(代表取締役)原子力・立地本部長、武藤栄氏のことだ。

○質問者 これで来られて、総理は、結局何をここで所長に対してお話をされていたんですか。

○回答者 まず来られて、ここから先に案内していたので、そこから私が入っていって、座った時点で、かなり厳しい口調で、どういう状況になっているんだということを聞かれたので、要するに電源がほとんど死んでいますということで、制御が効かない状況ですと、何でそうなったんだということで、その時点ではっきり津波の高さもわかりません、津波で電源が全部水没して効かないですという話をしたら、何でそんなことで原子炉がこんなことになるんだということを班目先生に質問したりとか、そういうことをされていて、要はそういう現場の状況を説明して、あとはベントについて、ベントどうなったというから、経産大臣から命令が出た直後だったので、出ましたと、我々は一生懸命やっていますけれども、現場は大変ですという話はしました。記憶はそれぐらいしかない、時間はそんなに長くなかったと思います。

○質問者 たとえば今のベントなんか、先ほどの話ですが、国やどんどん現場から離れていくと、その認識が薄くなってくると、どれだけ大変なのかということがね、それで、この機会なんかに、いかに今、現場が厳しい状況になっているかということは、説明されているんですか。

○回答者 そこは、なかなかその雰囲気からしゃべっる状況ではなくて、現場は大変ですよということは言いましたけれども、何で大変かということですね、十分に説明できたとは思っていません。今となってはですね。要するに自由に発言できる雰囲気じゃないじゃないですか、首相の場合、えっということを聞かれるのに答えているだけですから。

吉田調書 2011年7月22日 51ページ

総理の前に出た途端に、威圧されてしまったのだろうか。インタビューに応える言葉から、3月12日の免震重要棟の様子が見えるような気さえする。言葉の最後は「自由に発言できる雰囲気じゃないじゃないですか」と同意を求めたりもしている。吉田所長の頭の中では、おそらくその時のこと、総理の威圧感のようなものも含めてよみがえっていたのだろう。吉田所長は感情が正直に再生される人なのかもしれない。

質問者から小さな助け舟が出される。

○質問者 それで、横の部屋に行けば円卓があって、そこでみんなでわいわいと対応をされている現場に近い状況が、壁一枚向うにあるんですけれども、総理はそこに激励なり。

○回答者 こういって、こう帰られましたから。

○質問者 行かれていないんですか。

○回答者 はい。

○質問者 中を。

○回答者 全く、こう来て、座って帰られましたから。

○質問者 それで、帰られたのは、8時ころなんですね。

○回答者 はい。

吉田調書 2011年7月22日 51ページ

この質問者はメインの質問者である加藤氏ではなさそうだ。ここも誘導の香りがする。

○質問者 この時系列を見ると、8時3分にベント操作を9時目標で行うよう、発電所長指示とあって、8時4分に内閣総理大臣が発電所を出発というのがあって、何か8時3分というと、まだ総理が出発される前というような感じになっているんですけれども、所長は、最後、出発するとろこまで見送りにいかれたり。

○回答者 行かないです。ここに運動場があるんですけれども、ヘリがここに着くんですね。ここからこう来て、こう入っていかれたわけなので、私らはここだけで、あとは、武藤がここまで迎えに行ったのと、送りに行ったと思います。私は、ここで。

吉田調書 2011年7月22日 51ページ

菅総理の原発訪問は事故対応にかかわる重大な出来事だったように語られるが、吉田調書を読む限り、短時間やってきて現場の迷惑にならぬよう退出した。国がしっかり見ているぞというポーズを見せに来た。その総理に所長は委縮しつつ対応した。その程度のことしか読み取れない。「激励すらしなかったんですか!」と盛り上がっているのは質問者の方であった。

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