東京電力「吉田調書」を読む(2)~絶望していました…

iRyota25

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平成23年7月22日に実施された吉田所長への聴取は、東京電力が公表していた時系列の書面を見ながら、地震発生から津波到来、全電源喪失、そして爆発の直前までの状況を聞いている。

調書ではまず、吉田所長の東京電力入社後の経歴を尋ね、続いて地震発生時の状況、緊急対策本部について聞いている。

地震発生時、吉田所長は事務本館2階にある所長室にいたという。

机の下に潜ろうにも潜れないほどの揺れ

○回答者 まず最初に小さい揺れが来たんですけれども、あっ、地震だなと。書類などを読んでいたんですけれども、地震だなということで、立ち上がって、そうしたら、だんだん揺れが大きくなって、もう立っていられないぐらいの揺れになってきまして、棚の上に乗せていたようなものが落ちて、テレビががちゃっとひっくり返って、かなりひどい地震だと。私の感覚ではかなり長くて、5分ぐらいかなと思ったけれども、後で聞くと3分ぐらいだったんですけれども、体感はちょっとあれですけれども、かなり長く揺れたていた感じがして、その間、動けないんですね。ですから、机にしがみついて、下に潜ろうと思っても、潜る余裕もないくらい、立ってやっていました。そのうち揺れがおさまってきて、大変な地震だなと思いました。

そこに入口があるんですけれども(注:地図のようなものを示していると思われる)、ここから外に出たら、天上(ママ)の化粧板が全部落ちていまして、本棚の書類なども散乱している状況で、白い煙が、天上が剥がれたほこりがぱっと舞い上がっている状況で、総務班の連中が何人か残っていて、どうだと言うと、みんな避難しています、では避難しろということで、外に出ました。本当は避難場所は免震重要棟の前に集まることになるんですけれども、このとき、ここからこう行く通路が避難通路なんですが、ここのシャッターが下りていまして、避難通路に行けない状況だったんで、こちらに広場があって、ここに結構な人間が避難してきた。ここに来いということで指示をしまして、全員をここに集めた。

吉田調書 2011年7月22日 8ページ

シャッターが下りた理由はわからない。おそらく防火扉で、強い衝撃を受けた時に落ちる構造になっていたのではないかという。

○回答者 そうです。本当の通路はその通路を通って、ここからこちらに出て行く。ちょうど1か月ぐらい前、防災訓練をやっていまして、避難時の通路を確認しておいたんです。たまたま私の部屋からは、そこのシャッターが下りていて使えなかったんで、階段を下りて行きました。

吉田調書 2011年7月22日 8ページ

机の下に潜りたくても潜れないほどの激しい揺れ。天井の化粧板が落ちて埃が白い煙のように舞い上がる屋内。本来の避難通路が使えなくなる状況……。

地震発生当初の緊迫感が伝わってくる。

地震直後はまず安否確認。担当ごとに人員の確認を行う中、所長初め幹部が免震重要棟にある緊急対策本部の部屋へ入って行く。しかし、緊急対策本部とはいっても、当初は安否確認が優先なのでメンバー全員がそろっているわけではなかった。

また、初動時に入ってくる情報は、原発のプラントに関するものと、安否確認に関するものが錯綜していた。

緊急対策本部の心臓部とも言える円卓は、原発の中央操作室とは別の建物にあり、また原発のパラメーターも円卓で直接確認できるものではない。各部署からPHSなどで入ってきたものを、各部門のトップが円卓で「発話」し、それに対して所長が「了解」と答える。同時にホワイトボードに情報が書き込まれる。情報はそのような形で情報が共有されて行く。その辺の経緯は、「吉田調書を読む(0)」で紹介したとおりだ。

外部電源が失われる

○質問者 まず、1号機から3号機までが無事にスクラムしたかどうかの確認、これはどうだったんですか。

○回答者 大丈夫だということです。

○質問者 大丈夫だという報告。それは津波よりも先に把握されていましたか。

○回答者 はい。

○質問者 あとは、電源関係なんですが、ここに何か以上が生じているということだったのか、あるいはどういった報告が。

○回答者 そこが、時系列は私もよく覚えていないんですけれども、外部電源喪失というタイミングがどこであれしたか覚えていないんですけれども、外部電源喪失というタイミングがどこであれしたか覚えていないんですけれども、非常用DG(注:ディーゼル発電機)が回っているんで、外部電源喪失がこの時点であったと思います。これは多分、地震によって送電線ないしは開閉所の機器がこのタイミングでやられているんだと思うんです。普通、外部電源が生きている場合は非常用DGは自動起動しませんが、自動起動したということを聞いて、外部電源がなくなったんだということは確認したんです。

吉田調書 2011年7月22日 11ページ

原子炉に制御棒が入り、核分裂反応を停止させるスクラム。これは成功した。しかし、核燃料が発する熱のすべてが核分裂反応によるものではなく、放射性物質が崩壊して過程で発生する崩壊熱が数パーセントある。

結果的にこの熱が今回の原発事故の直接の要因となったわけだが、原子炉には崩壊熱を冷ますために、原子炉停止中の冷却システムが複数備えられている。電源がなくても起動するものもあるが、電気がなければ動かないものもある。また原子炉の配管のバルブの開け閉めも、電源によるものが多い。原子炉は電源が命でもあるのだ。

スクラムに成功した後、ディーゼル発電機が起動した。これは外部電源が生きていれば自動起動することはないという。発電機が動き出したということで、吉田所長は外部電源が失われたことを「間接的に」知ったと語る。

原子炉にとって重要な電源について、直接モニターできないという点に問題はないのだろうか。そんな疑問が残る場面だ。

津波の到来

原子炉をめぐる重要な状況を直接知ることができなかったのは、外部電源だけではなかった。津波の到来すら、緊急対策室にいる吉田所長たちはタイムリーに認知することができなかった。

○質問者 次に、津波が実際にやってきて、津波が来たことというのは、その時点ですぐにわかるものなんですか。

○回答者 わかりませんでした、私は。

○質問者 どうやって把握されましたか。

○回答者 逆に言うと、全電源喪失を聞いたときに、DGがだめという話が、えっということなんです。そのときに、海の監視用のテレビなどというのもこちら側になかったんです。円卓の方に監視用のカメラのデータが届かない状況になっていましたから、外の状況が何もわからないんですね。要するに、テレビで、NHKの津波注意報と、現場で、ぽっぽっと上がってくる情報ぐらいしかないものですから、海の状況がどうなっているかというのは円卓からはわからない。だから、津波到達についても、中央操作室(注:各原子炉の操作室)の人もわからないと思うんです。外が見えないですから。ですから、後で、外に行って、なおかつ別の建屋から見ていた人から入ってきた話だと、津波が来たという話はちょっと後で来るんですけれども、異常が起こったのは37分の全交流電源喪失が最初でして、DGが動かないよ、なんでだという話の後で、津波が来たみたいだという話で、だんだんそこに一致していくんです。この時点で、えっという感覚ですね。

吉田調書 2011年7月22日 20ページ

以前の回でも引用した箇所だが、非常に重要なのでもう一度引いた。

津波が到達したことを直接知ることができなかったということ以上に重大なのは、全電源喪失という原子力発電所にとって最大の危機的状況、シビアアクシデントの発生によって初めて津波が来たのかもしれないと推察したという点だ。

津波がどのような被害をもたらすかは、まったく想定することはできないだろう。地下部分の水没ばかりではない。補助的な建屋の一部が破損したり、配管が壊れたり、自動車や巨大なタンクまでが流されたり、その後の対応に影響を及ぼすさまざまな事態が同時に引き起こされる。

そんな津波災害の発生を推定できたきっかけが、原発最大の危機である全電源喪失だったとは。ありとあらゆる災厄が同時にやってきたと言っても過言ではないだろう。

全電源喪失

全ての電源が失われるということは、計器類も動かなくなるということだ。吉田所長は原子炉のパラメータの中でも、圧力容器内の水位と圧力が最も優先順位が高いものだと答えている。

○質問者 計器類の復旧などについて、優先順位ですね、水位計についてのバッテリーなり、そういったものを優先的に復旧させて使えるようにしろという話は、署長の指示で出されているのか、恐らく、そういうことは発電班なり。

○回答者 計器が見られなくなったという時点が、報告があったのが、中操(注:中央操作室)から即ではないんですね。時間遅れがあって計器が見られなくなったという話が、どのタイミングか、私も記憶にないんですけれども、まず最初にDG停止しましたと、一義的にディーゼル発電停止ということがあって、10条通報しています。その直後あたりから、ぽつぽつ情報が入ってくるんです。中操の照明が消えたとか、計器が見えないとか。

中央操作室も、1、2号の中央操作室、3、4号の中央操作室、両方ありますが、それぞれ情報が来るんですけれども、大変短時間にぽつぽつ来る。消えました、どういう状況にあるか確認しろ、景気は何が見えているんだ、こうやって、結局、行って帰ってくる時間がありますから、そこのタイムラグがあって、ここに書いてあるように、タイミングで円卓からわかっているわけではないんです。

ですから、いろんな状況を確認して、計器が見られない、なんとか見えるようにしろという話はしています。そのときには、今、おっしゃったように、当然のことながら、水位と圧力は常識ですから、水位と圧力を見るんだと。それを私が具体的に指示したかどうかは別にして、計器をまず見えるようにしないと何もできないから、何とかしろという話はした。

吉田調書 2011年7月22日 22ページ

そして吉田所長の口からショッキングな言葉が語られる。

○質問者 結局、計器類についての電源復旧も必要でしょうし、非常用ディーゼルが使えないということになって、次にどういう対応を取ろうとお考えになられたんですか。

○回答者 絶望していました。基本的には、私自身ですね。シビアアクシデントに入るわけですけれども、注水から言うと、全部のECCS(注:非常用炉心冷却装置)が使えなくて、ICとRCICが止まって、HPCI(注:それぞれ非常用復水器、原子炉隔離時冷却系、高圧注水系)がありいますけれども、それらが止まった後、バッテリーが止まった後、どうやって冷却するのかというのは、検討しろという話はしていますけれども、自分で考えても、これというのがないんですね。

○質問者 答えがない。

吉田調書 2011年7月22日 23ページ

絶望していました。

この言葉には震撼させられた。原子炉を冷やすための手段がほとんどない。冷やすことができなければ原子炉はどんどん高温になり、圧力容器内の水が沸騰・気化して失われる。むき出しになった燃料棒はやがて融け落ち、チャイナシンドロームのようなことになる。おそらくそんな想像が吉田所長をはじめ、緊急対策室の円卓に座る幹部達、それぞれの原発の中央操作室にいる所員たち全員の頭をよぎったことだろう。

これが津波到達直後のことなのだ。地震発生からほぼ1時間ほどで、絶望的状況に追い込まれてしまったのだ。

しかし、そんな絶望から吉田所長たちの模索が始まる。

(つづく)

最終更新:

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