台風18号避難小記

Kazannonekko452

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避難勧告

風邪で寝込んでいた10月6日月曜日、台風18号がやってきた。咳でぐっすり眠ることができなかった未明から、雨は降ったり止んだりしていたが、夜明け過ぎ頃には止んでいる間隔が狭まってきて、市内の小中学校は早々に休校になった。子供の学校もお休みだ。僕はとにかく眠りたかった。その時点では台風よりも風邪の方が深刻だった。

8時を過ぎた頃からか、雨の降り方が変わった。とても寝ていられないほどの雨音になった。近くの川の堤防の上を消防団の消防自動車が走りながら、マイクで何か言っているがよく聞き取れない。防災無線の放送も何度も聞こえてるがやはり聞き取れない。

ベッドから起き出して2階の窓から外の様子をうかがってみると、家庭菜園に借りている畑には大きな水溜りがたくさんできている。驚いたことに、畑の一段低い場所は水没していた。まるで水田のように、というよりは貯水池のようになっていた。

鼓笛隊の小太鼓だけで構成したオーケストラみたいな雨音の中、とぎれとぎれに聞こえてくる消防や防災無線の言葉を継ぎはぎすると、どうもこんな風に言っているようだ。

「市内全域に避難勧告が出されています。避難の準備をしてください。避難に時間のかかる方は避難所への移動を始めてください」

少し不安になってきた。

自分に都合のいい情報を寄せ集める

この場所に引っ越してきて6年ほど。子供が転校した学校に登校する2日目に大雨が降ったことがある。その時は小学校近くの田んぼの水が町にあふれた。床下浸水だった家も何軒か出たかもしれない。それからも3年に2回ほどの頻度で一級河川の水位が堤防に迫ることがあった。岸辺に密集するヤナギやノイバラの枝に大量のゴミが引っかかって、カヌーで川表から行うリバークリーン活動では、とてもじゃないが取りきれないことがあった。大正時代か昭和の初めに五島財閥が植樹した川岸の桜が、増水した川に根本をえぐられて大量に倒れたこともあった。

それでも、けっこう増水したよなあという時でも、本流から水が溢れることはなかった。せいぜい市内の小川や側溝、用水路や田んぼなどから水が溢れる程度だ。

しかし、この地方は昭和34年には歴史に残る大水害が発生したことがある。山中では鉄砲水で山の尾根が破壊されて川の支流2つが直結するという激烈な現象も起きた。山から流れ出した木々などが橋脚をうずめてダムのようになり、それが一気に決壊して何百人もの人々を生きたまま押し流した。川が屈曲している場所は、犠牲になった多くの人が流れ着いた場所として慰霊碑が立てられている。

でも、その水害の時でも、自宅周辺の被害は軽微だったと聞いた。引越す前の頃だったか、鎌倉時代から続くというご近所のお寺の住職が「市内は水に浸かりやすいが、この辺りは昔から災害に遭うことがほとんどなかった」と話してくれたことがある。だから古いお寺が多いのだと。

雨の降り方が変わった直後から、風も猛烈になってきた。市のホームページを見ると、道路が何カ所かで通行止めになっている。いずれも水に浸かりやすい場所だった。ちょっと表を見てくると、制止する間もなく外へ出た子供が10秒もしないうちに玄関に飛び込むように戻ってきた。体中びしょ濡れだ。避難できるような状況ではない。間の悪いことに車も家人が乗って出かけていたが、この暴風では車の方が危険に思われた。なにしろ避難場所に指定されている小学校へは、市内で最も浸水の危険度が高いエリアを通り抜けて行くしかほかに道がないからだ。視界の悪い中、冠水した場所に突っ込んで身動きが取れなくなったら目も当てられない。しかし、一番の問題は風邪で足元がふらふらしていたことだ。

避難所へ行くかどうするか。避難する方がかえって危険だという考えに天秤は傾いていく。住職の話、ハザードマップでもこの場所の被害が軽微だったこと、通行止めになっているのは特に浸水しやすい場所だということ、風雨がますます強まりそうなこと、歩いていくのがしんどいこと……。

避難しない判断を正当化するようなことばかりを考えていた。

最大の安心材料は国土交通省の「川の防災情報」というページだった。

遠隔操作で測定された川の水位が自動でグラフに表示される。水防団待機水位、氾濫注意水位、避難判断水位、氾濫危険水位を越えているかどうかを、ほぼリアルタイムに知ることができる
遠隔操作で測定された川の水位が自動でグラフに表示される。水防団待機水位、氾濫注意水位、避難判断水位、氾濫危険水位を越えているかどうかを、ほぼリアルタイムに知ることができる
 国土交通省【川の防災情報】地方選択
www.river.go.jp  

近所の観測ポイントの水位を見てみると、水防団待機水位に迫ったり超えたりしている地点はあったが、避難判断水位まではまだ余裕があった。

大きな川が氾濫する昭和34年の水害のようなことにならなければ、この場所は大丈夫だろう。家を揺さぶる暴風を聞きながら、いったんは避難しないことに決めた。

いったん不安に駆られると

雨風の音が激しすぎて、もう防災無線の放送は聞こえない。鐘を叩きながら近くまで巡回してくる消防車の音声が時折聞こえてくるばかり。子供は学校が休みになった友だち何人かとスカイプでおしゃべりしている。

「いますげー雷が落ちたぜ」とか「高校の近くのスーパーの駐車場は水没してるらしいよ」とか「この辺の電車も全部止まったな」とか「明日はどうだろう」とか。暢気なものだ。

消防団の消防車がひときわ近くまでやってきた時、「氾濫水位を超えました。避難できる人は速やかに避難してください」と言っているのが聞き取れた。

ばかな、と思いながら川の防水情報のテレメータを確認する。近所の観測ポイントではないが、少し上流側と下流側の地点で避難判断水位に迫っていた。しかし、最寄の数か所の観測ポイントの数値はまだ少し余裕がある。

それでも、水位を示す折れ線グラフの角度がまるで二次関数のグラフみたいに急こう配になっていた。どの観測地点でもだ。スカイプでの子供たちのお喋りにあったスーパーの駐車場という言葉も気になる。その近くの水位を見ると避難判断水位を超えていた。

さらにいくつかの観測ポイントを見てみると、何カ所かグラフが表示されていないところがあるではないか。水害の危険が迫る中で欠測するとはどういうことなのか。

台風のせいなのか、あるいは停電のせいか。いずれにしろ何らかの原因で故障している可能性がある。とすると、いま自分が安心材料にしている近隣の観測ポイントのデータだって、何らかの外乱で正確ではないおそれがあるのではないか。

消防団が「氾濫水位を超えました」と告げて回るのは、早めの避難を促すための方便の可能性もあるが、実際に水位上昇は危険な状況で、国交省のテレメーターのデータの方が間違っている恐れもある。

安全と思い込むための材料にしてきたことが崩れ去っていくように感じた。

自宅から数百メートルの場所を流れる一級河川の本流には、昭和の大水害の後、海へと続く放水路が築かれた。巨大なトンネルと水路を開削し、本流が氾濫しそうになった時には巨大な水門のゲートを上げて、水を海へとバイパスする。これだけの大雨だから、当然、放水路のゲートは開いているだろうと思っていた。

しかし気になるのは、スーパーの駐車場が水没というスカイプ情報だ。放水路が開かれていれば、スーパーはそのすぐ近くだから浸水の危険は少ないはずだ。でも本当に水に浸かっているとしたら、放水路のゲートが上がっていない可能性もある。

放水路を管理する事務所を見学した時のいくつかのやり取りが頭に浮かぶ。巨大なゲートはモーターで開閉するということだった。もしもモーターが故障した時にはという質問に、河川事務所のスタッフは最後の最後は人力でゲートを開くと話していた。そのような訓練はされているのですかと畳み掛ける質問には、よく聞き取れない答えだった。古くからの地元の住民が耳打ちした。水門を開いて水を海に流すと、放水路の河口の外側の養殖施設に損害が出る。放水は損害賠償覚悟の上の大変な決断なんだと。だからまあ、手動でゲートを開くといった訓練をやっているかどうかというのは、つまりそういうことなのかもしれないね。
(注:あくまで伝聞による話です)

放水路が開放されていなければ、水位はますます高まるかもしれない。最終的には堤防を乗り越えたり決壊したりする危険がないとは言い切れない。この辺の住宅地の敷地から3メートル以上高低差がある堤防を濁流が乗り越えて流れ込んでくる様子を想像してみる。手がふるえた。

しかし、雨と風は激しさを増すばかり。消防車の音も聞かれなくなった。

風が少しおさまったら避難しようと子供に話した。市内の小河川や揚水が冠水した時の身の危険と、一級河川が万一結果しした時の危険は比べるまでもない。早めに避難しなかったことを悔いるしかなかった。もしもあまりに風雨が激しかったり、市内の浸水が酷かった時にどうするか、混乱する頭で避難のための準備を進めていた午前10時30分頃、突然風雨がおさまった。外に出ると日差しまである。

たぶん台風の目だったのだろう。

いまのうちに避難する? と子供は言った。でも台風の目は通り過ぎると同時に最大規模の暴風雨が再来する。もう少し雲の様子を見てからにしようとしばらく待って、雲の切れ間から遠くに富士山が見えたのを確認してから、小学校の避難所に向かった。

幸い被害はほとんどなかったが

外に出てしばらく行くと、側溝の蓋の隙間から噴き出すように水が溢れている箇所があった。盛土をした道路から1メートルほど高い敷地の住宅が床下浸水といえるほどに水に浸かっているところがあって不思議だった。石垣のように積まれた間知石の隙間から水がちょろちょろと道路に流れ落ちていた。側溝の蓋の隙間にゴミが塞がって、ついさっきまで水が溢れていたことを物語っている場所もあった。しかし総じて被害は軽い様子だった。

学校の近くの田んぼでは収穫直前の稲が大量に倒れて水に浸かっていた。15分ほどの小学校までの道のりを、ふだんの倍ほど時間をかけて歩いて体育館にたどり着くと、すでに避難所は撤収作業が完了するところだった。マットや机が片付けられていく。入り口の貼り紙と、テーブルの上に残された名簿らしき紙片のほかは、この場所が避難所だったことを示すものは残っていなかった。

通過後に風雨が急速に弱まったおかげで無事に避難所に歩いていくことはできたが、避難そのものは完全な失敗だった。

実感した避難の難しさ

たまたま風邪で寝込んでいたせいで、僕は避難困難者の状態だった。ふつうの体調であればもう少し早めに避難を決意できたかもしれないが、できれば動きたくないという気持ちが機敏な判断を妨げていた。

「たぶん大丈夫だろう」という頭では、いくら様々な情報を集めてもバイアスがかかった判断しかできない危険を身をもって経験した。古老の話もそう、ハザードマップもそう、ほぼ最新式の水位の情報であってもそう。思い込みを持った状態でいくら情報を集めても有効に使うことはできない。それどころか危険を高めるおそれすらある。

予断を許してはならない、とはそういうことなのだろう。

まして、過去に経験したことがないような災害が頻発している現実がある。これまでは大丈夫だったという経験則を無条件に信じることはできない。

その反対に、安心材料として頼ってきたものの信頼性が損なわれると、舞台が暗転するように不安が募る。手先がふるえているのに気づいた時には、下手するとパニックになるのではないかと恐れた。

避難に関しての心理的な側面もあるが、それを越える暴威を自然が発することも、病気で弱った体だからこそ実感させられた。逃げたくても逃げようがないのだ。逃げずに済むと思い込みたくなるのだ。

大正六年の大水害のことも思い出した。毎年台風被害に見舞われる日本では、暴風雨と堤防の決壊や高潮がセットで襲ってくる危険をいつも考えていなければならない。「このたびの台風はあまりにも激甚だったから死んでしまっても仕方がない」なんてことは誰も考えたくないだろう。

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重ねて思うのは、せっかくの情報をどう判断するかという問題だ。自分たちの生命の危険を冒して市内に警報して回った消防団の言葉を、僕は「安全側に立った、万一に備えてのもの」だと疑った。安全側に立っての警告だからこそ真摯に受け止める必要があったはずなのに、それができなかった。慢心というほかない。

さらに重ねて強調したいのは、ふだん元気な人間でも、体調が悪い時には避難困難者、災害弱者になるということだ。この場合、体調が悪いから動くのが億劫だと体の側では思っていても、意識だけは元気な時のままだから、さらにたちが悪い。

それではもっと単純明快に避難行動に移る手立てはなかったのか。振り返ってみれば、それは少なくとも一度あったのだ。上には書かなかったが、台風18号が浜松に上陸した直後、浜松に住む信頼できる友人から「この台風はやばい。とにかく避難を」と呼び掛けるFBメッセージが入った。その時自宅の周辺は、ようやく雨の降り方が強まってきた頃で、まだある程度安全に避難することはできたと思う。

たしか台風は西から東に65キロほどのスピードで進んでいたのだから、西に100キロ離れた場所の空模様は、1時間半ほど後の自分の住む場所の天候を先取りするものだった。そんなことも理解できないくらいに、体調不良のせいで判断力が弱っていたということでもある。

災害避難は難しい。甘く考えてはならない。

ふろく:河川は巨大な人工のシステム

昭和34年の大水害の後、近所の一級河川の本流沿いには高く丈夫な堤防が築かれた。これは全国でも同様だ。河川の改修工事は全国的に進められ、いまも続けられている。

堤防が高くなると今度は、大雨で水位が上がった時に本流の水が支流や用水路に逆流する危険が大きくなる。そのため氾濫の危険がある支流にも遡って堤防の整備が広範囲に進められた。

しかし用水路は田んぼや畑を灌漑するためのものだから堤を築くことはできない。だから用水路と本流などの間には水門(樋門)が築かれた。本流の水位が上がると水門を閉じて逆流を防ぐ。(市街地にある雨水を集めて流す水路も同様だ)

しかしそうなると今度は、市中に降った雨水が側溝や用水路を通って水門の近くに集まってきて、その付近を浸水させることになる。

そこで溜まった水を本流側に捨てるため、排水機場というものが造られることになった。排水機とは文字通りポンプを使って水を揚げ、水位の高い本流に向けて排水する施設だ。用水や雨水が本流に流れ込む場所のすべてに排水機場が造らるわけにはいかないから、場所によっては小規模な冠水は発生するかもしれないが、大規模な浸水を防ごうという仕組みだ。

このように、堤防を高くするといった形で人間の手を加えると、そこから連鎖して、水害から町を守るためのさまざまな工夫を施していかざるを得なくなる。それが、ある程度人口がある地域を流れる河川の現在の姿だと考えられる。

上流に治水用のダムがある河川の場合、想定された雨量に対しては町を水害から守る機能を発揮してくれることが期待される。しかし想定を超える雨が降ったり、あるいは近年のようにダムより下流で集中豪雨があった場合には、まさかの洪水も起こり得る。

もはや川は、山に降った雨が自然に流れをなして、周囲の小川から水を集めて海に向かって流れ下るという天然の姿ではない。人間の手によって堤防という囲いを造られ、所によっては放水路や排水機場のように電気を使って動作する仕組みも組み込まれた大きなシステムだ。防災・減災を考える上では、地域の川の「仕組み」について知っておく必要があるだろう。

※地元の河川の防災情報については、国土交通省の各地方整備局や都道府県の建設局などのホームページから情報を得ることができる。

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