[空気の研究]笑いの向うに

Rinoue125R

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笑いの向うに

広辞苑で越中ふんどしをひいてみたというと
みんな笑いを浮かべて
いまでは女性も恥ずかしがりもせず
明るく「どんななの」とたずねる
日本の男がしめていた六尺を
倹約して半分の三尺にしようと
越中守という殿様が考えついたらしいのさ
つまり手拭の端に紐をつけたようなものさ
越中ふんどしの話をする僕の心の中では
しかし静かに流れるものがある
「海ゆかば水漬く屍
山ゆかば草むす屍
大君のへにこそ死なめ
かえりみはせじ」
ことばもメロディも美しいが
流れる血汐
屍に湧く蛆虫
雨中に散らばる白骨
見るも無残な屍体の山
戦争で死んだ数百万の兵隊たちは
生きていたときはみな
ズボン(とは言わなかったが)の下に
越中ふんどしをはいていた
いまではその越中ふんどしを
広辞苑でひいてみる時代になったが
美しく巨大な新宿のビル街を透してふと
廃墟に生い茂る雑草の見える日があるように
活字の越中ふんどしだって
無言で語ることがあるのさ
僕も越中ふんどしをはいていたことがある
洗濯してもしみこんだ汚れが落ちないほど
汚れて茶褐色に変じた越中ふんどしを
いまは白髪の死に損ないだけれど
まだ二十歳を過ぎたばかりの青年だったよ

黒田三郎 詩集「死後の世界」

詩人の黒田三郎は大学を卒業した後インドネシアに渡って、現地で招集されて軍隊に入った。若い頃には戦争のこと、インドネシアのことを語ることはなかったそうだが、この頃の詩には当時を振り返るものがいくつか出てくる。

紙風船の詩をうたったくらいの人だから、ユーモアやペーソスが織り交ぜられていて、若い人にも読みやすい詩にまとめられているけれど、そこにはどうしようもない歴史が貼り付いている。

詩人は同じ詩集におさめられた「記録」という詩にこんなふうにも書いている。

誰でも知っていることが
かえって何にも後に残らない
三、四十年もすると
誰にもわからなくなてしまうことになる
戦争直前の学生のころ
僕らは「天チャン」と
「バカトノ」ふうに言ったものだった
神さまだなんてつゆ思わなかった
そういっちゃいけないところでは
子供でもそうは言わない、それだけのことである
外から見ただけでは
全くわからないが
今ではみんなズボンの下に
パンツをはいている
あのころはみんな越中ふんどしだった

(中略)

戦争中南方で
本人は大威張り、大真面目なのに
半ズボンの裾から
ゆるんだふんどしのはしがはみ出しているのを
よく見たものだ
「ああ 日本人ここにあり」
僕がいつのまにかパンツ常用者になったのも
戦後の物資不足で
手づくりのふんどしの材料の
白木綿が手に入らなかった所為であろう
僕の息子の中学生は
いまでは僕より巨大になり
ブリーフなるものを常用している
ブリーフをはいた息子は
天皇なんか全く気にしていない

「記録」黒田三郎 詩集「死後の世界」

終戦の日のテレビニュースの中では、70年前の戦争で日本が戦っていたのがどこの国なのか答えられない若者の姿が繰り返し映し出されていた。いまではテレビの街頭インタビューなんて信用ならないものの代名詞になりそうなくらいだけれど、ひとつ確実なことがある。

それは、「えー分からない」と恥ずかしげもなく笑っているテレビの中の若者も、いまこの文章を読んでくれている人も、何世代か遡れば、半ズボンの裾から汚れた越中ふんどしのはしをはみ出させていた日本人だったということだ。

信用するもなにもない。ひいじいさんか、おじいさんか、あるいはお父さんなのか、誰かがその時代を生きていたからこそ、僕たちはいまここに生きている。そのことだけは忘れてはならないと思う。

文●井上良太

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