ガレキと呼ばないで(富岡町のクルマたち)

iRyota25

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震災から約2年間、立ち入りが制限されてきた福島県双葉郡富岡町。
避難指示解除準備区域として昼間の限られた時間の立入が可能になった町には、
津波で被害を受けたクルマが多数残されていた。

もしも、自分が運転している時にクルマが津波に巻き込まれたら…。
青い初夏の空の下、想像せずにはいられなかった。

2013年6月22日
2013年6月22日

新興住宅地として整備される途上の町の空き地に1台の軽トラ。
この場所にやってきて、ちょっと駐車しているといった雰囲気だったけれど…。

一歩ずつ近づいていくにつれ、そうではないことが明らかになっていく。
サイドミラーやあおり(開閉できる荷台の囲い)が失われた軽トラは、津波でこの場所に流されてきたもののようだ。

荷台に芽生えた草は、このわずかな土砂で生きながらえることができるのだろうか。

集合住宅前の空き地にも1台。壊れてはいるが、津波被害ではないのではと思えるほど原形をとどめていた。

津波に浮かぶように流されながら、いろいろなものにぶつかったのだろう。サイドミラーが壊れている。それでも、車中に泥水は入らなかったようだ。

数時間にわたって海と化し、その後また陸に戻った場所に取り残されたクルマたち。
ひどく壊れたものにも、そうでないものにも、その1台1台にスクラップ業者のチラシが貼り付けられている。

ここにも1台。造成された宅地にぴったり着地?したように流れ着いている。

サイドミラーが壊れている。助手席のガラスも割れている。
近づいていくと、うっすら泥をかぶった車内には缶コーヒーが残されていた。

微糖の缶コーヒーが大好きな知人の顔が被って見えた。

富岡町は福島県で最大の津波高さを記録している。21.1メートルという到達高を記録したのは海岸近くの崖の上だが、市街地の浸水域は富岡川沿いを中心に、おおよそ標高10メートルの地域。(国土地理院「2.5万分1浸水範囲概況図」「標高がわかるWeb地図」から読み取り)

川に沿って先行して遡上した津波、海岸線を越えてきた津波、崖から流れ下る波など、富岡町の津波は複雑な流れとなって町なかになだれ込んできたのかもしれない。

このクルマがあった場所の標高は約8メートル。2メートルもの津波の中を浮かんできて、この地に落ち着いたのだとしたら奇跡的だ。

リアハッチの窓はなくなっていて、代わりに蜘蛛の巣が張っていた。

それにしても原形をとどめているクルマの多くで、
後ろの窓が割れているのはどういうことだろう?

原形をとどめているクルマのすぐ近くに、まるで違う状況のクルマが残されている。
どうしてこんなに違うのだろう。
何がこの差の原因なんだろう。

たぶん、クルマが転倒するかどうかが、大きな岐路になるのだろう。
屋根がやられるとクルマは脆い。ガラスは割れる。車内に津波が入ってくる。

ちょっとした水位の差。
津波の流れの強さの違い。
流されてきた大きなもの、重たいものにぶつかったかどうか。
2つの流れが合流するところで巻き込まれて、
不安定になって転倒したクルマもあったかもしれない。

水位が比較的低いところでも、ちょっとした差で運命がわかれる。

乗用車は50センチほどの水で浮き上がってしまうという。

転倒したクルマから飛び出した傘と冬タイヤ。
ガレキとか廃車などとは呼ばせない、物語が凝縮する。

海の近くでは消防車がたいへんなことになっていた。
つぶされた運転席に残るマイクは、住民たちに避難を呼びかけるのに使われたものだろう。このマイクからの声で、どれだけの人が命を守れたことだろう。

富岡町では消防団などによって多くの人が津波到達前に救助されたという。

(海岸沿いの)毛萱・仏浜・小浜等々の区長様に協力して消防団その他職員も含めて、ハザードマップの中にプロットしてあった一人暮らしや寝たきりの方など弱者の方々を一番先に救出しなさい」ということです。おかげさまで大部分の方は救出できましたが、避難指示に従わなかったり、戻られたりした25~6名の方が津波の犠牲になりました。(富岡町長・遠藤勝也氏の発言)

ダイヤモンドオンライン 警戒区域が解除された富岡町のいま【前編】――対談 富岡町長・遠藤勝也×社会学者・開沼博

駅近くに残されたクルマにも、ひどく壊れたものとそれほどでないものが混在する。

高級車のそばやクルマの屋根の上にバールが残されていた。
何に使われたのだろうか。

遠目から軽傷に見えても、津波の濁流が車内に流れ込んだクルマは悲惨な状況だ。どうしてクルマの中に泥に汚れた材木が転がっているのか。
しかもこのクルマは給油口の蓋まで開いていた。

町に残されたクルマを見ながら、

もしも、自分が運転している時にクルマが津波に巻き込まれたら…。
エンジン部分を下にして、車体後部が浮き上がったクルマの窓の向こうに、
押し寄せてくる2波、3波の巨大な水の壁が迫ってきたら…。
浮かんで流されていくクルマの前方に、大きな家が流れてきて、
ぶつかりそうになったとき、自分はどうするだろう…。
いよいよクルマが転倒して、割れた窓から濁流がなだれ込んで来たら。
もしもその時、クルマに大切な人を乗せていたら…。

津波の想像を振り払うことができなかった。

あれから2年4カ月ほどの時間が流れ、
富岡町に残されたクルマたちは、植物に埋もれそうになっている。

でも、
震災の記憶を埋没させてはならない。

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●TEXT+PHOTO:井上良太(ライター)

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