クルマ好きな方にはショックかもしれませんが、津波後に火災にあった自動車の成れの果ての姿を何枚か写真で紹介します。
クルマの話に入る前に。先日、岩手県の大槌町に行った時、小鎚川の河口の水門が撤去されていてびっくりしました。かさ上げ以外には分かりやすい形での復興の進捗が少なく感じていたからです。外見はきれいに見えましたが、内部はかなり破壊され、そのまま数年間、少なくとも半年前までは放置状態だった水門です。
この写真をとった場所の左側、堤防の外側はガレキ置き場になっていました。鉄屑や生活用品、漁具、建材、扇風機や冷蔵庫、傘など形が分かるものから、一見しただけでは正体不明のものまで。それは2012年のことでした。その頃は、まだガレキと呼ぶしかないという気持ちが強かった(その後いろいろな人と出会ったこともあって、いまではガレキと呼ぶのは違うと確信していますが)のです。たとえばこんな感じ。ガレキと呼ばずになんと表現すればいいのでしょう?
川の中に橋脚だけ残っているのはJR山田線です。現在でもほぼ同じ、手付かずの状態で大槌川の中に並んで立っています。
で、手前の赤錆びた「ガレキ」ですが、元はなんだったのか想像つきますか? 次の写真ではどうでしょう?
少なくとも2台の被災したクルマです。2台とも裏返しになっています。下のクルマはリア部分かな。上のクルマは赤錆びたボディの中にいまも収まっているエンジンが白銀色に鈍く輝いています。下のクルマのスチールのホイールは錆で真っ茶色ですが、上のクルマのアルミホイルは破損したまま車軸に止まったまま。
この写真を見た後で上の写真をよく見えれば、赤錆のボディがぐにゃぐにゃに変形した中に、部分的に白く光っているところが見えます。たぶんエンジン周りの合金製の部品の残骸なのでしょう。
初めて見た時には、赤く錆びたスチールの部分と、白く残ったアルミ合金でできている部分のコントラストに言葉をなくしてしばらく見とれてしまったのを覚えています。
自動車は火災で燃えてしまうと、こんな無残な姿になってしまうのです。
どうして燃えたと断言できるか? たとえ海水に浸かってしまっても、タイヤが融けたてしまったり、塗装が全部錆びたり、内装がまったくなくなったりはしないでしょう。
水没して引き揚げられた車両は、見た目がぜんぜん違うのです。下は自家用車ではありませんが、同じ頃、陸前高田で撮影したものです。車体全体にフジツボがびっしりです。だけど塗料も樹脂製のボディカバーも残されていました。
別の記事でも紹介しましたが、水没したクルマ(とくに海水に浸かったクルマ)は自然発火するケースがしばしばあります。あまりたくさん写真を紹介すると気が滅入ってしまうので少しだけにしましたが、大槌のガレキ置き場には数十台のクルマの残骸がその他のガレキと一緒に積み上げられていました。おそらくそのほとんどが発火や周辺の火災で燃えてしまって原形をとどめなくなった車両だろうと思います。
水に浸かった後に燃えるなんて考えにくでしょうが、クルマは可燃物です。濡れてしまうと勝手に火を噴くこともあるのです。水没したり冠水したクルマのエンジンを掛けようとしないでください。自然発火の危険を回避するためバッテリーのマイナス側を外して、別の場所にショートしないよう絶縁テープなどで保護する措置を行って、その上で販売店や専門の自動車会社等に連絡するようにしてください。
大規模な災害が発生した際には、ディーラーやJAFなどもなかなか動きがとりにくくなります。その間に、放置されている被災車両が自然発火で火を噴くのは非常に危険なのはお分かりですよね。車が破壊されただけでもショックなのは当然ですが、クルマが津波や水害等で冠水・浸水した際には、クルマのオーナーには自然発火を防ぐ措置を必ずお願いします。
ぜひお知り合いの方にも伝えて下さい。被災車両は発火すること。そして発火を防ぐ方法があることを。
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