東日本大震災・復興支援リポート 田老町と防波堤

tanoshimasan

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「数十年に一度、大津波に襲われるかも知れないが、  海に近く、漁業にも暮らしにも便利な場所」

 

 

 

「生活を営むうえでは何かと不便だけれど、  少なくとも津波に襲われる心配は少ない高台」

 

さて、あなたならどちらを選ぶだろうか。

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2つのプレートがある。

上は明治28年、下は昭和8年。旧田老町(岩手県宮古市田老)に刻まれた津波の歴史。

 

明治28年、昭和8年、

この2度の津波被害を経て、町は選択を迫られる。

海から離れたところで暮らすか、否か。

 

旧田老町の漁港の手前には大きな防波堤がある。その高さは実に10.7m。

建立当時は「世界最強」、「万里の長城」とも呼ばれた。 

 

昭和8年の津波を経て、町は防波堤を頼りに、海近くでの生活を再開した。

海の近くで暮らすことを、選んだ。

 

防波堤

 

コンクリートづくりの階段がある。

「津波避難階段」との指示、そこを登れば結構な高さだ。

2011年3月11日、

旧田老町を襲った大津波は、防波堤の高さを軽く越えたという。

 

田老の漁港へ。プレハブが並ぶ。

 

「あれでも意味がなかったわけじゃないんですよ。

 多少津波のスピードを遅らせたんで、逃げるまでに少しだけ余裕ができたみたいでね。」

通りがかりの男性にお話を伺うと、そんな答えが返ってきた。

「それでも何人かは防波堤を頼りにしすぎて、逃げ遅れちゃって。」男性はそう呟くと無表情で海を眺めた。

 

防波堤の存在は無駄じゃなかった。

しかし、安全を保障するには低すぎた。 

 

中には避難の指示通り防波堤の上へ逃げたものの、足下から迫り来る津波に、ただ飲まれるのを待つしかなかった。

そんな人も居たかも知れない。

 

3度の津波被害を受けた、田老。震災後、高地移転の声も高まっているというが・・・、

 

「明日は友達と海へ釣りに出るんですよ。」

唐突にそんなことを言う男性。しかし、楽しみなのだろう。そんな表情を見せた。

漁港は既に漁を再開して久しいようだ。昆布の香りが漂っている。

心まで海から離れることなんて、出来ないのかも知れない。

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