【シリーズ・この人に聞く!第191回】政治学者 中島岳志さん

kodonara

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おっしゃる通りで「利他プロジェクト」と連動して動いているのが「弔いプロジェクト」と「水俣プロジェクト」です。利他の世界観を回していくためには、過去に遡行しないといけない。学生を巻き込んで授業の一部にしていますが、水俣から毎週zoomで中継をして当事者の方からお話を聞いています。特に東工大は科学の最先端を担う人を育成する機関なので、水俣問題を理解すべきです。特許を取って名を成してやろうという科学者が、いかに世界を破綻させてしまうか。その声にどうやって耳を傾けるのか。科学を捉え直してほしくて学内ではそうしたプロジェクトも続けています。

――そうなんですね!声を聞くことは研究する上でとても大切な姿勢ですね。

僕は水俣で育った石牟礼道子さんを尊敬しています。水俣病が起きて1969年に『苦海浄土』を出版されました。そのプロセスで彼女も過去に遡行しています。足尾鉱毒事件をすごくよく調べて、足尾鉱毒事件で亡くなった人たちの声を聞くのが彼女の水俣病への向かい方でした。

3.11東日本大震災が遭った時に、僕は水俣を振り返ることが大切だと思いました。これからの福島を考えるためには50年前に起きた水俣のことを考えなくてはいけない。水俣の公害と、福島の原発の問題はパラレルです。近代の物質文明を支える工場や原発が、地方の人たちの命をないがしろにし、大きな被害を与えた。それをどう考えたらいいかといった時に、水俣に遡行した。石牟礼さんは水俣を考えるときに足尾鉱毒事件に遡行した。結局、死者の声に向き合うことで未来に向かうことにつながったのです。

フランスの詩人ポール・ヴァレリーの言葉に「湖に浮かんでいるボートを見よ」というのがあります。あのボートは後ろ向きに前に進む。進む方向と逆を向いてオールを漕ぎますが、後ろを真っすぐ見ることで正確に前に進める。つまり過去を凝視しないと未来に進めませんよ、ということです。僕らは未来予測といって、未来ばかり見ようとしていますが、死者たちの声を聞くことが未来へまっすぐ進めることなのだという逆説構造があります。水俣の問題は最前線です。

何事も受け取れるスペースをもつこと

――先生ご自身のことを少し紐解いてお聞かせいただきます。小学生の頃はどんなお子さんでしたか?

私たちが見つめ直し、変えられるのは日常の中にある。利他を暮らしから語る。

私たちが見つめ直し、変えられるのは日常の中にある。利他を暮らしから語る。

大阪で育ちましたが「しょうもないことしい」と言われていました。勉強ができる子でもなく、クラスの人気者でもなく、しょうもないことをして担任の先生や同級生の女子に嫌がられるという(笑)。机の中を片付けられなくて、親に渡すべきプリントとかぐちゃぐちゃに詰め込んでいて、掃除の時間に「中島君の机が重くて運べませ~ん」と女子にチクられ。机の中身を出すとプリント類の他に給食の残パンが出てきたり。ザリガニの死骸が出てきた時は、めちゃくちゃに怒られました。

――男子あるあるですね(笑)。その時代は何がお得意でしたか?

唯一好きなのは歴史でした。思いがけないことですが、小学2年生で大阪から家族で静岡の祖母の家に遊びに行った時、登呂遺跡に連れて行ってくれました。その時、登呂遺跡の資料館にあった火起こし器にハマっちゃったんです。あの、火を起こすためにくるくる回す道具。実験コーナーでそれを見て触って、どうしてもこれがほしいと言ったらしく。土産物屋でレプリカを買ってもらって家でずっと眺めていました。

今振り返って言語化すると、古代の人の心に関心があった。二千年前の人は何を考えていたんだろう?と理屈ではなく手触りでつながりを感じ取ろうとしていた。その後、古墳が好きになって、暗い石室に入ったり。大阪には石室が放置されたまま残っている古墳の跡地がたくさんあって、そこに行くのが好きでした。歴史の場所に行くのが好きになり、親に飛鳥村に行きたいと言ったり、どちらかというと古代に関心がありました。

――やはりそうした素養をお持ちで、今のベースがそこにありますね。

小学4,5年生の時、一万円札が福沢諭吉に変わりました。彼は中津藩という大分県出身の方で、生まれたのは大阪。中之島にある蔵屋敷で生まれたんです。それをニュースで聞いて、聖徳太子から近所のおじさんが一万円札の人になるような気持ちで、どこで生まれたのか調べたくなった。図書室で伝記を読み、場所を突き止めてチャリで行って。それを壁新聞に書いたら褒められました。

机の中にザリガニ突っこむ子ですからほとんど褒められることはなかったのですが、この時は褒められた。算数も国語も全然できないけれど、歴史は自分のやれるところだという思いがあった。それで中学に行ってからまた先生に怒られて「おまえは社会科部に入れ」と言われ、部員のいない部でいきなり部長となり仲間を集め、いろんな研究発表をするようになりました。

親もまさか遺跡好きにするために登呂遺跡へ連れていったわけではなく観光名所に行っただけでしたが、思いがけず人は何かに関心をもつものなんですね。自分の中にスペースがあることは最終的に重要だと思います。

――スペースをもつ大切さ。それは子どもだけでなく大人もそうですね。

利他をうみだす受け手問題ですが、受け取るためには自分の中に空きスペースが必要です。誰かが言っていることに、自分の興味がないことと撥ねてしまうと新しい世界は始まらない。あ、それ、おもしろいね!と思えるスペースがあると、思いがけない偶然がそこから生まれていく。偶然を生み出すには自分の中にスペースを生まないといけない。これ、おもしろいね!と言えるスペースです。

僕はNHKのど自慢の伴奏者が、典型的に利他のいい例だと思っています。相手をコントロールせず、その人のポテンシャルが花開くように添うことが、利他の一番理想的な姿。添うには自分の中にスペースがないとできない。スペースがないとコントロールしようとする。たとえば、学生が僕にかけ離れたことを言ってくることがあります。悪い指導教官は自分の学説のほうに軌道修正しようとします。けれど、わからないなりに受け容れるスペースが自分の中にあると、その学生のポテンシャルが引き出されるし、それによって教えられることも多い。自分と違う角度から話が来るわけですから。

だから与えることではなく、自分の中にスペースを創ることがまず実践としてはいいんじゃないでしょうか。親も学校の先生も余裕がないと型にハメて、ややこしいことを言うとそれ時間掛かるから…と可能性を奪ってしまう。うまく言えずとも関心を示していることに反応できる自分のスペースが必要なんでしょうね。

――のど自慢の伴奏者のお話はツボでした!ところで先生は子どもの頃どんな習い事を?興味や関心を早い時期にハッキリされていましたけれど。

僕は落ち着きがなくて座っていられない子で、最初はお習字に。一枚書くと暴れるのでこれはいかんということで、母にピアノも通わされました。もうちょっと座るだろうと。これも一分と持たず(笑)。それから囲碁のプロ棋士に弟子入りさせられ、小学2年生から高校までやっていました。これは強くなってしまってプロになるの?どうするの?と聞かれたこともありましたが、囲碁の道には進みませんでした。アマチュアの六段という最高段位までいきました。親にやらされている感じで当時は全然好きじゃなかった習字もピアノも小学生時代は通いましたが、強制的にやらされたものは身につかないんだな、と身をもって経験しました。

ありがたかったのは、歴史好きの私が京都や奈良に行きたいというと、親はとにかく連れて行ってくれた。飛鳥村にいって高松塚古墳と石舞台古墳に行きたいと言えば、いいよ~と。遊園地とかに全然行きたがらないので変わった子やなぁ~って(笑)。

政治の信頼を取り戻すために地域にコミットしよう

――先生は政治学者として、11月の衆院選結果をどのようにご覧になりましたか?

現代日本の混迷を救うため、気鋭の政治哲学者と批評家の二人が挑んだ全身全霊の対話。

現代日本の混迷を救うため、気鋭の政治哲学者と批評家の二人が挑んだ全身全霊の対話。

投票率が56%くらいで結果的に伸びなかった。コロナになって政治へのネグレクトが起きていると思う。先日の第5波の時も、政府が言うことを国民は聞かなくなった。政治に対する信頼がまったくないので、あなた方の言うことは聞けないと。与党支持とか野党支持ではなく政治全体に対する不信がすごく大きい。こうなってしまうと自己責任が余計回転して、自分の身は自分で守るしかない。商売も何とか自分でやっていくしかない。政治に対する信頼が損なわれるほど、自己責任社会が蔓延ってしまう悪循環になっている。ここをなんとかしないといけない。

たとえばニュージーランドは政治家と国民の信頼関係がしっかりある。アーダーンという私より少し若い女性の首相で、子育てをしながら国を率いている素晴らしい政治家です。率直に、「私もコロナが怖い」と言って、コロナで家族が感染するのは怖いけれど、ここを乗り切るために何日間かロックダウンをします。一緒にやりましょう、と呼びかける。そうすると首相に対して信頼は厚くなる。感染者数もかなり抑え込みができています。民主主義のいい形で政治に信頼がある。

一方で日本人はまったく信頼がない。証拠を改ざんする、文書を黒塗りにする。野党にしても大丈夫か?と。国民が政治をあきらめてしまっている。野党が与党が岸田が…という前に、政治に対する信頼を回復しないとどうにもならない、というのが僕の考えです。

――信頼を取り戻すために私たちはどうしていけばいいんでしょうか?

長い道のりです。政治家に頼ってもダメなので投票率を上げるために投票へ行こうという呼びかけだけではうまくいかない。普段から政治にコミットすることがすごく重要です。国政ではなかなか難しくても、ボトムアップで地域の政治にコミットすること。

難しいことではなくて、たとえば東京では今空き家問題がクローズアップされています。防犯上、厄介者扱いされますが、ある種みんなで使える公共スペースとしての可能性がある。持ち主も実家のご両親が亡くなってしまったから空き家になっていることが大半です。地域の側としたら子育てサークルをやりたい人や、習い事としてお箏をやりたいとか、そうした場所と人をつないでうまく整理するのが政治です。こういうコミットの仕方がいっぱいあって、選挙以外の時に僕たちが小さな政治に関わるルートが無数にある社会が、政治が機能している社会だと思います。

そういう回路をいっぱい作らないといけない。でも回路を作っただけではダメで、僕たちに余白をつくらないといけない。労働時間が長すぎて地域の政治にコミットする時間などない、と言う人も多い。そのためには格差社会を失くさないといけない。非正規でいくつもの仕事を兼任しながらでないと生活できない人は、プラス政治に関われって何だよと思うわけですよね。だから労働環境を良くしないといけないし、働き方改革をもっとしなくてはいけないし、なにせ女性に対する負担が大きすぎる。労働も介護も子育てもって、そのうえ地域の政治に関わることなんてできないよというのが本音だと思います。そういうことを整えることによって、政治を起動させる。即効性は考えてはいけないのです。

――地域の政治にコミットすることが大切なポイントであり、参加できるように細かいことを整えつつ、長い目で関わるというのもよくわかりました。今年一年の総括として、先生から子育てする親世代へ何かメッセージをお願いできますか。

自戒の念を含めてですが、子どもの潜在的な可能性というものを引き出すということが重要だと思います。これしちゃいけない、あれはダメ、こうしなさいという親の願望を子どもに付託するのではなく、その子が関心をもつことを伸ばしてあげられるような、そういう家庭や教育が大切だと思います。それに対応するには自分に余白がないとダメですね。時間的なスペースもそうですし、それにちゃんと向き合えるような心の余裕も。そういう余白を自分の生活に作るようにするのが、親にとってはとても重要と感じたりします。

――では最後に、未来の子どもたちに伝えたいメッセージはいかがでしょう。

利他は未来からやって来るもの。今、自分がやっていることがすぐ報われると近視眼的に考えないほうがいい。毎日を丁寧に過ごしていれば、それが思いがけず何かを花開かせることになる。20,30年後に「あの時のが、これにつながっていたのか」と気づいた瞬間、私たちが丁寧に生きてきたことが利他として浮上させられる。未来に何かやって来るものを信じて、私たちは丁寧に余白を作って生きていくことが大切だと思います。

未来からの何かを待ちわびてしまうと利己になってしまうので(笑)、過剰な計らいを持たず、丁寧に、余白をもって生きていくこと。のど自慢の伴奏者のように、出合い頭のものにうまく添いながら、ポテンシャルを引き出していくと何かが現れる構造を信じる。利益になるかわからないけれど、そうすることによって何かが生まれるんじゃないでしょうか。

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