2018年10月13日、14日に「東北みやぎ復興マラソン2018」が開催されました!
この大会にぜひとも参加させていただきたいと思い、このマラソンを絡めたツアーを開催してまいりました。
今回の目的は下記です。
・東北みやぎ復興マラソン(フルマラソンの部!)に参加して大会を盛り上げたい。(目指せ優勝!?)
・マラソンコースとなる名取市、岩沼市、亘理町を中心に見て回り、津波の被害を受けた地域の今を見たい。
・旅先で食事、買い物をすることで、少しでも現地に貢献したい。
七人のメンバー(マラソン参加者4名、ボランティア参加2名、応援参加1名)旅してまいりました。
※私はボランティア参加。
日程及び訪問地はこんな感じです。
〇1日目
仙台市、名取市、岩沼市、亘理町
〇2日目
多賀城市、塩釜市、七ヶ浜町
※ボランティア参加スタッフは東北みやぎ復興マラソン参加
〇3日目
東北みやぎ復興マラソン参加
1日目(2018年10月12日)
午前9時過ぎ、仙台駅に到着です。昨年石巻、女川を訪れた際にもお願いしていた語り部さんと合流し、マイクロバスで移動開始です。
あいにくの雨模様でしたが、今考えると雨にあったのはこの時だけでした。
最初に向かったのは仙台市若林区の震災遺構「荒浜小学校」です。
震災遺構 仙台市立荒浜小学校
この荒浜一帯は漁港があり、長年脈々と海岸での暮らしが受け継がれていました。
およそ800世帯2,700もの人が住まれていたとのことです。
東日本大震災発生時、この地を大きな津波が遅い、あたりの建物はほとんど流されてしまい、荒浜小学校のみが残ったとのことです。この地域の犠牲者は190人、この学校に通う小学生も1名が犠牲になってしまいました。(語り部さんのお孫さんのお友達だったようで、そのことが語り部を始めた一つのきっかけだとおっしゃっていました)
小学校も大きな被害を受けたため、校舎としては利用されていなかったのですが、海岸で防潮堤を作ったり植林の作業をされている方達の為に、万が一また津波が襲ってきた際などに避難できるよう、建物自体は残してありました。
2016年にこの校舎で学んだ最後の卒業生を見送った後、この建物を震災遺構として残そうということになり、危険な個所を改修して今年の4月末より見学ができるようになったとのことです。
3階では、当時の様子を振り返るVTRを視聴することができます。
当時の校長先生、教頭先生をはじめ、町内会の役員さんが当時の様子を話してくれます。
大きな黒い煙が海から近づいてきたと思ったら津波だったこと。
一瞬で一帯が飲み込まれて何もかもなくなってしまったこと。
早く校内に入ってくるように放送しても、そこまで危険が迫っているとはみんな思っておらず、なかなか避難をしようとしてくれなかったこと。
校長先生のお話では、避難方法としてはまずは校庭に避難をし、その後危険と判断した場合は屋上へ避難する「2段階避難」という決まりを作っていたようなのですが、とっさの判断ですぐに屋上に上がるように指示したと言います。
この判断が多くの人の命を救うことになりました。
ただ、それでも校長先生は「もっと住民にできることはなかったのか」と自問されていました。今でもこの問いかけは続けられているのかもしれません。
このVTRではこう締めくくられています。
・良かれと思うことはやっておく
・その積み重ねが被害を少なくする
・大切な命を守るためになにをするべきか
・2度と悲劇を繰り返さないために
「良かれと思うことはすべてやる」。最善を尽くすことがなによりも大切なのではないでしょうか。そんなことを改めて学ぶことができました。
VTRを視聴した部屋の隣は防災グッズが展示されています。
当時どういったものを利用して避難された方は寒さをしのいでいたのか、また小学校にはどういった備蓄品が置かれているのかなどの展示もあります。
荒浜の海岸はかつて30万本の松林が広がる美しい土地でした。そのほとんどが津波により流されてしまいました。
この辺りを襲った津波は海から4km内陸まで到達したとのことで、震災後は塩害の被害も大きかったと言います。除塩作業をしたもののお米を育てるのが難しく、その後、豆、麦と作る作物は変わっていきます。
この地は災害危険区域に指定されたため、住居を新たに建てることはできません。そういった背景もあり、ここには観光果樹園が作られることが今年の3月に決まったとのことです。
この土地の変化を見るためにも、必ずまた訪れたいと思います。
次に向かったのが、名取市の閖上地区です。
この地も津波による被害が非常に大きかった地域です。東日本大震災時、中心部にはおよそ5000人の方が住まれていたのですが800人もの方が犠牲になってしまいました。
まず向かったのは「日和山」です。
日和山は江戸時代に漁師さんが沖合いを見るため作られた人口山です。
日和山
閖上地区は当時避難場所が3か所ありました。
閖上中学校、閖上小学校、そして公民館です。
震災時、8mもの高さの津波がこの日和山を通過します。
その様子を見ていた公民館に避難をされた方が、ここでは危険なのではないかという判断をし、動ける人は公民館から閖上中学校へ移動を試みたのですが、残念ながらその途中に津波に流されてしまった方がいらっしゃったと言います。
この地区では14名もの中学生が命を落としており、その子たちの名前が刻まれた慰霊碑は震災後に建てられた閖上小中一貫校の一角に設置されています。多くの方になでてもらえるように、という願いから角がない丸みのある石碑になっているとのことです。
日和山を下りた後、同じ地区の「メイプル館」にお邪魔しました。
メイプル館はカナダ連邦政府などの支援により建設された施設です。カナダ産の木材を使用した建物内にはいくつもの飲食店が並び、この地の特産品・復興グッズなどを購入することもできます。
ここでお昼ご飯を頂きました!
メイプル館
美味しい昼食を頂き、お土産を買い込んだ後、メイプル館の隣に位置する「閖上の記憶」にお邪魔しました。
閖上の記憶は慰霊碑を守る社務所、閖上の方たちが立ち寄れる場所、そして震災を伝える場所など様々な目的で運営されています。
こちらの施設を運営している「地球のステージ」の発起人の方は現役の心療内科のお医者さんです。
震災時も被災された人達に寄り添った活動を続けられたということです。
閖上の記憶の代表の方は、震災のショックで喜怒哀楽を示さない子供達に対してこんな取り組みをしたとのことです。
1.がれきを使って楽器を作り、音を出した楽しんだ。
2.東日本大震災の日に見た光景を紙粘土で作った。
3.未来の閖上の姿を紙粘土で作った。
あの日の辛い記憶にあえて勇気をもって向き合い、心の中にため込んだものを吐き出すということが非常に重要といいます。
これは子供に限らず大人にとっても同じく大切なこと。
継続的な取り組みで多くの方が元気を取り戻していったといいます。
これからも多くの方が集い、元気を与える場であり続けてほしいと思います。
次に向かったのは「千年希望の丘」です。
千年希望の丘
「千年希望の丘」は、東日本大震災の津波により人が住めなくなった沿岸約10kmにわたって広がる6つの公園と園路の総称です。
丘と丘を園路(緑の堤防)でつなぎ、津波の力を減衰させる役割があるほか、いざという時の避難場所にもなります。
千年希望の丘がある岩沼市も震災で大きな被害が出てしまった地域で、市内の実に48%が浸水してしまったということで、この率は東日本大震災の被災地で最大とのことです。
そのため、この地は下記のような多重防御で人々を津波から守っていくと決めました。
・防潮堤
・千年希望の丘
・貞山運河
・かさ上げ道路
これまで、東北の沿岸部を回り、町を守る防潮堤やかさ上げの様子を見てきましたが、自分が見てきた中では「最も緑の多い防御策」であると感じました。
「千年先まで子どもたちが笑顔で幸せに暮らせるよう願いを込めて」と作られているこの公園。今後、いつまでもこの街に住む人たちの命を守っていってほしいです。
千年希望の丘を出発。東北みやぎ復興マラソンのコース沿いを南下していき、亘理町を目指していきます。
荒浜中学校を再び出発。少しして鳥の海公園に到着しました。この公園も千年希望の丘同様、避難用の丘があります。ここも緑が広がっていてとても気持ちがいいです。
鳥の海公園
海辺の天然温泉 わたり温泉鳥の海
2日目(2018年10月13日)
ツアー2日目です。
本日から二手に分かれます。
ランナー及び応援係は本日もバスで付近を巡る行程。私ともう一人は本日から東北みやぎ復興マラソンのボランティアに参加するため、別行動となります。
(フルマラソンは10月14日なのですが、その前日に車いすジョギングや親子マラソンが開催されるため、ボランティア参加の2名はこの日から大会に参加です!)
6時半にホテルを出発です!
(駅からも遠かったのでタクシーをお願いしました。なお、朝早すぎてホテルの朝食は食べられませんでした 涙)
岩沼海浜緑地 北ブロック
ここにマラソンのスタート地点があります。
時間になり、各自担当が振り分けられました。
私の担当は下記。
・ごみを管理するエコステーションでごみの分別の声掛け及びゴミ出し
・スタート時、ゴール時のランナーの応援
さあ、頑張るぞ!
この日も大いに盛り上がったので、エコステーションはなかなかの混雑でした。ただ、殆どの人(全員と言っても過言ではありません)が分別に協力的で、ちゃんと説明をして理解いただければ基本的にご自身でやっていただけたので、手を動かすというよりは口を動かすほうがメインでした。
ごみの分別声掛け、および各レースのスタート、ゴールの応援のためうろうろとしました。
ただ、明日のフルマラソン時には、今日の10倍(!)の方が来られるということでこの日は半分練習のようなものです。
明日も頑張りましょう!とチームのみんなで誓い合い、この日の作業を終えました。
3日目(2018年10月13日)
いよいよフルマラソンが開催される14日になりました。
昨日よりも30分早めに現地入り。昨日と同じ持ち場で活動開始です!
聞いていた通り、昨日とは全く比較にならないほどの人が訪れました。エコステーションも大忙しです!でも昨日同様に、殆どの人が協力をしてくれるし、1日気持ちよく作業ができました。
分別に協力をしてくれる人には「ありがとうございます!」とお礼を言いましたが(=ほぼ全ての方にお礼を言ったと思います 笑)、たくさんの方から「お礼を言うのは自分の方です。どうもありがとうございます!」と声をかけられてうれしかったです。
参加する人たちを支えるつもりが、こちらが支えられていることにしばらくして気が付きました。
マラソン大会のボランティアは自分は初めて参加させてもらいましたが、本当に思い出に残るいい経験でした。
また、戻ってきたいと思います。
終わりに
3日間のツアーでしたが、あっという間に終わってしまいました。
(ツアーに参加したメンバーのうち、ランナーはもう一泊しました)
ツアーの前半は被災地見学、後半はマラソン大会に参加という形で宮城の沿岸部を回りましたが、本当にたくさんの人とのふれあいがありました。
震災で得た教訓を、訪れる人や未来に伝えようと頑張っている方々。
レースを盛り上げようと、遠方からやってきたランナー。
(海外からの参加も少なからずいらっしゃったようです)
そんなランナーたちの手助けをしたいと、ボランティアに参加していた地元のお母さん方。
そういった方々との出会いが、この旅行の最大の収穫なのかもしれません。これからも定期的に足を運んで、自分たちにできることを続けていきたいと思います。
できれば次回もまたここに戻ってきたいと思います・・・!
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