【復興支援ツアー2017レポート】アクティブ復興ツアー by orangeoor18

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2013年以来、今回で2度目の東北訪問です。

○旅の目的
・アクティブにさまざまな場所を巡り、東北の今を感じる
・今後起こり得る震災時に何ができるのかを考え学べる機会にする
・現地の魅力を伝える

宮城県沿岸部を中心に巡ります。震災時に実際にあったことや復興状況を現地の方から伺い、目で確かめ、自分が感じたことをレポートしていきます。

旅の前に・・・

私の実家は静岡県東部の海に面した地域にあります。市の発表によると県第4次地震被害想定(レベル2)において家周辺の津波の高さは1m~4mと設定されています。

この地域では防災訓練の実施、堤防や高台避難所の設置、避難マニュアルの策定など意識の高さが見られる一方、世帯毎で津波がもし起こったときのことを具体的にシミュレーションできているかという点で疑問がありました。

「多分この辺まで来るんではないか」とか「とりあえず○○に逃げておけば良い」などの声を聞くことがあります。よく考えられているようにも見えますが、ではどんな被害が起こり得るか。そこまでどのようなルートでどうやって避難するのか。というところまで具体的にされていません。実際自分も含め、そこまでイメージできている方はおそらくごく一部ではないかと思っています。

今後、地震や津波が発生した際、自分がどこにいるかはわかりません。自宅、勤務先、外出先とさまざまなケースが考えられます。だからこそ、どんなときでも最悪を想定し最善を尽くせるように今回のツアーで学びたいと思います。

1日目(名取市、仙台市)

せりの根、茎の部分は煮込みますが、葉の部分はスープに少しくぐらせて食べるのがおすすめ
せりの根、茎の部分は煮込みますが、葉の部分はスープに少しくぐらせて食べるのがおすすめ
赤貝は臭みが全くなく、身はプリプリでした
赤貝は臭みが全くなく、身はプリプリでした

到着後、最初に向かったのは名取市・閖上地区。
仙台の中心部までは車で約30分という距離に位置し、そこで働く多くの人が生活をする漁業の盛んなまちです。

はじめに訪れた閖上さいかい市場内の漁亭・浜やさんではこの地域の名産であるせりや赤貝をいただきました。

特に驚きだったのはせり鍋。醤油ベースのスープで鶏肉とせりを煮込むのですが、なんとせりは根っこも一緒に食べられます。

一つの野菜の根、葉、茎すべてを同時に味わえ、シャキシャキとした食感を楽しめる新鮮なせり。注文して鍋に追加することもできますし、ヘルシーなのでいくらでも食べられそうです!

旅一発目の食事から大満足でした。

【追加訪問先】閖上の記憶
【追加訪問先】閖上の記憶

次に訪問させていただいたのは慰霊碑の目の前に建てられた閖上の記憶です。
震災当日このまちで起こったこと、その後取り組んできたことを写真や映像を通じて館内の方がお話してくださいました。

もともと地震が多い地域であったため、地区ごとで防災訓練は頻繁に行われてましたが、「あのような津波を想定した訓練はしていなかったことが悔やまれる」とおっしゃっていました。

また、昭和三陸地震(昭和8年)で被害にあった津波の教訓が刻まれた石碑が地区に設置されていたものの、それをきちんと認識していた人は少なく、「牡鹿半島があるからここは大丈夫」という考えがあったそうです。

資料館のすぐ隣にある慰霊碑。生徒たちの思い出の品も置かれています
資料館のすぐ隣にある慰霊碑。生徒たちの思い出の品も置かれています

閖上に関連する資料が置かれていますが、その中には閖上中学校の生徒たちの遺品や小学生が制作した、まちのジオラマなどが展示されています。

心のケアの一環として取り組まれたこのジオラマは3つに分けて制作しました。
1つ目に作ったのは津波が来る前の閖上。
2つ目は津波でまちが流されてしまったときの閖上。
そして最後は未来の閖上。

未来の閖上を描いたジオラマでは子供たちの豊かな発想でまちのみんなが入れる潜水艦、津波から逃れる巨大なタワー、など津波さまざまな施設がありました。

敷地内には閖上中学校の亡くなった生徒たちの慰霊碑が置かれています。
石碑は角がない造りになっており、訪れた人たちにいつまでも触れてもらいたいという願いが込められているそうです。

現在はかさ上げ工事が進められているため、気付かない場所もあるのですが、実際に訪れると平野が続き、高台が近くにないということがわかります。

そのため車で逃げようと判断した人が多かったのか、普段から多くの住民が使う県道など5本の道路が交わる交差点を起点にその周辺が大渋滞に陥りました。いくつもの車道が交わり普段からも渋滞が発生するようなルートだったこと、また内陸側に続く道で事故が起きていたことも原因に挙げられています。

日和山にある松の木。中央部の傷は津波で流された瓦礫にぶつかってできたもの
日和山にある松の木。中央部の傷は津波で流された瓦礫にぶつかってできたもの
塔の長さは津波の到達地点8.4mに設定されている東日本大震災慰霊碑
塔の長さは津波の到達地点8.4mに設定されている東日本大震災慰霊碑

閖上から北上し、次の訪問したのが荒浜小学校です。一部の教室や実際に津波から避難する際に使われた屋上などを見学することができます。

小学校の浸水深は4.6m。校舎1階の天井は落ちてしまっています
小学校の浸水深は4.6m。校舎1階の天井は落ちてしまっています
2階の柵が裂かれ、コンクリート部分も崩れています
2階の柵が裂かれ、コンクリート部分も崩れています
1階の教室や保健室にはたくさんの瓦礫が流れ込みました
1階の教室や保健室にはたくさんの瓦礫が流れ込みました

2階まで津波が到達した当校舎ですが、1階部分は多くの教室を見学でき、被害状況がわかります。

ぼろぼろの天井や曲がってしまった黒板などから津波の脅威を感じ取れました。

被害が少なかった4階の教室は展示室として使われています。小学校のこれまでの思い出や地域の復興状況、震災当時の様子を知ることができます。

屋上からはこの地区一帯を見渡せ、海との位置関係や周辺の復興状況がわかります。

仙台市第1号として建てられた中野五丁目津波避難タワー
仙台市第1号として建てられた中野五丁目津波避難タワー
中野小学校跡地に建てられた慰霊公園
中野小学校跡地に建てられた慰霊公園

荒浜小学校から中野地区へと向かい、仙台市が震災後に初めて建てた津波避難タワー、川沿いに位置する中野小学校跡地を回りました。

中野小学校があった場所は周辺含め、災害危険区域に指定されているため、堤防整備の工事が行われています。現在は慰霊公園となり、生徒たちが作ったモザイクアートのモニュメント、慰霊碑が建てられています。

せんだい3.11メモリアル交流館の2階展示室
せんだい3.11メモリアル交流館の2階展示室

この日の最後に向かったのは地下鉄・荒井駅に隣接しているせんだい3.11メモリアル交流館です。1階は震災の様子を伝えるスライドや交流スペースが設置され、2階には展示室があります。

展示室は主に仙台の沿岸部(蒲生、荒浜など)に関連する資料が展示されていました。

2日目(石巻市、女川町)

元はデパートとして使われていたピンクの建物が印象的な石巻市役所
元はデパートとして使われていたピンクの建物が印象的な石巻市役所

松島の大観荘を出発。2日目は語り部ガイドの方と一緒に石巻の市内を歩く予定でしたが、あいにくの天気。。。

ガイドさんからは広範囲にまちを見て回れるとのことで、移動手段を車に切り替えて市内散策へと出発しました。

工場前の産業道路から見た日本製紙石巻工場
工場前の産業道路から見た日本製紙石巻工場
震災時に渋滞が発生した県道398号。鉄道橋の少し下の部分まで浸水したそうです
震災時に渋滞が発生した県道398号。鉄道橋の少し下の部分まで浸水したそうです
2015年に一新された石巻魚市場
2015年に一新された石巻魚市場

まずは沿岸部へ向かいました。

津波の影響により構内が一時は壊滅状態になりながらも、震災のわずか半年後に稼働された日本製紙石巻工場。遠くから見るとわかりづらいのですが、近くまで行くと金属部分の所々にある錆びから、津波の爪痕を感じられました。

日和大橋を通り、次は石巻魚市場へ。2年前に改築が完了したこの施設の全長は876mもあり、今まで見たことのないほどの長さに驚きました。海に面してきれいに一直線に続く外観は大迫力です。

施設内も見学させていただき、建物の構造にも驚きがありました。災害時に対応している太陽光発電設備、長さ約12mの機器が設置された放射能汚染検査システム、水揚げが行われる棟の鳥やほこりをシャットアウトできる閉鎖型の仕組みなど最新の技術を採り入れた設備。漁港というよりは何かの研究所のような施設でした。

2013年に撮影した旧北上川
2013年に撮影した旧北上川
今回撮影した門脇、南浜地区
今回撮影した門脇、南浜地区
今回撮影した旧北上川
今回撮影した旧北上川
震災時、門脇小学校の生徒たちが日和山頂上に向かって上がったとされる坂道
震災時、門脇小学校の生徒たちが日和山頂上に向かって上がったとされる坂道

もともと歩く予定のコースに含まれていた門脇地区を一周し、日和山へ向かいました。日和山頂上から石巻のまちを一望できます。海と日和山を挟むこの地区には今後大規模な祈念公園がつくられる予定のため、その敷地外に災害公営住宅がいくつか建てられています。収入にあわせて1~10万円ほどで住むことでき、建物の設備や防災対策は申し分ないのですが、ガイドさんのお話によると現時点でも満室に達していないケースがあるとのこと。仮設住宅に居心地の良さを感じて入居を希望しない方がいたり、これまで住んでいた家の被災具合などの居住条件があることが主な理由なのだそうです。

前回訪れたときには海側の階段を使いましたが、今回はあの日に門脇小学校の生徒などが日和山へ避難してくる際に使った坂道を下ってみました。この山を登るためにはいくつかルートがあるのですが、歩いて登るには大人でもたいへんな場所もあり、また雨や雪などで地面が湿っているとすべりやすく危険だと思いました。

日和山を下ったあとは石巻駅周辺を散策しました。新築の家やビルもあれば、被災していても補助金の対象にならず一部がそのままになっていたり、古くから残っている建物もありました。

新鮮な食材や名産品が並ぶいしのまき元気市場
新鮮な食材や名産品が並ぶいしのまき元気市場
震災に関する資料を展示している復興まちづくり情報交流館(中央館)
震災に関する資料を展示している復興まちづくり情報交流館(中央館)
震災翌日から発行された手書き壁新聞が展示してある石巻ニューゼ
震災翌日から発行された手書き壁新聞が展示してある石巻ニューゼ

いしのまき元気市場、情報交流館を訪問した後、石巻ニューゼにも行かせていただきました。館内は1階が震災後に手書きで情報を発信し続けた壁新聞などが展示された博物館、2階はバーになっています。

館内の方とお話をさせていただき、震災のこと、展示品のことを説明してくれました。最後に言われていた「苦しいこともたくさんあったけど、命さえあれば・・・こうやってまた笑顔で仕事をできる」という言葉に重みがあり、あらためて防災について考えることができました。

また、地元のサッカーチーム・コバルトーレ女川ファンの交流の場にもなっている当館。訪れた数日後にチームは決勝ラウンドを制し、見事JFL昇格を果たしました。まちの希望として来年は旋風も巻き起こせるよう応援しています!

シーパルピア女川は駅から海に続くおしゃれな商店街
シーパルピア女川は駅から海に続くおしゃれな商店街
カキがたくさんのったピザと焼きガキ。午後からは晴れ間が見え、テラスでいただきました
カキがたくさんのったピザと焼きガキ。午後からは晴れ間が見え、テラスでいただきました

隣町の女川へ移動し、駅前のシーパルピア女川ハマテラスにあるGOZAINNさんで少し遅めのランチ。大ぶりのカキは食べ応えがありました。

ゆぽっぽの外観。1階が受付や売店、2階が浴室です
ゆぽっぽの外観。1階が受付や売店、2階が浴室です
通路の奥へ行くと女川駅につながります
通路の奥へ行くと女川駅につながります

女川駅に併設されている入浴施設、ゆぽっぽにもお邪魔しました。奥は電車の券売機があり、そのまま改札へと繋がっています。
アクセス抜群で、多くに地元の方に愛されている当施設。お風呂の温度は少し熱めで自分好みでした。

そしてこの日の最後に訪れたのが大川小学校。
同行していた妻は教育関係の仕事をしており、訪れてからはこの小学校で起きたこと、自分たちがこれからしていくべきことについて話す機会が増えました。

悲しさ、苦しさと同時に複雑な気持ちにもなりました。あの日、子供たちはどんなことを考えていたのか?もし先生の立場だったら自分は何をしただろうか?
考えれば考えるほど、わからなくなってしまいますが、一番大事なのはこの悲劇を繰り返してはいけないということだと思います。

この光景を心に刻み、自分ができることをしていこうと思いました。

3日目(気仙沼)

高台にあるホテルのエントランスに向かう坂道。道の途中まで津波が到達しました
高台にあるホテルのエントランスに向かう坂道。道の途中まで津波が到達しました
1階のバス用駐車場。ここから高台に上げたことで被害を免れました
1階のバス用駐車場。ここから高台に上げたことで被害を免れました
ホテルのエントランス前の駐車場
ホテルのエントランス前の駐車場

3日目は気仙沼からスタートです。サンマリン気仙沼観洋で宿泊をし、震災当時の様子をスタッフの方から伺うことができました。

ホテル自体は高台にあるのですが通常送迎バスは海のすぐ傍の駐車場に停められています。地震発生後、高台に上げたことで津波から免れました。

立地上、ここは一時避難場所として使われたそうです。当時は数組のお客様がいて、揺れが少し落ち着いた後、その方たちと一緒にスタッフも指定避難所の市民会館へ移動したのですが、館内には入りきらず廊下で寝ることに。
「配られたたった2枚の新聞紙でも寒さが和らいだことを良く覚えている。」とおっしゃっていました。

海の市。1階に氷の博物館、2階にシャークミュージアムや観光案内所があります
海の市。1階に氷の博物館、2階にシャークミュージアムや観光案内所があります
たくさんの魚が水揚げされた気仙沼市場
たくさんの魚が水揚げされた気仙沼市場

宿からは気仙沼漁港が近く、予定通り朝から見学ができました。
活気のある朝市のせり、迫力満点な水揚げの様子が印象的でした。

併設されている海の市では一通り1階のお店を見た後、2階に上がると建設中の気仙沼大島大橋のジオラマを発見。昼食までは少し時間があったので、実際に見てみようと足を運びました。

「海の市」の2階に展示されている気仙沼大島大橋のジオラマ
「海の市」の2階に展示されている気仙沼大島大橋のジオラマ
【追加訪問先】今年3月に架設された気仙沼大島大橋
【追加訪問先】今年3月に架設された気仙沼大島大橋

橋へ行くには現時点だと海沿いの細い道を使うのですが、今後は整備された道路が完成し、大島へのアクセスが便利になります。

橋の長さが228m、最大高さが約30m。現在は通行できませんが、きれいなアーチを見れただけでも満足です。気仙沼と大島をつなぐこの橋は人々の交流機会を増やし、復興のシンボルとして期待されています。2019年に開通されるそうです。

水揚げ量全国一位を誇る気仙沼のメカジキを使ったハーモニカ定食
水揚げ量全国一位を誇る気仙沼のメカジキを使ったハーモニカ定食

海の市へ戻り、施設内1階のリアスキッチンさんでメカジキの希少部位であるハーモニカをいただきました。背びれの根本から取れる部位で、マグロのカマのような味を想像しましたが、こちらの方が身が柔らかく、でも脂っこさはなくとても美味しかったです。

食事のあとはツアー最後の目的地へと向かいます。唐桑半島のほぼ先端に位置するビジターセンター&津波体験館。ここでガイドの方と待ち合わせし、トレッキングを行います。

こちらのセンターでは津波のメカニズム、歴史を伝える資料、記録写真などが展示されています。そして、音響や振動を組み合わせて防災教育に役立つ映像で津波の恐さを体験できる施設も隣接しており、こちらはトレッキング前に利用させていただきました。

この施設は2011年の震災を経て一部映像が追加されたそうですが、設備自体はずっと前からあるものです。あの震災以前から元々防災意識の高い地域であったことがわかります。

歩道にいくつか設置されている案内板は唐桑地区の小学生がつくりました
歩道にいくつか設置されている案内板は唐桑地区の小学生がつくりました
津波でここまで到達するとは思えないほど高い崖
津波でここまで到達するとは思えないほど高い崖
自然歩道から見る三陸沖。暖流と寒流が交わり、たくさんの魚が集まる世界三大漁場です
自然歩道から見る三陸沖。暖流と寒流が交わり、たくさんの魚が集まる世界三大漁場です

いよいよトレッキングツアーへの出発です。津波石を目的地とし、往復4.2キロのコースを2時間かけて歩きます。

道中ではガイドの方から津波、地域の文化や歴史などさまざまなことについてお話いただきました。

津波石に辿り着くまでにはいくつもの崖を見ることができます。高さが十数mほどあるものの、波が到達したとのこと。津波は隙間に入り込み、それが崖の幅が狭ければ狭いほど高さが増します。

海の前にある複数の大きな石が津波の力で押し流されました
海の前にある複数の大きな石が津波の力で押し流されました

山道を抜けてようやくたどり着いた津波石。ここは元々船着き場として利用されていましたが、津波が運んできた大きな石が海を塞いでしまったため、現在は使われていないそうです。

バッグパックが小さく見えてしまうほどの大きさ
バッグパックが小さく見えてしまうほどの大きさ

近くに寄ると石の大きさがよくわかります。複数の石が流れ着き、一番大きいものだと直径5m、重さは推定150tほどもあります。津波の持つエネルギーの大きさを感じ取ることができました。

津波石を見学した後も唐桑地区の歴史や周辺情報についてガイドの方からお話いただきながら、スタート地点に戻ってきました。

トレッキング終了後、ビジターセンターをあとに車で仙台駅へ。
レンタカーを返却し、仙台駅から新幹線を乗り継ぎ静岡県の自宅に無事到着しました。

3日間という短い時間ではありましたが、とても有意義な旅となりました。

旅を終えて

今回の旅で現地の方々からいただいた教訓や、津波の爪痕を目の当たりにし、震災の恐さを肌で感じることができました。

何度も言われていることではありますが、あらゆる想定をしたシミュレーションの重要性を改めて理解できたことは自分の中で大きかったです。

今回訪れたいくつかのまちでは犠牲者を出してしまった原因の一つとして車の渋滞が挙げられています。津波が想定されている実家がある市では避難時の車移動は原則禁止。震災時に起こったことを教訓として、今後の災害に備えたいと思いました。

ただ、どんな状況で津波が発生するかはわかりません。到達までに高台への避難が徒歩では間に合わないとしたら・・・、その時もし一人では動けない家族と一緒にいたら・・・。災害に対して必ずこうだと言う正解はありません。とにかく生き抜くために何をすべきかを速やかに決断し実行する。そのためにも避難場所だけでなく、道路の交通状況含め経路も普段から確認しておくことが必要だと思いました。

そして、震災時の体験や出来事を継続して未来永劫伝えていくことが本当に大切だと今回のツアーで学ばせていただきました。明治(1896年)、昭和(1933年)と過去にも地震、津波で大きな被害を受けていた三陸地方。それでも「ここまで来るとは思っていなかった」「津波を甘く見ていた」と考えて人も多かったとのことでした。

自分が生まれる前の出来事であれば当然体験したこともありませんし、想像もしづらいものです。だからこそ、津波の恐さを経験した人やその時代を生きる私たちが未来へ確実に伝えていかなければいけないと思いました。また、伝え方においても、どれだけ危機感を持って伝えていけるか、継続させられるかも重要ではないかとも考えました。

また、復興で生じる格差も感じました。公営住宅がたくさん建てられている地域もあれば、今も防潮堤整備、道路の嵩上げ工事が続いており、人が住めない地域もあります。

入居資格が壁となり、住みたくても住めない人がいるにも拘らず、満室に達していない公営住宅のように目に見えない格差問題も生じていることがわかりました。こうした現状を知るのも現地へ訪れる際に大事なことだと思いました。

最後に、一旅行者として強く思ったのは、今回訪れたすべてのまちのことを好きになったということです。新鮮な海の幸を中心とした食事、自然の豊かさが感じられる風景、地元の人との出会い。

復興支援が目的だったツアーでしたが、地元の人たちからは逆にエネルギーをたくさんいただきました。

今度訪れる際はもっといろいろな場所を巡ってみようと思います。

旅費

<交通費>
・新幹線
三島⇔仙台(東京⇔仙台区間は指定席※はやぶさ)
片道14,550円×4=58,200円

・レンタカー(11/23 10:00~11/25 19:00)
18,241円(追加サポートプラン加入)+ガソリン代3,812円=22,053円

<宿泊費>
1泊目 ホテル松島大観荘(夕・朝食あり)27,270円
2泊目 サンマリン気仙沼ホテル観洋(夕・朝食あり)22,980円※入湯税追加

<食事代>
・昼食(1日目) 6,220円
・昼食(2日目) 1,650円
・昼食(3日目) 1,944円
・夕食(3日目) 5,400円

<その他>
・石巻 大震災まなびの案内  4,000円(車中案内コースに変更)
・女川温泉ゆぽっぽ 利用料金 500円×2=1,000円
・津波体験館 入館料380円×2=760円
・津波石ガイドトレッキング 2,000円×2=4,000円
・お土産代等 20,000円

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■合計
-----------
交通費 80,253円
宿泊費 50,250円
食事代 15,214円
その他 29,760円
-------------------------175,477円

【往路】JR三島駅➡JR仙台駅
【往路】JR三島駅➡JR仙台駅
【復路】JR仙台駅➡JR三島駅
【復路】JR仙台駅➡JR三島駅
【現地移動】レンタカー
【現地移動】レンタカー

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