南相馬「かしまの一本松」

iRyota25

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福島県南相馬市鹿島区の海岸近くに一本の松が立っている。高さおよそ25メートル、根の周り約2メートルの大きな松の木だ。震災を生き延びたこの松は、地元では「奇跡の一本松」と呼ばれている。

震災前、この海岸には数万本の松並木が広がっていたそうだ。「福島に津波はやってこない」と信じていた人たちの想像をこえる大津波は松原をなぎ倒した。松林だけではない。津波は防潮堤を越えて鹿島地区の内陸までなだれ込んだ。かつて近くの烏崎漁港に船を係留していた漁師さんは、自分の船が何キロも内陸の国道まで流されてしまったと話してくれたことがある。津波は漁港といわず住宅地といわず田畑といわず、町の姿を一変させた。次々と津波に呑み込まれていく自動車の列を高台の住居から目撃したショックで外出できない住民もいたという。

東北の湘南と地元の人たちが自慢していた鹿島の土地は、東日本大震災で見る影もないまでに破壊されてしまった。美しい姿を誇った何万本もの松林で生き延びた松の木は数十本に過ぎず、やがてそれも一本松を最後に残して枯死していった。

いまから1年あまり前の東京新聞2015年12月15日号には、地元の人のこんな言葉が紹介されている。

 「今も海を漂っている魂が、この松を見ているような気がする。生き残った人は、みんなが、そう思っていると思うよ。ほかには何もないんだから」と、五賀さんは、冬空に突き刺さる一本松を見上げた。

東京新聞:頑張れ わが町の一本松 南相馬市鹿島区の人々の願い:ふくしま便り:東日本大震災(TOKYO Web)

記事にはこの年の9月頃には、最後に残った一本松にも枯死の症状が顕著になっていたと記されている。

海からの強い風の中見上げると、松の梢にいくらか葉はついているものの、いずれも茶色く変色しているように見える。

それでもこの松が、変わり果ててしまったこの地域にあって再起の象徴だったことが、枯死しかけた松の周りに立てられた数々の案内表示からも伝わってくるのだ、痛いくらいに。

陸前高田の一本松は枯死した後に化学的な処理を施された上でモニュメントとして保存されたが、かしまの一本松が保存されることになったという話は聞かない。億単位の費用をかけてまで保存するべきなのかという根本的な問題もあるのかもしれない。

それでも、かしまの一本松は、松が元気だった時に採取された松ぼっくりから、二世の松が元気に芽生えているそうだ。

やがてこの地に、往時のような立派な松並木が復活して、地元の人たちの憩いの場所となるのは間違いないだろう。しかし、一本松が松林としてよみがえるまでには、どれくらいの時間を要することになるだろう。何十年か後、松林がよみがえった時、震災の記憶を将来につないでいく若い人たちが、この土地にあたらしいコミュニティをつくり上げていると信じたい。

冷たい潮風が直接吹き付けてくる松の梢に、それでも茶色く枯れた葉がいまも着いている姿を見つめていると、この松の木にも意思があるのだと思えてならないのだ。

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