【熊本地震点景】熊本市で127年前に起きていた大地震

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月夜の晩、いままさに発生した大地震に家屋が倒壊し、慌てふためいた人々が路地に飛び出している様子が活写されている。倒れてきた戸板や壁の下敷きになってしまった人や腰を抜かして動けなくなった人、さらに倒壊家屋からの土煙まで描き込まれている。

「熊本県下飽田郡高橋町市街震災被害真図」 | 東京大学附属図書館「地震火災版画張交帖」(石本コレクション)
「熊本県下飽田郡高橋町市街震災被害真図」 | 東京大学附属図書館「地震火災版画張交帖」(石本コレクション)

あまりにもリアルな震災銅版画

江戸時代以降の地震や津波、自然災害などの錦絵(浮世絵)や瓦版、新聞付録などの蒐集で知られる石本コレクション(「地震火災版画張交帖」:東京大学附属図書館)の図録を見ていたら、「熊本県下飽田郡高橋町市街震災被害真図」という版画に行き当たった。石本コレクションの解説によると、東京朝日新聞明治22年9月1日号の付録とのこと。

説明文には、1889年(明治22年)7月28日の夜、熊本県下で発生した地震の被害写真を欧風写真画様に模写したとある。写真印刷の技術が普及していなかった時代、新聞に写真を掲載するために銅版画に模写したものらしい。

この版画の元になったと考えられる写真は、国立科学博物館地震資料室のWebページにも掲載されている。

「飽田郡高橋町字川端家屋崩壊之景」 | 国立科学博物館地震資料室
「飽田郡高橋町字川端家屋崩壊之景」 | 国立科学博物館地震資料室

www.kahaku.go.jp

さらに、東京朝日新聞の付録には「熊本城内号砲台地盤割裂真図」として地割れの銅版画も掲載されているが、こちらも国立科学博物館地震資料室のWebページに元となった写真が掲載されている。

「熊本城内号砲台地盤割裂真図」 | 東京大学附属図書館「地震火災版画張交帖」(石本コレクション)
「熊本城内号砲台地盤割裂真図」 | 東京大学附属図書館「地震火災版画張交帖」(石本コレクション)
「旧熊本城平左衛門櫓床 第六師団号砲台裂地之景」 | 国立科学博物館地震資料室
「旧熊本城平左衛門櫓床 第六師団号砲台裂地之景」 | 国立科学博物館地震資料室

手間ひまを掛けてまで写真を銅版画風に模写したのはどうしてだろう。明治22年の熊本地震は、1880年(明治13年)に地震学会が日本で発足してから以来、初の都市近郊地震で調査が行われた(国立科学博物館地震資料室のWebページによる)。また地震学は、明治期の日本が世界的にも先進的な研究を行っていた数少ないジャンルのひとつでもあった。そのような背景もあって、明治22年の熊本地震は印刷してまでも広めたいと思わせるほどの地震、また全国的に注目される地震だったと考えられる。

[熊本大地震]本当に想定外の地震だったのか

この版画に描かれた飽田(あきた)郡が熊本のどの辺りなのか調べてみると、驚いたことにほぼ全域が現在の熊本市に当たる(ごく一部が宇土市)。

今回の熊本地震で甚大な被害を受ける127年前、現在の熊本市内で大地震が起きていたのだ。

明治の熊本地震は、震度は不明ながらマグニチュード6.3と推定されている。20人の死者、数百戸の家屋全半壊、熊本城の石垣が一部崩壊(陸軍の兵の大部分が避難したという)などの被害状況から見ても、平成の熊本地震の最初の地震にほぼ匹敵する大地震だったと考えることができそうだ。

平成の熊本地震の発生から約1週間後、熊本市長は「震度7の地震が2度も起きたことで、何から手をつけていいのか分からない状況だった」と発災直後の混乱ぶりを語っていた。熊本では圧倒的多数の人々が、阿蘇山の噴火はあっても地震はないと思っていたといわれる。しかし、わずか127年前に現在の熊本市で大地震が発生していたのは紛れもない事実で、その地震はおそらく全国から注目を集めるほどの大地震だったのだ。

127年という歳月は、人間の平均的な寿命をはるかに超える時間だが、明治三陸津波が今から120年前に発生し、いまもその被害が語り継がれていることを考えると、熊本など九州地方において「噴火はあっても地震はない」と多くの人が信じていたことには愕然とさせられてしまう。

その上、熊本県では「地域防災計画」に「地震・津波対策編」をわざわざ設け、熊本県を襲った過去の地震(当然、明治22年の熊本地震も紹介されている)、地形や地質のみならず、都市化による人為的な災害拡大の危険性の考察、被害想定、発災後の対応として避難所・仮設住宅・行政職員の応援要請・義援金・ボランティア計画・被災者の自立支援に至るまで、極めて綿密な計画を策定し、1997年(平成9年)の作成後毎年修正を行っている(平成27年度の修正は昨年5月)。

 熊本地域防災計画(地震・津波対策編)平成27年度修正 熊本県防災会議
cyber.pref.kumamoto.jp  

自然現象を「天災」にする人間界の現象

それでも今回の熊本地震を想定外と言えるのか。九州では地震がないと思っていたから致し方ないと済まされるものなのか。

「天災は忘れた頃にやってくる」との警句を残した寺田寅彦に、ここで再び登壇願わねばなるまい。

寺田寅彦は昭和の三陸津波(1933年)が発生した翌年、明治の三陸津波の37年後に甚大な津波災害が繰り返されたことについて「津浪と人間」というエッセイを発表している。書かれている内容は津波のことだが、127年を経て繰り返された熊本地方の地震に置き換えても何ら不都合のない内容だ。

 災害直後時を移さず政府各方面の官吏、各新聞記者、各方面の学者が駆付けて詳細な調査をする。そうして周到な津浪災害予防案が考究され、発表され、その実行が奨励されるであろう。

 さて、それから更に三十七年経ったとする。その時には、今度の津浪を調べた役人、学者、新聞記者は大抵もう故人となっているか、さもなくとも世間からは隠退している。そうして、今回の津浪の時に働き盛り分別盛りであった当該地方の人々も同様である。そうして災害当時まだ物心のつくか付かぬであった人達が、その今から三十七年後の地方の中堅人士となっているのである。三十七年と云えば大して長くも聞こえないが、日数にすれば一万三千五百五日である。その間に朝日夕日は一万三千五百五回ずつ平和な浜辺の平均水準線に近い波打際を照らすのである。津浪に懲りて、はじめは高い処だけに住居を移していても、五年たち、十年たち、十五年二十年とたつ間には、やはりいつともなく低い処を求めて人口は移って行くであろう。そうして運命の一万数千日の終りの日が忍びやかに近づくのである。鉄砲の音に驚いて立った海猫が、いつの間にかまた寄って来るのと本質的の区別はないのである。

 これが、二年、三年、あるいは五年に一回はきっと十数メートルの高波が襲って来るのであったら、津浪はもう天変でも地異でもなくなるであろう。

寺田寅彦 津浪と人間 |青空文庫

明治の熊本地震から平成の熊本地震までの127年を日数にすれば、およそ4万6300日となる。それだけの日々、大きく揺らぐことのない大地の上で生活していれば、いつしか「熊本に地震はこない」という妄言が常識に変わってしまうのかもしれない。それが寺田寅彦の言う人間界の「現象」というものなのだろう。

 しかし困ったことには「自然」は過去の習慣に忠実である。地震や津浪は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやって来るのである。紀元前二十世紀にあったことが紀元二十世紀にも全く同じように行われるのである。

寺田寅彦 津浪と人間 |青空文庫

自然は自然の摂理に忠実に、繰り返すべきことは繰り返す。「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉は、裏返せば人々が忘れていない時に同じ現象が起きたとしても、それは天災とはならないということだ。

想定外の災害! という惨禍は、自然のせいではなく、忘れてしまう人間の問題だというのである。そのような悲劇をなくすための唯一現実的な方法として、寺田寅彦は「災害に関する科学知識の水準をずっと高めることが出来れば、その時にはじめて天災の予防が可能になるであろうと思われる」という。

直下型地震は日本中のどこででも、またいつでも起こりうるという現実を、改めて学ぶよりほか、想定外の天災を撲滅する方法はないということなのだろうか。「九州では地震は起きない」「東京湾には津波は来ない」「この地域は海抜20メートルだから、南海地震で心配なのは液状化だ」…といった自然の摂理を無視した人間界の「現象」は、放っておくとすぐにはびこる。丹念に排除していく知恵と勇気を身につけたい。

繰り返される震災について考えるため、被災地の住宅写真を掲載させていただきました
繰り返される震災について考えるため、被災地の住宅写真を掲載させていただきました
 「地震火災版画張交帖」(石本コレクションI)目録 東京大学附属図書館
gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp  
 熊本地震 国立科学博物館地震資料室
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 防災計画 / 熊本県防災情報ホームページ
cyber.pref.kumamoto.jp  
 寺田寅彦 津浪と人間 |青空文庫
www.aozora.gr.jp  

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