これは2014年に亡くなった俳優の米倉斉加年さんが描いた絵本です。文章も挿絵も米倉さんご自身によるものです。
戦争を経験された方で、戦争を否定しない人を私は知りません。大東亜戦争は聖戦だったとか、自虐史観とか言う人は戦争を知らない人たちばかりだと思います。
本当は、すべてのページをコピーしてご紹介したくらいです。でも、この本はいまも書店で手に入れることができます。図書館にもまず必ず置かれています。ぜひとも手に取ってご覧いただきたと思う一冊です。
物語は、戦争で食糧がほとんどなくなった時代、大好きな弟の大切なミルクを飲んでしまった「ぼく」が経験した戦争を描くものです。ことばが、挿絵が読む人のこころを振るわせます。振動がこころに共鳴していくのを感じます。
どのページも涙があふれて仕方がないのですが、とくに次のページは何度読んでも泣けて泣けて仕方がありません。誰もいない場所でひとりで読んでいると慟哭してしまうくらいです。
疎開先を相談しようと訪ねた親戚の家で、顔を見るなり「うちに食べるものはない」と言われた時の母の表情です。そのことばを聞くなり、帰ろうとといってくるりとうしろを向いた母の表情です。
はだしのゲンにも火垂るの墓にも描かれていた、戦争の実情です。戦争が人間を壊してしまうという真実を、母親の横顔が語りかけてきます。
物語で、ぼくの大好きだった弟は死んでしまいます。
でも、この物語のタイトルは、『おとなになれなかった弟に』ではないのです。私たちは米倉さんが伝えたかったその意味を、忘れることなく胸に抱き続けていかなければならないと思います。最後に「あとがき」を引用させていただきます。
あとがき
戦争ではたくさんの人たちが死にます。そして老人、女、子どもと弱い人間から飢えて死にます。
私はそのことをわすれません。
でも、もっとわすれてはならないことがあります。
私の弟が死んだ太平洋戦争は、日本がはじめた戦争なのです。そして朝鮮、韓国、中国、東南アジアの国々、南方初頭の人たちをどんなに苦しめ、悲しませたことでしょう。それは私たちが苦しみ悲しんだ以上のものです。
そのことを私たちはわすれてはならないと思います。
そのことをわすれて、私たちの平和は守られないでしょう。
1983年 夏
『おとなになれなかった弟たちに』
※米倉斉加年(よねくら まさかね 1934年7月10日~2014年8月26日)福岡県出身の俳優・演出家・絵本作家。劇団民藝で活動するかたわらテレビ、ラジオでも活躍。とくにNHKドラマへの出演が多い。大河ドラマでは、佐久間象山(勝海舟)、興世王(風と雲と虹と)、桂小五郎(花神)など個性的な役を公演した。モランボン「ジャン」のテレビCMでは出演後、メディア出演を拒否されるなどバッシングを受けたが、朝鮮人差別と正面から戦い続けた。彼の絵本『多毛留〈たける〉』には、朝鮮人と日本人の血の関わりが鋭く描かれている。テレビや雑誌のインタビューにしばしば登場する「これじゃいかん」「やらなきゃいかん」という言葉が非常に印象的だ。残念なことに、米倉斉加年さんは2014年腹部大動脈瘤破裂のため、福岡市内で亡くなられた。『おとなになれなかった弟たちに……』は光村図書の中学1年国語教科書に30年にわたり掲載されている。平成28年度版にも引き続き掲載が予定されているようだ。これからも変わることなく、多くの人々、とくに子供たちに読みつがれてほしい。
ぜひ参考にしてほしいページ
光村図書出版は、国語の教科書では圧倒的なシェアといわれています。現在中学一年以上、42、43歳くらいの方であれば、この物語を読まれた方がかなり多いはず。『おとなになれなかった弟たちに……』について語り合える人たちが日本中にたくさんいるのです。これはとても重要なことだと思います。
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