党首討論から戦後70年談話の骨子が見えてきた

Kazannonekko452

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共産党の志位和夫委員長との党首会談で、ポツダム宣言を読んだことすらなかったことをカミングアウトしてしまった安倍晋三内閣総理大臣。「戦後レジーム」からの脱却を主張し、改憲を叫んできた当人が、「戦後レジームを規定した最初の文書」ともいえるポツダム宣言の内容を知らなかったというのだから、情けないやら恥ずかしすぎるやら。

いろいろな意見が飛び交っているが、この党首討論で明らかになったのは、安倍総理の徹底した不勉強ぶりばかりではない。

敗戦ではなく終戦。不戦の誓いを立てて歩いてきた平和国家。戦争責任については過去の談話を継承

端的にお答え下さい、との要請にも関わらず、安倍総理がまるで演説でもぶつかのように語った、首相答弁の冒頭部分こそ、この夏に発表される戦後70年談話のアウトラインと考えていいだろう。党首討論で事前通告(国会での質疑が噛み合うように、質問内容を事前に通知すること)がどの程度行われているのかは知らないが、先の戦争が間違った戦争かどうかという質問に対して淀みなく答弁しているくらいだから、事前通告があって準備していた答えか、あるいは、官僚が作成したペーパーなしでも朗々と語れるほど、頭に詰め込まれていることに違いないからだ。

ということで、志位委員長と安倍総理の最初の応酬を書き起こしてみた。

◆志位和夫(日本共産党委員長)

今年は戦後70年です。この節目の年にあたって日本が、そして総理自身がどういう基本姿勢をとるかは大変に重要な問題であります。

戦後50年の村山談話では、我が国は遠くない過去の一時期、国策を誤り戦争への道を歩んだと述べ、過去の日本の戦争に対して間違った戦争という認識を明らかにしております。

総理に端的に伺います。過去の日本の戦争は間違った戦争、という認識はありますか。ことは日本自身が行った戦争の善悪の判断の問題です。歴史の研究の話ではありません。日本の平和と安全に責任を負う政治家ならば、当然判断がしなければならない問題です。間違った戦争という認識はありますか、端的にお答え下さい。


◆安倍晋三(内閣総理大臣)

今年は戦後70年の節目の年であります。70年前戦争は終結をしました。しかし、先の大戦において多くの日本人の命は失われたのであります。同時にアジアの多くの人々が戦争の惨禍に苦しんだ。日本はその後の歩みの中で、まさに塗炭の苦しみを味わったと言ってもいいと思います。

戦争の惨禍を二度と繰り返してはならない。我々はこの不戦の誓いを心に刻み、戦後70年間、平和国家としての歩みを進めてきたわけであり、その思いにまったく変わりはないわけでございます。

そして、だからこそ地域や世界の繁栄や平和に貢献しなければならないと、こう決意をしているわけでございます。当然また、村山談話、あるいは小泉談話、節目節目に出されているこの政府の談話を、私たちは全体として受け継いでいく、再三再四申し上げてきたとおりでございます。

~平成27年5月20日 衆参両院 国家​基本政策委員会合同審査会~(党首討論)より書き起こし

興味深い発言だ。アウトラインを書き出してみると分かるが、安倍総理は先の大戦が米英豪蘭に対する戦争だったことを意識的に避けているように見える。

戦後70年の節目
多くの日本人の生命が失われた
同時にアジアの多くの人々が戦争の惨禍に苦しんだ
日本はその後の歩みの中で、まさに塗炭の苦しみ
戦争の惨禍を繰り返してはならない
不戦の誓いを心に刻んだ平和国家としての70年
だからこそ世界の繁栄や平和に貢献しなければと決意
村山談話・小泉談話を継承

対米戦争という本質的な部分を避けるのみならず、まるで日本も被害国だったかのような表現だ。塗炭の苦しみという言葉を日本に対して使う安倍首相のセンスには強い相変わらず違和感を覚える。アメリカとは仲良くできているからいい。関係が険悪なアジアの何カ国かをなだめるために、自分のプライドを損なわない程度に、しかも積極的平和主義の意義もこっそり織り込みたい。間違った戦争とか侵略といった内容は、過去の談話を継承するという一言で済ませてしまいたい。つまりはこんな感じかな。

「他国の人も苦しんだかもしれないけど、ぼくたちだって苦しかったんだい。そして戦後70年。ぼくらは平和な国としてやってきた。悪いことしてゴメンナサイっていう反省文はちゃんと額縁に入れて飾ってる。もう戦わないぞって誓ってる。だからこそ、これからの世界のあり方に(積極的に)関わっていくんだもんね」

そんな答弁(≒70年談話の骨子)だったように見受けられるのだ。(年初来の発言とほとんど変化がないということでもある。多少の批判があっても安倍カラーを押し通すということだろうか)

やはりポツダム宣言の内容を知らない総理大臣というインパクトは大きい

巷間話題になっているのは、やはりどうしても安倍総理が「その部分を詳らかに読んでおりません」と述べたその部分が(残念ながら)ポツダム宣言のキモだったという点だ。連合国側が無条件降伏と完全な武装解除を求めた理由こそ、軍国日本による世界征服の企てであり、今すぐ降伏しなければ徹底的な制裁を加えるというのがポツダム宣言のストーリーなのだから。「その部分を」というのは全部読んでないということでしかないし、読んでないどころか内容を知りもしなかったのではないかという疑念すら拭い去れないくらいに拙い発言だった。せっかくだから先の引用以後の部分を書き出してみる。

◆志位和夫(日本共産党委員長)

あの、私が聞いているのは何も難しい問題じゃないんです。過去の日本の戦争が間違った戦争か、正しい戦争か、その善悪の判断を聞いたんですが、まったくお答えがありませんでした。

この問題はすでに70年前に歴史が決着をつけております。戦後の日本は1945年8月、ポツダム宣言を受諾して始まりました。ポツダム宣言では日本の戦争についての認識を、2つの項目で明らかにしております。

ひとつは第6項で、日本国国民を欺瞞し、これをして世界征服の挙に出るの過誤、を犯した勢力を永久に取り除くと述べております。

日本の戦争について、世界征服のための戦争だったと明瞭に判定しております。日本がドイツと組んでアジアとヨーロッパで世界征服の戦争に乗り出したことへの厳しい批判であります。

いまひとつ、ポツダム宣言は第8項で、カイロ宣言の条項は履行せらるるべくと述べています。カイロ宣言とは1943年、米英中三国によって発せられた対日戦争の目的を述べた宣言でありますが、そこでは、三大同盟国は日本国の侵略を制止し罰するため、今時の戦争を行っていると、日本の戦争について、侵略と明瞭に規定するとともに、日本が暴力と強欲によって奪った地域の返還を求めています。

こうしてポツダム宣言は日本の戦争について、第6項と第8項の2つの項で間違った戦争だという認識を明確に示しております。

総理にお尋ねします。総理はポツダム宣言のこの認識をお認めにならないんですか。端的にお応え下さい。


◆安倍晋三(内閣総理大臣)

ま、このポツダム宣言をですね、我々はジュタク(受諾?)をし、敗戦となったわけでございます。そして今、えー私も詳らかに承知をしているわけではございませんが、ポツダム宣言の中にあった連合国側の理解、たとえば日本が世界征服をたくらんでいたということ等も、いまご紹介になられました。

私はまだ、その部分を詳らかに読んでおりませんので、承知はして、えー承知はしておりませんから、今ここで直ちにそれに対して論評をすることは差し控えたいと思いますが、いずれにせよですね、いずれにせよ、まさに、えー、先の大戦の痛切な反省によって、今日の歩みがあるわけであります。我々はそのことは忘れてはならないと、このように思っております。


◆志位和夫(日本共産党委員長)

私が聞いたのは、ポツダム宣言の認識を認めるのか認めないのかです。はっきりお答え下さい。


◆安倍晋三(内閣総理大臣)

今申し上げましたようにですね、まさにポツダム宣言を私たちは受け入れて、これがまさに戦争を終結させる道であったということであります。この我々は受け入れることによって終戦を迎え、そして、えーまさにえー日本は平和国家としての道を、その後歩き始めることになったということではないかと思います。

~平成27年5月20日 衆参両院 国家​基本政策委員会合同審査会~(党首討論)より書き起こし

日本という国は、とにかく戦争を終わらせるという目的だけで、内容はともかく受諾したというのか? あるいは、答弁した人物には「太平洋戦争はポツダム宣言を受諾して終わった」という小学生程度の理解しかないということなのか?

2015年5月20日、国会議事堂の中で驚くべき答弁が行われていたということになる。

同じ土俵での議論を捨てた野党としての新戦略?

相手を尊重することは、議論を行う上で最低限のマナーだろう。尊重しあうことがなければ議論は議論として成立せず、ただの言い合いに堕してしまう。日本人は誰かと話をするときに互いの共通の土俵を無意識に探ろうとする。日本人はと言ったのは相撲の土俵を引き合いに出すからで、共有できるフィールドがあって始めて議論が始められるのは洋の東西を問わないはずだ。

さて、同じ土俵での議論をしているはずなのに、議論が噛み合っているのを見たことがない人がいる。質問に答えずに自分の考えだけを述べたり、抽象的な事例を列挙するばかりで議論を煙に巻いたり、どのようにでも解釈可能な言葉(つまり何も規定できない言葉)で重要な事案を規定したり、さらには「その部分は読んでいない」と発言したり。

国会中継をちら見してきた限り、それでもこれまでは、野党の先生方によって「なんとか議論を噛み合わせよう」という努力が払われてきたように思っていた。長い国会の歴史の中で何度繰り返されてきたか分からない「総理、質問にちゃんと答えて下さい」という発言が、現政権での国会でもやはり繰り返されてきたからだ。これまでの歴代の政権に対するのと同じように、ともに議論する者としての敬意くらいは少なくとも払われてきた。しかし、状況は変わろうとしているのかもしれない。この党首討論での最後の部分を書き起こして引用する。

◆志位和夫(日本共産党委員長)

私はポツダム宣言が認定している間違った戦争という認識を認めないのかと聞いたのですが、認めるとおっしゃらない。これは非常に重大な発言であります。

戦後の国際秩序というのは、日独伊三国の戦争は侵略戦争だったという判定の上に成り立っております。ところが総理はですね、侵略戦争はおろか、間違った戦争だともお認めにならない。

総理が今進めようとしている集団的自衛権の行使とは、日本に対する武力攻撃がなくても、アメリカが世界のどこであれ戦争に乗り出した際に、その戦争に自衛隊を参戦させるというものであります。

しかし、米国の戦争の善悪の判断が総理にできますか?

日本が過去にやった自らの戦争の善悪の判断もできない総理に、米国の戦争の善悪の判断、できるわけないじゃないですか。

戦争の善悪の判断ができない。善悪の区別がつかない。そういう総理がですね、日本が海外で戦争する国に作り変える……

(志位君、簡潔におまとめ下さい)

重要法案を出す、資格はありません。撤回を強く求めて終わります。

~平成27年5月20日 衆参両院 国家​基本政策委員会合同審査会~(党首討論)より書き起こし

「しかし、米国の戦争の善悪の判断が総理にできますか? 日本が過去にやった自らの戦争の善悪の判断もできない総理に、米国の戦争の善悪の判断、できるわけないじゃないですか」

討論時間の制約のせいでもあろうが、もはや議論を求めていない。共通の土俵まで降りて行って議論をしようとしても具体的な答弁はないわけだ。この日のやりとりもまさにそうだった。どうせそうなら舌足らずで抽象的な答弁ながら「なんだか立派なことを言っているみたい」という誤った印象を発信させることなく、「善悪の判断もできない総理」という強烈なイメージで議論を打ち止めにする。

なるほど野党としても、安倍政権になって以降エンドレステープのように繰り返されてきた噛み合わない議論というものに決別し、新たな戦略を探り始めたということか。今回の志位委員長のように、先生とダメ生徒といったポジションを明確にして、「具体的な議論すらできない最高責任者」がどのような知的思考体であるのかをオープンにしていくというのが、新戦略の目玉かもしれない。

野党の新戦略でも何でもいいから国会でのまともな議論、少なくとも具体性のある議論が復活するための突破口になってほしいものだ。

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