走る哲人・アスリート為末大さんの「新国立競技場」論

Kazannonekko452

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アスリートでコメンテーターの為末大さんの論が明晰過ぎてすばらしい。7月10日付で彼が公開したブログのタイトルは「新国立競技場」。

陸上選手、スポーツ選手、そして日本人という3つの立場から、新国立競技場建設の現在の案に反対を表明している。曰く、サブトラックの問題。曰く、スポーツが日本に負担をかけることへの反発。曰く、建設費に加えて年間40億ともいわれる維持費など経済的負担の問題。

納得の主張だが、彼の論の切れ味は、それ以降の部分でさらに際立つ。

スポーツの現場から見ても不思議なのは、一体誰が競技場を作りたがっているのかがよくわからない点です。もし誰かないしは組織が仮にいくらかかってもこれはやるべき事業なんだと強く主張してもらえればまだ競技場を建てる意味を考えることができるものの、いくら話を聞いてもどこに中心点があるのかがわかりません。

新国立競技場 | 為末大・侍オフィシャルサイト

新国立競技場というテーマで話しながら、彼は日本文化とか日本人の行動様式の弱点を批判している。どこに中心点があるのかわからないというのは、空気に逆らえずに同調する日本人の「よくない部分」の指摘にほかならない。「いくら話を聞いてもどこに中心点があるのかがわか」らないのだ。

責任の所在が曖昧なだけでなく、議論しようにも相手がどこにもいないという不思議。それでも、事だけは進んでいく。もしかしたら、ほとんどの人が望んでいないのに、おかしな方へ悪い方へと流れていく(流されるのではなく、進んで流れていく)。そんな日本人のあり方への危惧が表明されているように思う。

しかしブログのタイトルは「新国立競技場」。為末さんは次の切り口を提示する。この切り替えが、さすが侍、見事なのだ。

日本が迎える高齢化社会において、重要なのは一つのどでかい競技場ではなく、小学校や高校大学のスポーツ施設を解放することや、予約しにくく使いにくい日本のスポーツ施設を解放することだと思います。そうすればスポーツが身近になり、社会保障費が抑制され、健康寿命が実寿命に近づき、スポーツが日本が抱える課題解決に貢献できるのではないでしょうか。スポーツも感動など数値化できないことだけではなく具体的に数値化できるものに貢献する意識を持つべきだと私は考えます。スポーツの未来よりも日本の未来の方が重要です。

新国立競技場 | 為末大・侍オフィシャルサイト

日本の未来のために重要なのは、「どでかい競技場」ではなく「スポーツが身近」になること。それが健康寿命が実寿命に近づくことや社会保障費が抑制されるという「数値化できる」効果につながる。大切なのは競技としてのスポーツの未来よりも日本の未来である。――と、スポーツ界の住人である為末さんは主張するのだ。

アスリート為末大さんの言葉に喝采を送ります。

しかし、このブログはここでおしまいではない。彼の鮮やかな論はまだ続く。ぜひ為末さんのブログで彼の哲学の真骨頂を味わってほしい。

 新国立競技場 | 為末大・侍オフィシャルサイト
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※ 為末大さんのブログでは、「同調圧力の正体」(2015年6月28)もおススメ。意見が異なることを矯正しようとする働きの正体に迫っている。進んで付和雷同に走ると、それは悪しき空気と化する。彼が自分自身を見つめる「感情と観察」2015年6月22日も含蓄に富む一本だ。スポーツは哲学だ!

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