GWこそ備えを「南海大震災記録写真帖」より

iRyota25

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まず、大前提となるのは、この場所がかつて地震と津波による甚大な被害をこうむったということなのです。のどかな、美しい町の景色にしか見えないけれど。

現在の須崎市の風景(Google Mapのストリートビューより)
現在の須崎市の風景(Google Mapのストリートビューより)

南海地震が発生したのは昭和21年のこと。今から約70年前、しかも終戦翌年のことでした。戦災からの復興がようやく緒についた頃に発生した大震災は、記録がきわめて乏しい地震です。しかし、高知県須崎市で地震を経験した竹下増次郎さんは、物資が乏しい中、被災した町を撮影してまわり、また地震に関する情報、町の復旧に関する提言まで盛り込んだ「南海大震災記録写真帖」をまとめられました。

序文には、「今回の大震災を経験せられたる南海の同胞諸賢よ、是非この一冊を所有して子孫に伝えられんことを」と記されています。

伝えなければとの切実な思いを受け継いでいくことは、私たちの大切な使命です。ところがひとつ問題があります。場所と時間の問題です。知人から「南海大震災記録写真帖」のデータを預かって内容を目にして、これは大変貴重な資料だと思ったものの、実際に須崎市を訪ねたことがない自分には、「青木の辻」「南古市町」といった地名がまったくちんぷんかんぷんだったのです。

地名が分からなければ地図がある

以前、関東大震災直後に発行された雑誌を紹介する仕事をした際に、「具体的な地名が出ていると、現在のその土地の様子からでも当時を想像することができる」と横浜出身の方から言われたことを思い出しました。その土地に住んだことがある人なら、地名は震災の教訓を学びとる上で貴重なキーワードになる。地名を知らなければ地図を見ればいいではないか。実に当たり前のことに気づいたのです。

避難の妨げになった堀川は暗渠となり、一部が親水公園として整備されている(Google Mapのストリートビューより)
避難の妨げになった堀川は暗渠となり、一部が親水公園として整備されている(Google Mapのストリートビューより)

しかも、Google Mapのストリートビューを使えば、車でドライブしているのと同じ感覚で町を疑似体験することができます。地図とストリートビューを切り替えることで、知らなかった町の地名や位置、そしてその土地に立った時の景色までが体感的に認識できるのです。

しかし、もうひとつ時間という大きな問題があります。時間は町を大きく変化させます。たとえば上の写真の左に川が見えますが、これは自然の川ではありません。

町の南側の人たちが津波から山の方へ逃れようとした時に、大きな妨げとなった堀川は暗渠(トンネル)となって地中に埋められました。いま目にすることができる川は、親水公園として人工的に整備されたものです。

この川が避難の妨げになるとは想像しにくいかもしれません。しかし、暗渠になる前の堀川を私たちはやはりネットを使って居ながらにして目にすることができるのです。

 須崎市回顧写真展(昭和37年頃)/須崎市
www.city.susaki.kochi.jp  

須崎市のホームページにある「回顧写真展」というページを見ると、当時の町の様子を撮影した写真の中に堀川も登場します。「南海大震災記録写真帖」のテキストに「津波が来て鍛治橋はすでに通れない。中橋も危険になった」と記された中橋がしっかり写っています。その写真を見ると納得できるのです。堀川は実際にお城の堀のように深くて、両岸が切り立った川だったのです。こんな川が町を東西に横切っていた。私たちは、今日ではネットを使って、過去に災害の被害を受けた町を、擬似的にであっても、かなり自分に引き寄せて感じることができるのです。

かつての堀川

現在は「川端シンボルロード」と呼ばれる道路になっている

魚市場通りまで南下すると、堤防の間から海が(Google Mapのストリートビューより)
魚市場通りまで南下すると、堤防の間から海が(Google Mapのストリートビューより)
「南海大震災記録写真帖」で田畑が水没した写真が掲載されていた辺りには住宅が立ち並んでいる(Google Mapのストリートビューより)
「南海大震災記録写真帖」で田畑が水没した写真が掲載されていた辺りには住宅が立ち並んでいる(Google Mapのストリートビューより)

ネットを使って深めていく前提になるもの

ネットのチカラは大きいと思います。しかし、ネットだけでは根本的に足りないところがあります。それは、大元となる情報です。過去の大災害で何が起きたのか、それはその時代に経験した人たちの言葉や声に勝るものはありません。「子孫に伝えなければ」という思いで竹下増次郎さんが「南海大震災記録写真帖」を作ってくれたからこそ、それを元にして、私たちは遠く離れた場所からでも、当時の被害状況や、防災について考えることができるのです。

災害は人間の生涯の年数よりもずっと長いスパンでやってくる場合がほとんどです。だからこそ、伝えなければならない。広島で、原爆の悲惨さを伝えるために、実際に被災された人たちの次の世代を「継承者」認定しての活動が始まっていますが、先駆的な優れた取り組みだと思います。

宮城県の女川町では、震災を経験した中学校の卒業生たちが中心となって、被災の現実と教訓を「1000年」先に伝えていく活動が進められています。本当に頭が下がる思いがします。大人たちこそ――と言いかけて、やめました。1000年の時間の前では、現在の中学生も大人も乳飲み子も同じ。私たちは現実的日常の中で過ごしている時間感覚とは違う、もっと大きな時間のスケールを手に入れなければならないのかもしれません。

今年のゴールデンウィークはお天気もいいみたいだから、外出される方も多いことでしょう。だからこそ、お出かけ先や地元のこと、考えてみてほしいと思います。もしも大災害がその場所で起きたらと。探せばきっと手段はたくさんあるはずです。

防災は行政の仕事ではありません。ハザードマップとか避難計画ができればそれでいいということなんかではありません。

伝えようとされた地元の人たちの仕事と、時間を超えて向かい合うことこそが、実のある防災・減災への近道なのだと、竹下増次郎さんの「南海大震災記録写真帖」を読ませていただいて痛感しました。

 南海大震災記録写真帖(1)
potaru.com
 南海大震災記録写真帖(2)
potaru.com
 南海大震災記録写真帖(3)
potaru.com

◆ご協力いただいた竹下写真館の竹下雅典さんに重ねて感謝の意を表します。

【竹下写真館】
高知県須崎市東古市町4-23
TEL:0889-42-0066
営業時間 8:30~18:00
定休日:日曜日

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