原子力規制庁の新規採用職員任命式で
原子力規制委員会は1日、原子力規制庁の新規採用職員の任命式を行い、22人が新しいスタートを切った。今年度は原発の再稼働が見込まれることもあり、新人職員は厳しい顔つきで任命式に臨んでいた。
規制委の田中俊一委員長は訓示の中で「原子力は極めて大きな可能性を有する科学技術で、人類が発見した最大・最強の科学技術と言っても過言ではない」と強調。その上で「その力が大きい分、謙虚で誠実に向き合わなければ、より大きな弊害をもたらすことになる。福島第1原発事故は、そのことを私たちに厳しく問いかけている」と述べた。
「原子力は人類が発見した最大・最強の科学技術」「より大きな弊害をもたらす」というと、そもそも「大きな弊害がある科学技術」ということですね。
その「大きな弊害がある科学技術」が「人類が発見した最大・最強の科学技術」ってことは、人類って大したこと無いってことです。
まぁ、『原子力規制庁』は、元々は前身が原子力安全委員会、原子力安全・保安院(経済産業省所管)、文部科学省、国土交通省であり、原子力安全基盤機構を吸収し、日本原子力研究開発機構(文部科学省所管)を一部共同所管している機関ですから。
なんのためにいろいろな委員会やら機構をくっつけ直したりしたかといえば、原子力規制機関と原子力を開発推進する機関との中身(人事)が行ったり来たりしていること(ズブズブの間柄)、規制対象企業との間に原子力安全・保安院ないし経済産業省の職員が、長年にわたって電力会社をはじめとする原子力関連企業に多数再就職したために、過度の癒着を生じ(ズブズブの間柄)、大事故の遠因につながったことを反省し、「ノーリターンルール」と「天下り禁止」引っさげて、独立した公正・中立の立場の原子力規制機関を設立した(と国民には言ったはず)のです。
「ノーリターンルール」とは、「原子力規制庁の職員については、原子力利用における安全の確保のための規制の独立性を確保する観点から、原子力規制庁の幹部職員のみならずそれ以外の職員についても、原子力利用の推進に係る事務を所掌する行政組織への配置転換を認めないこととする」(原子力規制委員会設置法附則6条2項)と聞こえの良い、いかにも毅然とした原子力の番人とでも言いたげなルールを掲げているのですが、「ただし、この法律の施行後5年を経過するまでの間において、当該職員の意欲、適性等を勘案して特にやむを得ない事由があると認められる場合はこの限りでない」(同条項ただし書き)という「なんちゃって例外規定」があって、既に1/3以上の職員が、「ただし」を使って配置転換しているわけです。
「意欲、適性等を勘案して特にやむを得ない事由がある」職員が1/3も働いていたのか!!
「いい加減にしろー!!!」
そもそも、全体の1/3は日本語で例外と言うのか?
4月5日時点でオリックスの勝率は1/9だぞ。このチームはパ・リーグの例外か?
楽天ファンも広島ファンも「ビクッ」としたぞ。
この『原子力規制庁』は『原子力規制委員会』の事務局としての役割をするのですが、その『原子力規制委員会』の委員長が訓示を行った田中俊一氏です。
この訓示の内容で、「原子力推進派だよね?」と思われた方、非常に頭が冴えてます。ただし、「?」ではありません。「バリバリ」の「!」です。
田中 俊一(たなか しゅんいち、1945年1月9日 - )は、日本の工学者(原子力工学・放射線物理学・放射線遮蔽工学)。学位は工学博士(東北大学・1978年)。原子力規制委員会委員長(初代)。
日本原子力研究所副理事長、独立行政法人日本原子力研究開発機構特別顧問、社団法人日本原子力学会会長(第28代)、内閣府原子力委員会委員長代理、財団法人高度情報科学技術研究機構会長、内閣官房参与などを歴任した。
略歴
1945年 - 福島県福島市にて誕生。
1963年 - 福島県立会津高等学校卒業。
1967年 - 東北大学工学部卒業。
1967年 - 日本原子力研究所入所。
1992年 - 日本原子力研究所原子炉工学部遮蔽研究室室長。
1997年 - 日本原子力研究所企画室室長。
1999年 - 日本原子力研究所東海研究所副所長。
2002年 - 日本原子力研究所東海研究所所長。
2002年 - 日本原子力研究所理事。
2004年 - 日本原子力研究所副理事長。
2005年 - 日本原子力学会副会長。
2005年 - 日本原子力研究開発機構特別顧問。
2006年 - 日本原子力学会会長。
2007年 - 内閣府原子力委員会委員長代理。
2007年 - 放射線安全フォーラム副理事長。
2010年 - 高度情報科学技術研究機構会長。
2011年 - 原子力損害賠償紛争審査会委員。
2012年 - 高度情報科学技術研究機構顧問。
2012年 - 内閣官房参与。
2012年 - 原子力規制委員会委員長。
この方。訓示どころか、もっと凄い発言をされています。
2011年8月23日の「第32回原子力委員会定例会議」に、NPO法人放射線安全フォーラム副理事長として出席した席上です。他の出席者は、原子力委員会の近藤委員長、鈴木委員長代理、秋庭委員、大庭委員、尾本委員、内閣府中村参事官となっています。
100mSvというのは健康に大きな影響がないということだと、いわゆる健康影響との関係でこのあたりをどう今後住民にご理解いただくかということ、折り合いをつけていただくかということが大変大事になってくると思います。
生涯の集積被曝量100mSvということになりますと、ほとんど福島県では子どもを育てることができなくなるということもありますので、こいういった基準の決定は十分に注意深くやっていただきたいということであります。
・・・この状況のままで今後の原子力の再生は非常にもう、個人の考えですけれども、絶望的です。とにかく何らかの形で除染をしてきちっと行い、避難住民が帰ってこられるような状況をつくりださない限りはこれからの原子力発電も含めてそういったものはどう政策を進めていいかわからないなということがありましたので、私自身はそういう思いもあります。
・・・原子力の今後のことを考えたときには、これも大きな1つの新たな、今まで予測もしなかった政策課題だととらえていただいて、是非原子力委員会でも継続して引っ張っていただければと思います。
長い議事録なので、全部は掲載しませんでしたが、意図的に抽出して編集したようなことはしていません。上記引用部の「出典元」をクリックしていただければ、議事録全文をご覧になれます。
引用の最後の文章で、「原子力委員会でも継続して引っ張って」は、除染活動を進めていくことを言っています。除染の重要性は説いているのですが、除染が進んで住民が戻ってこないと、原子力発電が今後推進できなくなることを心配しているのが気に入りません。
安全基準が生涯の集積被曝量100mSvだと、大人はギリでも、子どもは超えちゃう。そうすると福島では子どもが育てられないという話になるから、基準をもう少し甘くしろと言っているのです。住民とそこのところの「折り合い」をつけてと。
子どもの安全を心配しているのではなく、安全といえない「原子発電の今後の推進」の安全を重視しているのです。原子力発電の継続推進のために、除染の重要性を訴えているのです。
だから「バリバリ」の「!」なのです。
二人のミスター100ミリシーベルト、二人の俊一と言われるだけの、二人のうちの一人です。
ということは、もう一人ミスター100ミリシーベルトの俊一なる人がいるということになります。
います!!
山下俊一(国立大学法人長崎大学理事・副学長兼福島県立医科大学副学長(非常勤)。日本甲状腺学会理事長、福島県放射線健康リスク管理アドバイザー福島県の放射線リスク・アドバイザー)という人。
子どもを被ばくから守ろうとする親を「利己的」とののしり、「子どもには、海図のない放射能の海に出て、ストレスの中で自己判断する苦労をさせよ」と福島県民に言い放ち、物議を醸し出しているお方です。
こういう人たちは勝手にやってるわけではなく、ちゃんと任命されてやっているわけです。
「上から目線」といわれる方向から。
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