「想定外」という言葉の変遷

iRyota25

公開:

2 なるほど
2,284 VIEW
0 コメント

地震予知の敗北宣言から原発事故の免罪符へ

東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)が発生して以降、「想定外」という言葉を何度も繰り返し見たり聞いたりしてきました。

大震災と原発事故に関連して「想定外」という言葉がどのような経緯で使われるようになってきたのか、ニュースなどの記録から振り返ってみると、微妙にその意味が変化していった様子が見えてきます。▼新聞記事の内容を追いかけてみると、地震発生後午後4時から開かれた気象庁の最初の会見で「想定外の地震」という言葉が使われたとされています。さらに3月12日の未明、11日の夜から続いた地震調査委員会が終了した後に、委員長の阿部勝征氏が記者会見で語ったと報道されました。地震調査委員会は日本で発生する地震の長期評価(東南海地震が50年以内に発生する確率が90%以上といった評価)を発表している、いわば地震予知の「本丸」。その委員長が語ったのが次のような内容でした。

「4つの震源想定域が連動する大地震が日本付近で発生するとは想定できなかった。これは地震研究の限界だ」ご存じのとおり、東北地方太平洋沖地震の震源域と重なる宮城県沖地震については30年以内に99%の確率で発生すると言われていました。しかし、予想されていたマグニチュードはM7.4で、実際に発生したM9.0の超巨大地震の250分の1程度の規模でしかありませんでした。とても予測が的中したと言えるものではなく、地震予知に関する科学研究の敗北宣言といった文脈で語られたのが、最初の「想定外」だったのです。

▼この流れでの「想定外」は地震研究者の間ではその後も受け継がれていきます。3月25日の羽鳥光彦気象庁長官の会見も、想定を超える大規模な断層破壊が5、6分間も続いたせいで、スピーディに発表しなければならない緊急地震速報や津波警報が十分なものにならなかったという、やはり敗戦の弁とも受け取れるものでした。

3月12日、「想定外」という言葉に何が起きたのか

▼同じ言葉なのに、微妙にニュアンスが違う「想定外」の最初の用例は、当時の菅首相が大震災の翌日3月12日に発表した「東北地方太平洋沖地震に関する内閣総理大臣メッセージ」です。ヘリコプターで視察した福島第一原発について、次のように語りました。今回の地震が、従来想定された津波の上限をはるかに超えるような大きな津波が襲ったために、従来、原発が止まってもバックアップ態勢が稼動することになっていたわけでありますけれども、そうしたところに問題が生じているところであります。(首相官邸のホームページより抜粋引用)

津波が想定外の規模だったので原発に支障が生じたという、言い訳としての「想定外」がこの瞬間に生まれました。▼翌日3月13日には東京電力の清水正孝社長が会見で「津波の規模は、これまでの想定を超えるものだった」と語ります。原発は地震では大丈夫だったが、想定外の津波によって被害を受けたというストーリーが、この頃から固められるようになっていきました。

しかし12日未明に行われた海江田経済産業大臣と東京電力との臨時共同記者会見では、東電常務の小森明生氏が、「かなり大きなマグニチュードということで、発電所そのものが被災をした」と発言しているのです。津波については「いずれにしても大きな津波が押し寄せたということもあります」という表現です(経済産業省のホームページより)。1日違うだけで、明らかに清水社長の発言とニュアンスが違うのは興味深いところです。

原発事故は神の仕業なのか?

▼想定外の天災だから仕方がないという流れの先に、東電を擁護する意見がたくさん連なっていきます。経団連・米倉弘昌会長の「経営問題で事故が起きたのではなく、大災害で引き起こされた」「東電の経営者はちゃんとしている」や、与謝野馨経済財政担当相の「福島原発事故は神の仕業」といった発言です。責任論や賠償問題への布石なのではと、世間の注目を集めました。表向きには「想定外」という表現を使っていなくても、原発推進のオピニオンの背景には、天災への備えを万全にして原発を活用し続けようという考えがあります。言い換えれば「想定外」は科学技術によってカバーできるという考え方です。大地震と大津波の直後に地震学者たちが、現在の科学の限界という意味で「想定外」という言葉を使ったのとは、かなりの開きが感じられますね。

▼科学技術の進歩よって天災を防ぐことができるとすれば、それは素晴らしいことでしょう。しかし、人知を超えた自然の営みの大きさを考えると、簡単に答が出せる問題ではないように思います。締めくくりに、関東大震災の発生直後に出された詔書(天皇の言葉)の一部をご紹介しましょう。「天災地変ハ人力ヲ以テ予防シ難ク只速ニ人事ヲ尽シテ民心ヲ安定スルノ一途アルノミ」

震災後の迅速かつ果断な対応により、人々の心を安らかにすることが大切だと強調されています。大震災の被害の責任は誰にあるのかとか、ましてや神の仕業だなんてことは語られていないのですよ、与謝野さん。

最終更新:

コメント(0

あなたもコメントしてみませんか?

すでにアカウントをお持ちの方はログイン