日本テレビの上重聡アナウンサーが窮地に立たされてしまいました。
上重アナは、3月28日より、同局の朝の報道番組の『スッキリ!!』のMCに抜擢されたばかりでしたが、4月2日発売の『週刊文集』で、番組スポンサーである靴小売チェーン「ABCマート」の創業者で元会長の三木正浩氏よりマンションの購入資金として1億7000万円を無利子で借り、会社名義の2000万円のベントレーを貸与されて通勤に使っていたことが報じられ番組内で謝罪を行ったのだけれど、謝罪の内容や日テレの対応に不満を表す声が大きくなっています。
高校時代は黄金世代の中心選手
上重アナは、松坂世代の代表格。今季から日本に戻り、ソフトバンクに移籍した平成の怪物・松坂大輔投手と甲子園で死闘を演じたPL学園第44期のエースでした。
1998年・春
第70回記念選抜高等学校野球大会
1回戦・樟南 1-5x PL学園
投)上重9回 被安打5 与四死球3 奪三振6
2回戦・PL学園9-0創価
投)上重9回 被安打7 与四死球2 奪三振7
3回戦・敦賀気比 1 -3x PL学園
投)稲田7回1/3 被安打7 与四死球2 奪三振7
上重1回2/3 被安打1 与四死球1 奪三振2
準々決勝・明徳義塾 2- 3x(延長10回サヨナラ)
投)上重9回 被安打6 与四死球2 奪三振6
稲田1回 被安打0 与四死球0 奪三振2
準決勝
横 浜 | 0 0 0 0 0 0 0 2 1 | 3
――――――――――――――――-
PL学園|0 0 0 0 0 2 0 0 0 | 2
投)稲田7回0/3 被安打5 与四死球3 奪三振5
上重2回 被安打3 与四死球1 奪三振0
1998年・夏
第80回全国高等学校野球選手権大会
1回戦・PL学園6-2八千代松陰
投)上重8回 被安打8 与四死球1 奪三振4
稲田1回 被安打0 与四死球1 奪三振1
2回戦・PL学園2-1岡山城東
投)稲田9回 被安打6 与四死球1 奪三振6
3回戦・佐賀学園 1-5xPL学園
投)上重9回 被安打5 与四死球1 奪三振8
準々決勝
横 浜 | 0 0 0 2 2 0 0 1 0 0 1 0 0 0 0 1 2 | 9
―――――――――――――――――――――――――PL学園|0 3 0 1 0 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 1 0 | 7
投)稲田6回 被安打6 与四死球2 奪三振2
上重11回 被安打13 与四死球1 奪三振6
延長17回を戦ったこの試合は、甲子園史上に残る死闘となりましたが、またも軍配は、横浜・松坂に上がったのでした。
そして凄いことに、この試合の両校出場選手のうち、横浜4人(松坂大輔、後藤武敏、小池正晃、小山良男)、PL学園4人(平石洋介、大西宏明、田中一徳2年、田中雅彦2年)の計8人がプロ入りしいます。レベルの高い壮絶な戦いとなるわけです。
甲子園で上重に敗れたチームからは、小谷野栄一(創価)、東出輝裕、金森久朋(敦賀気比)、寺本四郎、高橋一正(明徳義塾)、多田野数人(八千代松陰)がプロ入りしています。
また上重との対戦はないものの、春・夏の甲子園に上重と一緒に出場していた選手では、杉内 俊哉(鹿児島実)、森本稀哲(帝京)、和田毅(浜田)、村田 修一、大野隆治(東福岡)、新垣渚、稲嶺誉(沖縄水産)、館山 昌平(日大藤沢)、實松 一成(佐賀学園)、古木克明(豊田大谷)、赤田将吾(日南学園)、石堂 克利(愛工大名電)、吉本 亮(九州学院)、井生 崇光(東筑)、矢野 修平(高鍋)、松本拓也(日本航空)、加藤健、富樫和大(新発田農)、丹野 祐樹(仙台)、上本 達之(宇部商)、木村 昇吾(尽誠学園)、久保田 智之(滑川)、鞘師 智也(報徳学園)、小林 正人(桐生第一)、吉見太一(京都成章)、木谷 寿巳(近江)がいます。
同じ年の甲子園出場ではないが、藤川球児(高知商)も同世代です。
俗にいう『松坂世代』『黄金世代』です。
上重は、夏の甲子園の出場メンバーから選出される高校日本選抜にも代表選出されました。その時のメンバーです。
東京六大学二人目の完全試合投手からテレビ局へ
こうして黄金世代の中心にもいた上重は、立教大学へ進学し東京六大学でプレイを続けます。
1年の時は、右肘の故障で外野手となりますが、2年からは投手に復帰し、主力投手陣の一角となります。そして秋のリーグの東京大学戦で、36年ぶり史上二人目の完全試合を達成します。
相手が東大だからと値踏みをしてはいけません。東大だって東大史上初の完全試合をくらったわけです。今までに東大相手に数々の投手が投げてきても、さすがに完全試合はできなかったのですから凄いことなんです。
4年では主将を努めながらも、最終的には故障に泣き、野球の道を断念しアナウンサーを目指します。日本テレビ、フジテレビ、テレビ朝日を受験し、すべての局から内定を取りますが、男性アナウンサーの活躍できる場を考え、日本テレビに入社しました。
さすがのテレビ局もこれだけの学生ですから、欲しがるわけです。
スポーツキャスターや情報番組など、アナウンサー上重は、若くして日テレでもエースにのし上がって行きます。そうしたところで、今回の件を報道されてしまったわけです。
上重アナは、日本テレビの社員です。社員として、これから社内の規定により、懲罰を受けていくことになるでしょう。
なぜ、こんなことになったのか。
本人が、「高校時代の甲子園出場時にインタビューを受けた経験がアナウンサーを目指すきっかけとなった」と語っているように、もともと彼はインタビューをする側ではなく、インタビューされる側の運命を持っているのです。
故障で野球を断念したのだけれども、同世代がまだまだプロ野球で活躍しています。入団の契約金でも、年俸にしても、いくら日本テレビのアナウンサーといっても、プロ野球選手の比じゃありません。「本当だったら自分だって・・・」という思いは、なかなか消せないのだと思います。
支援をした「ABCマート」の元会長も、怪しい画策があってのことではないような気がします。元甲子園球児、松坂世代の代表格、六大学の完全試合投手、そして人気アナウンサー。野球で培ってきた礼儀作法、特にPL学園出身ですから、上下関係は相当厳しかったはずです。
三木元会長は、言ってみれば「タニマチ」です。相撲の世界じゃ当たり前の、ごひいきの支援者で、スポンサーです。野球界や芸能界でも当たり前のことです。ただ、上重アナは局アナで、日テレの社員だってことの自覚が足りなかった。
フリーのアナウンサーなら問題ない。芸能人と一緒でしょ。フリーで報道番組のMCをやっていて、「ABCマート」に何かあって、個人的関係を優先して弁護したければ、ペナルティー覚悟で番組を降板してでもプライベートを守ればいいし、プライベートと報道は別とハッキリ割り切れるのなら「I am not ABC」と自作のフリップを掲げて、糾弾すれば良いのです。
ただ、1億7000万円という金額は、受けた恩としては相当大きいので、徹底的に三木氏との良い関係を続け、フリーの立場で活動したらどうでしょうか。
「ABCマート」のCMにも、無償で出演し続け、出演料は借金やら利息と相殺にしてもらう。CMでは「I am ABC」とフリップを出して言っちゃう。
今しばらくは通用するギャグだと思うので、ついでに流行語大賞も狙って、「I am ABC」を定着させて、三木氏にご恩返しをすれば良いと思います。
上重アナは、どこかで野球選手を引きずってきてしまったのだと思うのです。怪我が原因で野球の道をあきらめる選手はたくさんいます。プロになってからでもよくあることです。ただ、彼の場合は、プロになる手前で断念して、TV局の人間として、同世代のプロ野球選手とも接する機会が多かったはずで、その世代の中心にいた選手だったからこそ、吹っ切れないものが溜まっていたと思います。
アナウンサーでありながら、「タニマチ」がつくなんて、ある意味才覚です。社員向きではなく、個人事業主向きです。
巨人原監督から頂いた「エース上重」の称号を日テレのエースではなく、テレビ界のエースの称号に変えていけるのも、本人の決断次第かもしれません。自ら起こした強風にさらされながら、前に進む道を見つけて欲しい。PL学園時代の先輩から受けた不条理なシゴキに耐えてきたのだから、きっと大丈夫です。
「I am ABC」で、独立しちゃえ!!
最終更新: