ラーメンの神様、つけ麺考案者の山岸一雄さん逝く
つけ麺の考案者で、「つけ麺」発祥の店として知られる人気ラーメン店「大勝軒」(東京・豊島区東池袋)の創業者・山岸一雄(やまぎし・かずお)さんが昨日4月1日にご逝去されました。
後進の育成にも力を注いだ山岸さんは、100人以上の弟子を輩出し、全国各地にのれん分けをしています。
ラーメン評論家・大崎裕史氏(ラーメンデータバンク取締役会長)
「山岸さんは独立を目指す弟子から授業料やロイヤルティーを取らなかった。大勝軒が全国に広がったのは山岸さんの人柄があったからでしょうね。人に対して怒ることがほとんどなく、弟子が失敗しても『いや、オレが悪いんだよ』というような人でした。あの大盛りの量も『おなかいっぱいになってほしい』という思いやりの表れだったのだと思います。ラーメンの神様と呼ぶにふさわしい方でした。さみしいです」
35年間通ったというラーメン評論家の大崎裕史さん(56)は「ラーメンは『豚ガラ、鶏ガラ、人柄』と言われるが、あの人のためにある言葉だ。優しい人柄がにじみ出るラーメンだった。寂しい」と話した。
山岸さんは3月中旬に体調を崩し入院。27日に危篤状態となった。病床で親族らに囲まれる中、危篤状態の山岸さんは「いらっしゃいませー」と大声で叫んだという。
私も一昨年、東池袋の本店で『特製もりそば』(大勝軒さんのつけ麺の名前です)をいただきました。東池袋本店の最寄り駅は、東京メトロ有楽町線(地下鉄)の東池袋駅の地上への出口を出てすぐ、都電荒川線(東京最後の路面電車)東池袋四丁目停留所からも程なく近い。
当時、都電荒川線の沿線に住んでいたため、風情のある路面電車で、「ぶらり途中下車の旅」を良くしていたため、東池袋四丁目停留所の乗り降りも多くいていたのですが、その日は「大勝軒」の前に列がなかったので、不思議に思い行ってみたところ営業中でした。
チャンスとばかりに入店しましたが、ホントにツイていたようで、すぐに店内は満席となり、店の前にも列が出来ました。
人気店では並ぶことが当たり前です。ディズニーリゾートと一緒。
下のリンクで「Google マップ 」のストリートビューへ飛びます。大勝軒さんの東池袋本店が撮影された2009年11月の写真です。
店の前に恰幅の良い方が座っています。もしかしたら、ご存命中の山岸さんでは?
2004年くらいから、体調を悪くし、厨房には入っていらっしゃらなかったようすが・・・
違っていたらごめんなさい。もし故人ご本人でしたら、なんとなくGoogleさんには、このカットを更新しないでいただきたいなと思っただけです。
つけ麺が好きな方も、そうでない方もいらっしゃると思います。つけ麺はラーメンじゃないとする方もいらっしゃると思います。
大勝軒さんから始まり、長い年月を経て、近年つけ麺がかなりのブームとなっていることは、ラーメン好きの知るところでもあり、ラーメン専門店用に製造される「麺」でいうと、4割ぐらいはつけ麺用みたいです。
ですから、つけ麺もラーメンであると結論づけましょう。
実は、そこを議論している場合ではないことが起きているからです。
ラーメンも醤油も中国のもの・・・ですと
新華社系のニュースサイト「新華網」は21日、「醤油もラーメンも中国発祥なのに、日本の産品として欧米で知られるようになった」などとする文章を掲載した。現代の工業製品で日本が成功しているのは「取り寄せ主義」と「改良と細かい工夫」であり、中国人は「醤油やラーメンの事例」とあわせて反省する必要があるとした。
出たー!最近流行りの何でも中国のもの攻撃。
もはやクイズ番組でも使われないくらい、「日本で一番最初に中華麺を食べたのは水戸光圀公(黄門さま)で、儒学者の朱舜水(しゅしゅんすい)が、光圀の接待に自国の汁そばを献上した」くらいは、かなりの日本人が認識しているわけです。
しいて言えば、黄門様は誰でも知っているけど、朱舜水さんのことは、あまり知られていません。
なので、大雑把に説明しますと、清王朝時代にかつて滅ぼされた明王朝復古のために「妥当清王朝」の活動をしていたけれど、道半ばで諦め日本に亡命し、後に黄門様に可愛がられるようになった儒学者です。東京大学農学部内には“朱舜水先生終焉之地”と記された碑があるそうです。日本に漢文学を浸透させたという実績のある方です。
黄門様の食べた中華麺が、今の日本のラーメンの元かどうかなんて、ハッキリわからないのでは、ないでしょうか。確かに、そばも、うどんも、イタリアのパスタでさえ、中国伝来といわれています。
だから何でしょうか?
米だって、もともと中国から伝わってますけど。
文句があるなら日本の米も、炊飯器も買わなきゃいいでしょ。
光圀さんが食べたタイプの汁そばは、普及しなかったんですから。
今の上手いラーメンの原型は、日本人が作ったものです。
醤油だって、漢字の「醤」の字が一緒な調味料ってだけで、全く違うものです。
まぁ、「新華網」の記事も、最初に作ったところで、ろくに改良も技術も極めない自国の体質を皮肉っただけかもしれないのですが。
こういう文章に目くじら立ててしまうのも、これまでにたくさんの伏線があるからで、「尖閣諸島」も日本ですからね。
こういうこと、ハッキリしないと、今に西之島新島だって何いわれるかわかりませんからね。太平洋の小笠原諸島だからって安心してはなりません。100年くらいして、海底油田やら、レアメタルやらが見つかると、「古くから中国の領土だったが、日清戦争で・・・日本が盗った」と言われるかもしれません。
この際国土地理院は、「1973年と2013年の噴火で出来た溶岩島」みたいな明確な名前に変えて地図に乗せてください。あえてひらがな混じりの表記で。この国の子孫のためにもお願いします。でなきゃ、南アルプス市ぐらいしか日本の領土が残らなくなっちゃいます。
並んでも食べたい美味しいラーメン
話をラーメンに戻します。
日本の国民食ラーメンを「嫌い」という話は、耳にしたことがないですが、こと「好き」の話になると、おもいっきり好みが割れますよね。
そこで、古いランキングですが、紹介します。
ラーメンブームの真っ只中、紅白歌合戦、K-1の対抗番組として組まれた、日テレの大晦日特番の「史上最大!全国民が選ぶ美味しいラーメン屋さん列島最新ベスト99」のTOP10です。
東京高田馬場の「俺の空」の『掛け豚そば』が、見事第1位に輝きました。この放送により、年明けから大変なことが起きます。『掛け豚そば』を食べようと、JR山手線高田馬場駅戸山口前の「俺の空」に押し寄せたラーメンファンの大行列は、約4kmの長蛇の列をなし、最後尾は隣の新大久保駅までにおよんだのです。
俺の空本店
高田馬場から新大久保まで長蛇の列ができた
新横浜ラーメン博物館(ラー博)はご存知でしょうか?
今ラー博には、『ラー博倶楽部』という会員制度がありますが、かつては『VIP会員』という制度がありました。
有料フリーパス券(3ヶ月、6ヶ月)での入場回数が相当多い利用者に対し、ラー博側が写真入りのVIPカードを発行してくれて、このカードを持つ『VIP会員』には次の特典がありました。
1. 1年間の入場料無料。
2. 同伴者も入場無料。
3. どんなに混んでても、入場は並ばなくて良い(同伴者も)。
4. ショップの5%割引販売。
5.秘密の部屋(一般客にはわからない入り口)での宴会利用。
6. 1日入場券50枚進呈(知り合いにどうぞ)。
もちろん会費も何も必要なしです。突然ラー博から写真撮影に来てくださいとの案内が届きました。それだけ常連ってことです。『ラー博倶楽部』の入会資格とはハードルが違います。
ということで、評論家でもなく、単なる毎日ラーメン食い人間だった元ラー博『VIP会員』の私の好きなラーメンを勝手に紹介します。
・横浜は六角橋の「六角家」
ラー博開設初代レギュラー7店舗のうちの1店。家系ラーメンの元祖で、エース格の豚骨醤油スープ。さすが、ラー博が開設時に厳選をした店のうちの一つです。
・2002年ランキング1位の高田馬場「俺の空」の『浸け豚そば』
番組で1位になったのは『掛け豚そば』、『浸け豚そば』はつけ麺です。かつおのだしがバッチリ効いた魚介豚骨のスープ。自分はつけ麺の方が好きです。ここのつけ麺をリスペクトした店が増え、その後のつけ麺ブームを巻き起こしたように思えます。
ラーメンの超激戦区といわれる高田馬場でも人気店のことだけはあります。
・静岡県は三島の「抜天(ばってん)」の『ちゃんぽん』。
長崎出身の先代が三島の地で開いた『ちゃんぽん』と『餃子』が大評判だった店を急逝した父の跡をホテルパシフィック東京の有名中華料理店「楼蘭」で腕を振るっていた現店主が継いだ。区画整理を期に、庶民的な価格で楽しめる本格中華料理店に改装したが、先代から親しまれていた『ちゃんぽん』の味は確実に伝承されていて、今も往年のファンが通う店。『皿うどん』も甲乙つけがたい先代からの味。
今すぐ食べたいとラーメンと聞かれたら、この3つです。
ラーメンの神様山岸さんは逝ってしまいましたが、山岸さんがこよなく愛したラーメンは、永遠に日本人が愛する日本文化の代表食として、たくさんの人たちに食べ継がれていくと思います。
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