震災からまもなく丸4年、少し思うところのある調査結果があったので、それについて書きます。
震災にあった子どもの7割が、「自分のまちの復興にかかわりたい」と回答しています。
子どもたちには、震災による教訓を語りつ継ぐというとても重要な役割があります。復興にかかわるということは、そのためにもとても重要なことだと思います。
しかし、その一方で、関わり方にもよりますが、この考え方について教育面において、少し慎重にもなる必要があるとも思っています。
それは、この回答の思いの裏側に、「自分の時間を犠牲にしてもいい」とか「やりたいことをできなくて当たり前、我慢しなければ」という気持ちが過剰に入っていないだろうかということです。
「震災があったから」を理由に、勉強について何かを諦める、我慢するということは可能な限りあってほしくありません。
教育について経済的な支援だけでなく、子どもが、将来本当にしたいことはなんなのか?それを考える教育環境を作ることを諦めていないか?このことについて大人は、震災から数年が経過した今、真摯に向き合い、慎重に関わらなければならないと思います。
もちろん、震災を機に本当に自分が進む道を心の底から決める子どもも少なくないと思います。辛い経験を子どもの頃に経験したからこそ、他の人より強く秀でることも多くあります。「震災がなかったらどういう道を歩んでいたのか?」ということではなく、震災を経験した上で、その子どもに他の子どもと同じように選択肢を見せることを諦めず、考える時間与えることができれば思います。
被災した子どもがしっかりとした目的をもって勉強し、専門的な知識をもって社会に貢献することこそ、長期的な復興に大きく貢献すると思います。
企業による直接的な教育への関与
すこし震災とは独立した問題に対する考えを書きます。
教育(とりわけ小学校、中学校、高校)において「なんのための勉強なのか?」これをできるだけ早くに具体的に理解することの重要性は極めて高いと感じています。
ここから、自分の経験の話なので、少し偏った教育視点での展開になります。
高校で教わった先生方は、(今思えば)難しい数式を当たり前のように証明し、それを使ってとても数時間では解けない問題の解答さらりと説明し、抜き打ちに聞いた問題についても、あっさりと説明してくれました。しかし、微分や行列式やその先にある数学的解法が、具体的に、どのような現実に存在する解決すべき問題を解くための基礎となるか(もしくは解決すると期待されているとか)は、教えてくれなかったし、こちらも聞くまでの関心を持つことができていませんでした。傲慢な言い方をすれば面白さを感じさせてもらえませんでした。せいぜい、「理系の大学に行ったらこれは、絶対にできていないといけない」とか「○○学部だったらこれは必須」と言われたのを覚えているぐらいです。「このことを話してくれていれば(おそらく当時でも)もっと興味を持っていたのに」的なことが働き始めてから多々あります。
しかし、もし聞いていれば、高校生にとって適切な回答をもらえていたのでしょうか?今、まだたった10年程度働いただけですがそうは思いません。納得させるだけの具体的な経験がないからです。
企業やプロフェッショナルによる直接的な教育への関与の重要性を感じています。
勉強をしなくて後悔をしたこと、今勉強していることやその延長線上にある考え方や知識がどのように必要になってくるのか?そのことは、大学を卒業して20代から教員として働いてる人よりも、30年、40年専門的な分野で働いた人の方が、よく伝えられます。
企業は、自信の利益や産業への直接的な貢献に固執せず、積極的に子ども教育のために人材を提供するべきだと思います。
そして、学校が被災し、勉強できることが当たり前でないと感じた経験のある子ども達こそ、それをよりよく受け入れてくれると思います。
よく、被災地をスポーツ選手のスーパースターが訪れ、子どもたちに元気を与えてニュースになっていますが、別にこれが「スーパーデザイナー」だったり「スーパーライター」だったり「スーパー経理」でもいいと思います。スーパーがつかなくても、勉強することによって、将来の選択肢が広がるところを伝えることできる人であればいいと思います。
10年、20年後、本当にやりがいを感じることのできる仕事につけるように、一人でも多くの子どもが諦めずに勉強してくれれば、それが、長期的な復興の貢献になる思います。
震災からまもなく丸4年、鉄道や道路、漁港、目に見えて失ったものの復旧は(感じ方の違いはあれ)進んでいます。そんな今だからこそ、その復興の過程で生まれる可能性のある見えない2次的、3次的な影響について、真剣に考えて行く必要があると思います。
最終更新: