忘れない人間になってほしい。思い出せる人間になってほしい。あまり勉強ができなくても、いま頑張っているスポーツで大した成績がおさめられなくてもいい。とにかく、思い出せる人間になってほしい。
そう思い至ったのは、東北へ向かう電車の中、新美南吉の「ごん狐」と、「牛をつないだ椿の木」を読み比べた時のことだった。
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口(つつぐち)から細く出ていました。
ごんは擬人化された動物だ。だから半分は人間なんだ。見た目は獣だが、本当は人間。そう思ったとき、人は見た目が人間であっても、人間として見ていないことが多々あることに気づかないか。倒れたごんの横で、猟銃の筒先から青い煙が流れていたのは、可哀想なごんの悲劇を強調して表現する為に描かれたものではない。
牛をつないだ椿の木の主人公は、自分が掘った井戸が人の役に立っていることを満足げに見ながら、どこへ行ったのだっけ?
「わしはもう、思いのこすことはないがや。こんな小さな仕事だが、人のためになることを残すことができたからのオ。」
(中略)
日本とロシヤが、海の向こうでたたかいをはじめていました。海蔵さんは海をわたって、そのたたかいの中にはいって行くのでありました。
(中略)
ついに海蔵さんは、帰って来ませんでした。勇ましく日露戦争の花と散ったのです。しかし、海蔵さんのしのこした仕事は、いまでも生きています。椿の木かげに清水はいまもこんこんと湧き、道につかれた人々は、のどをうるおして元気をとりもどし、また道をすすんで行くのであります。
彼は出征して、戦地で倒れて死んだんだ。もうふるさとの土を踏むことはなかった。そこに寓意が見えてこないか。
そんなの、考え過ぎだと言うかもしれない。作者はそこまで意図していないと。でも意図していなかったと断言することはできないだろう。
ごんの話と結び合わせた時、作者の思いが自分の内側で膨らんでいった。
人は人を害してしまいかねない存在だ。人は人の為になることをすることもあるが、害してしまうこともある。それを悲話としてではない形で、「読んでくれた君たちの中で育てていってほしい」というのが作者からのメッセージだったのではないか。
ごんぎつねを読んで、何十年もたって、ようやくそう思えたとき、どうしてもっと早くに気づかなかったんだろうかという思いが強かった。もっと早く気づいていたら、だいぶ行き方も違ったのではないかと。
震災もそう、自然災害もそう。何かが強い印象を刻んでいくことは多々ある。小さい頃には分からなくても、その内側にある意味に気づいていく為に欠かすことができないのは忘れないこと。思い出せること。
これまで生きてきた中で、あまり意識しないうちにあなたの中に刻まれていったことを繰り返し、時々でもいいから繰り返し思い出して、その意味をすくい上げていく人になってほしい。
そうでなければ、亡くなった人たちの魂は救われぬ。たどっていけば、みんなあなたの関係者なのだ。ひと事とか他人という言葉を覚える前に、ほんとうは震災なんか起きる前からずっと、みんなが関係者だったのかもしれない。
忘れる人になってもらいたくないだけじゃなく、つながりの意味を見出せる人になってほしいのだ。
よろしく頼みます。
陸前高田で知り合った食堂の大将がこんなことを言っていた。
「ひとしきり話をすると、けっこうたくさんの人が同じように言うんだよね。また来ますって。で、ほんとうにまた来た人なんて数えるほどなんだよ」
未来へつなげていく人、あなたたちは、俺たちの世代が壊してしまったことのすべてを修復していくように運命づけられた人たち。ほんとうにすまないと思う。
だが、失われてしまった未来を取り戻して、もう一度つなげる流れをつくっていくことは、あなたたちにかかっている。このことはどうしようもない。はなはだ身勝手なお願いだが、
忘れない人間であってほしい。何かの拍子にでもいいから思い出して、それを未来につなげていってほしい。それが第一歩なのだと、俺は思う。
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