人は生きる。だから未音崎湾望台はここにある

iRyota25

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三陸鉄道三陸駅からクルマで5分。越喜来(おきらい)湾を見渡せる高台に、手作り感あふれる展望台を見つけた。ここは「未音崎(みねざき)湾望台」。

ことり集会所と名付けられた東屋には小鳥の巣箱。

天井からはビン玉が吊るされて、漁業のまち越喜来ならではの雰囲気。そしてその向こうには海が広がる。いまは青い、青いしずかな海が。

「未音崎湾望台」という名前は、震災以前からこの辺りが峰崎と呼ばれていたことによる。未来まで越喜来が発展してほしいという願いや、この場所が越喜来の未来を発信する場所になってほしいという思いが「未音崎」と書き換えた名称に込められている。

湾望台に設置されたプレートには、建設の経緯を次のように記されている。

東日本大震災津波によってお亡くなりになられた方々の御霊を鎮魂することと、地域住民や当地を訪れた人達が越喜来湾を一望できる場所として建設計画し、実現には地権者樣方の深いご理解と浦浜海浜防潮堤工事に携わった特定企業体様の地域貢献としての多大なご協力があり、建設することができました。

「この地を訪れた皆様へ」未音崎湾望台

豊かな恵みの海だった越喜来湾

あの日、多くの人々の命を奪った海

そして、かさ上げや防潮堤で日に日に変化していく越喜来の町

さまざまな思いを抱きつつ、町と海の全体を見渡せる場所が未音崎湾望台

約1年前に建設された背景には、高い防潮堤ができて町から海が見えなくなる前に、海と生きてきた越喜来を見渡せる場所を、という地域の人たちの熱意があったとも聞いた。

湾望台下の海辺近くには「未音岩(みおといわ)」を配した潮さい公園もつくられている。

今年の3月11日には、ここでかがり火が灯されたという。

ここは鎮魂と未来への思いをつなぐ特別な場所だ。

震災以前、この近くには海から突き出た巨岩に生えた二本の松があり、地元の人たちから夫婦松と呼ばれて親しまれていた。しかし松は震災後を生き抜くことができず枯れてしまう。巨岩のある場所は防潮堤用地になったため、岩は破砕されることになった。そのことを忍びなく思った地元の人たちの熱意により、巨岩の一部が運ばれて未音岩になった。未音岩は大きい方が12トン、小さい方でも6トンあるのだという。

未音岩の間からは越喜来港の赤灯台が見通せる。二つの岩は狭い所で5ミリの隙間をあけて寄り添っている。「この隙間をうめるも広げるも、あなた次第」と意味深な説明もあったりする。

美しく豊かな海のくらしと5年前の恐るべき記憶。鎮魂。変わりゆく町の姿への思いと未来へつなげたいもの。遊び心と手作りのぬくもり。

自然にも人間にもたくさんの側面が、そして意味があることが伝わってくる。働く人、生きている人の手の厚みやごつごつした質感が伝わってくる。

ほら、鑿跡も物々しいこの一文字一文字にも。

湾望台と潮さい公園を結ぶ階段の途中には、やはり手作りのこんなプレートが設置されている。

この文字が、海が、町が、この場所に未音崎湾望台がつくられたという事実が、人間が生きていることの意味を感じさせてくれる。理屈やキレイごとではなく体をぶつけ合って呑み込める感覚として。静かだけれど荒々しい。素朴だけど限りない豊かさをたたえるものとして。

未音崎湾望台はそんな場所。

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