息子へ。東北からの手紙(2014年6月24日)

iRyota25

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津波を生き延びた庭木をレスキューできないか

かさ上げ工事が急ピッチで進む、いわき市久之浜の東町エリア(沿岸部)。辛うじて残っていた住宅敷地跡の基礎コンクリートもいまは撤去され、町全体が埋め尽くされていく
かさ上げ工事が急ピッチで進む、いわき市久之浜の東町エリア(沿岸部)。辛うじて残っていた住宅敷地跡の基礎コンクリートもいまは撤去され、町全体が埋め尽くされていく

「町ではかさ上げの工事が始まっているでしょ。そうするとね、敷地の中に残って立っていた木は撤去されてしまうんです」

お前さんを先に帰したゴールデンウィークの東北旅行の後半、いわき市久之浜で懇意にさせていただいている神社のお母さんからそんな話を聞いた。津波に浸かったのに3年も生き延びてきた木が、邪魔者のように取り払われ、その場所がかさ上げされて行く。

「たしかにね、工事をするのに当たって、庭木を別の場所に移してなんてことは大変だってことは分かるんですよ。でもね……」

地震と津波を生き延びて、建物が撤去された後、基礎と土地の境界くらいしか土地のアイデンティティが残されていなかった町で、健気に生き続け、花も咲かせてきた庭木。それを無造作に撤去してしまうのはあまりにも忍びないと、彼女は連絡が取れたお宅から庭木や草花を救い出す活動をしているという。

その行動に、レスキューなんて言葉を当てはめると、彼女はおそらく戸惑って、「やめて下さい」ということだろう。庭木や花壇の花の苗を救い出すにしても、ただ掘り起こすだけではだめだ。植え替える場所が必要。しかし、その場所も限られている。

「できる範囲でしかやれないですけどね」

そんなふうに話す彼女の言葉を聞きながら、自分の無力を感じた。

町の記憶をつなぐ存在

たかが庭木と言いきるのは簡単だろう。しかし、地震と津波と火災、そして被災家屋の撤去によって、震災から約半年には町の元の姿がほとんど見えなくなっていた久之浜の町で、ところどころに生き延びていたマサキや小さな松、そして自分には名前も分からない小さな木々は、そこに人々の暮らしがあったのだということを雄弁に物語るものだった。

その土地に住んでいた人にとっては言うまでもないだろう。朝起きて、窓辺に立って毎日眺めていた木であり、花が咲くのを心待ちにしていた木であり、害虫の影響を心配しながら世話していた木だったかもしれない。

ご近所の人たちにとっても、「○○さんち」は「築山に枝振りのいい松があるお宅」であったり、「玄関脇にマサキとヒイラギナンテンが植えられたお家」だったりしたことだろう。町の外からの訪問者に尋ねられたら「○○の木が見えるお宅ですよ」と案内していたかもしれない。

震災と、少なからず影響がある原発事故のせいで町から離れて暮らしている人が少なくない中で、かさ上げと造成と災害公営住宅が完成したとしても、はたしてそれが町の復興た姿として認識できるだろうか。そんなことを、素朴に考えてしまう。

工事が進む久之浜の災害公営住宅。しかし住居だけでは人は暮らしていけない
工事が進む久之浜の災害公営住宅。しかし住居だけでは人は暮らしていけない

もしかしたら、かつての家の敷地にあった木々や草花は、復興という大きな看板の前では撮るに足らない些細なものに見えたとしても、実は「かつての町」、つまり自分たちがなじんできた町と、「新しい町」をつなぎ止める大切な存在なのではないか。過去と未来の間に現在ある欠落を飛び越えてリエゾンする力を持った何かなのかもしれない。

そんなことを思った。そして、どんどん進んで行くように見えるかさ上げ工事の現場を目の前に、やはり無力を感じずにはいられなかった。

海岸すぐそばで奇跡的に難を逃れた稲荷神社のすぐ近くまで、かさ上げ工事は進められていた
海岸すぐそばで奇跡的に難を逃れた稲荷神社のすぐ近くまで、かさ上げ工事は進められていた

さまざまな場所で同じ状況が進んでいる

そんなことがあって2カ月ほど。女川のNさんと原稿についてのやり取りの中で、八重咲きの椿の話が出てきた。ほら、Nさんの女川の家に案内してもらった時にも咲いていたあのピンク色の八重椿だ。

Nさんは椿の枝を持って帰って挿し木にしようとしたのだけれど、けっきょく枯れてしまったんだそうだ。町中が20メートルもの津波に埋め尽くされ、押し寄せる波と引き波で町のほとんどが失われたあの町で、津波の浸水に耐えて今年も花を咲かせていたあの椿は、とても貴重な存在だと思わないか?

いまは町の中心部の工事が忙しいけれど、やがてNさんの自宅の椿の木も撤去されて、敷地も整備されてしまうことになるだろう。

そうなる前に、あの椿を別の場所に植え替えるお手伝いをしたい――。久之浜のお母さんの言葉と、女川のNさんの話を結び合わせて、そう思ったんだ。

かさ上げや造成は町の復興に欠かせないことだろう。だけど、震災前の暮らしの場面の中にいつもあって、話しかけられたり、愛でられたり、ふだんは忘れていてもある時にふっと思い出されたりしてきた庭の木、それぞれのお宅にとってのシンボルツリーの数々をこれから先の復興の時代につなげて行くことはとても大切なことなのではないだろうか。継承して行くという意味では、ハード面での工事より以上に。

植木屋さんとの連携、植え替え場所、お住まいだった方とのリレーション……。ハードルはいくつもあるけれど、自分にできることを見つけ出していきたいと思っている。

サポート、よろしくね。

写真と文●井上良太

最終更新:

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  • O

    onagawa986

    話が繋がってる!すごい!
    もう土地も売ってしまったし、暮らしや生活が優先で「庭木を移植」なんて思いつきもしなかったです…
    せめて挿し木でと思って試したり、小さなものは助け出してはきたけれど…
    なんだかあの椿にも希望が見えてきたのかな?
    ありがとうございます!自分も出来ることからやらないと!!