○回答者 非常に真っ黒けになって、NHKが御丁寧に報道していただいたんで、全国の方が燃えているところと黒い煙を見ていらっしゃると思うんですが、あの後、原子力発電所には消防車もないのかということで、えらいバッシングに遭いまして、消防車を買った。それと同時に、防火対策をもっとしないといけないということで、防火水槽を、水源を、発電所内に枡をつくったのはその後なんですね。ですから、消火対策にこれだけ力を入れたのは中越沖地震の後です。この枡も何カ所かあれした。
「回答者」とは、東京電力福島第一原発の所長だった故・吉田昌郎所長。政府事故調によるインタビュー、いわゆる「吉田調書」の一節です。この地震では(も)、原発には地震による大きな影響はないとアナウンスされていましたが、構内で立ち上る真っ黒な煙をNHK新潟放送局のヘリコプターがとらえたのです。
この火災のシーンを覚えている方も多いでしょう。事故が起きないはずの原発で、原子炉本体など大切な部分への影響はないとはいうことながら、激しい火災が発生したのです。かなりの衝撃でした。
吉田調書にあるように、この火災が全国に伝えられたことがきっかけとなって、福島第一原発では消防関連の施設が増強されました。消防車を配置する。消火用の配管を改善する。消火用の水槽や枡を設置するなど。それらの改善が、実は東日本大震災の原発事故発生当初、大きな役割を果たすことになったのです。
1号機に冷却用の水を注入したのは、中越沖地震の後に配備された消防車だといわれています。2号機に海水を注入する際には、海水面からの高度差を克服するために、消防用の水槽が利用されました。
さらに、吉田所長らが事故後の指揮をとった免震重要棟もまた、中越沖地震で事務所のドアが開閉できなくなった教訓から建設されることになり、東日本大震災の直前に完成していたものです。もしも免震重要棟がなかったら、指揮系統が混乱し、事故への対応が決定的にまずい状態になっていたことも十分考えられます。
東日本大震災の原発事故では、多くの周辺住民に長期に渡る避難生活を強いることになる大きな被害が生じていますが、もしも中越地震の教訓がなければ、吉田調書の表現で「NHKが御丁寧に報道していただ」くことがなかったら、さらに重大な事態、たとえば元首相の菅直人氏が懸念していたとおり、東日本から人がいなくなる事態に発展していた可能性も否定出来ないのです。
中越沖地震では多くの家屋が倒壊したり、インフラが広い範囲で破壊されました。当日は「海の日」で、休日の午前中の地震だったために、15人もの方が倒壊した家屋の下で命を失われました。そのうち11人は高齢者だったと伝えられています。防災上、数々の問題点が明らかになった地震でした。
しかしその一方で、2004年10月に発生した中越地震から3年も経たないうちに再び発生した地震だったため、その経験から、行政の対応、ボランティアの受け入れ、そして何より地域の人々の助け合いが復旧に向けての対応に生かされたとの評価もあります。紹介したように原発での火災事故の教訓が次の大震災に生かされたと考えられる面もあります。
震災を経験したことで対応力がアップするというと、悲しい感じもしますが、自然災害の多いこの国に暮らす以上、災害の経験を次に生かすことは非常に大切なことです。中越沖地震は、そうした意味でも学ぶべき教訓の多い災害といえるのです。
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