こどもたちが自分で判断して安全を確保する訓練
「小学校なんて、授業中、休み時間、給食時間とか、いろんな時間帯で抜き打ちで避難訓練やっていますから。だって『今日は何時から避難訓練をやります』なんてのじゃ訓練にならない。地震はいつ来るか分からないでしょう。」
「地震が来ると防災ずきんを被って机の下に隠れるっていう訓練は、いろいろな場所でやっていると思います。でも、身を隠す机がない所にいる時に大地震が来たらどうすればいいんでしょう。体育館の中とか、給食を運んでいる廊下とか、昇降口で靴を脱いでいる時とか…。どんなシチュエーションで地震に遭っても、こどもたちが自分たちで身の安全を考えて、しかも即座に行動できるようになることが訓練の意味なんです。」
岩沼市の友人がとあるシンポでそんな話をするのを聞いた。終わった後の打ち上げでも話題になった。
「この話するとけっこうみんな驚くんだよね。そこまでやるんだって。うちの方の小学校の訓練はホントに気合が入っている。大人も負けちゃうくらいだもんね。」
大ジョッキを片手に笑いながら、「それでも大人だってね」と続ける。
たとえばリーダー不在にならないためには
「大人が参加する町の訓練でもね、経験したことに即して現実的な訓練やってるんですよ。たとえばね、避難場所でアタマやる人って、あらかじめ誰がリーダーって決めているところがほとんどでしょ。でも、もしもリーダーが来なかったらどうなる? リーダー不在という非常にマズイ状況に陥ってしまうでしょ。じゃあどうしよう? サブリーダーを決めておく? そのサブリーダーも来なかったら? じゃあサブサブリーダーも決めとく?」
「おれらの方ではね、誰がリーダーなんてあらかじめ決めたりしないの。訓練では集まった人たちの中で、誰がリーダーやって、誰が連絡係やってとかの役割分担をその場で決めることから始めるんだ。来るか来ないか分からないリーダーを想定しての訓練なんて意味ないからね。」
静岡県では1978年から「想定東海地震」への対策として防災に力を入れて取り組んできた。学校も自治体も支援団体も訓練には熱心だ。それでも、岩沼市の友人が話してくれたような、「真剣度」が高い訓練は経験したことはない。
東日本大震災の経験から、訓練や避難計画の改善が図られるようになったとは言うものの、行政区単位の訓練では各組の組長が住民の点呼やとりまとめのみならず、連絡役や配給などの担当まで行うことになっていて、体が3つくらいなければ対応できないという計画になっていた。これじゃダメだということで、防災担当の要員を各組に配置しようという話が立ち上がったが、誰がやるかという問題がネックになって具体的な話には至っていない。
恐ろしさを身をもって経験したからこそ、実際に即した訓練ができる。真剣に行う訓練を「めんどうだ」なんて思うこともない。しかし、体験のない地域では、どんなに危険が叫ばれていたとしても、実のある訓練の実施はきわめて難しい。「そんなことまでやらなくても」とブレーキをかける声に対して、有効な説得材料がない。
だけど災害はやってくる
そう、だけど天災は必ずやってくる。まともに備えることなくその時を迎えることは何としても避けたい。じゃあどうするか?
そのひとつの方法は、震災を経験した人たちが、こんなにも真剣に訓練に取り組んでいるんだということを伝えていくことだと思う。
岩沼市の友人の話を聞いて、目からウロコが飛び出した! ような経験を自分の知人にも体験してもらえば、きっと意識は伝わっていくのじゃないだろうか。
岩沼市の友人に会ったら、避難訓練の話の続きについて、もっと詳しく聞いてきて、続編をつくろうと思います。
文●井上良太
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