東北の友人たちが言うことには。その9「南海トラフ巨大地震」

iRyota25

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中央防災会議の作業部会が取りまとめた「南海トラフ巨大地震」対策の最終報告書が公開された。

 南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ
www.bousai.go.jp  

内閣府のページからダウンロードして全文を読むことができる。

あれっ? と疑問に思う点がいくつかあった。
まだ実際に聞いたわけではないが、東北で震災を経験した知人に聞いたら、
きっと「これは変!」と指摘してくれるに違いないと思う。

避難してきた人を追い返す避難所?

まず、避難所トリアージという新語(造語?)に驚いた。

トリアージとは、たくさんの負傷者が運び込まれた医療機関で、生命の危険の緊迫度によって負傷者に優先順位を付けていくこと。ひとりでも多くの人命を救うためにとられるシビアかつ現実的な対応だ。

これに対して避難所トリアージがどういうものか、状況を想像してみた。

巨大な地震に見舞われて、町には倒壊した建物もある。ところどころ煙のようなものも上がってきた。割れたガラスや落ちた瓦が散乱する道を、恐怖に怯えながらようやく指定避難所にたどり着いたら、入り口で、知らない人がハンドマイクで叫んでいる。
「避難所の設備は限られています。高齢者や乳幼児、障がい者など、保護の必要度が高い人を優先的に受け入れています。」
と、その時、行政の人なのか誰なのか、担当らしき人から声を掛けられた。

「あなたの家は倒壊しましたか?」

むちゃくちゃな質問にむっとしたけれど、非常時だからと気を取り直して、できるだけ冷静に答えてみる。

「潰れてはいないけど、中はめちゃくちゃです。1階のガラスは割れてしまったし、壁にも細かい亀裂が入っていました。」

すると相手の口からは信じられない言葉が。。

「その程度の被害でしたら、とりあえずご自宅で待機してください。避難所はたいへん混雑していますので、ご協力ください。」

こんなふうに、避難所から追い返されることがありうるということなのだ。

理由は、避難者に比べて避難所のキャパシティが大幅に不足する可能性が高い上に、被害の範囲がきわめて広範囲に及ぶと予想されるので、周辺自治体によるサポートにも限りがあるから。

避難所トリアージが実施される状況を想像していたら、東北の被災地のたくさんの人たちの顔が浮かんできた。耳元で声が聞こえてきた。

「大きな地震の後には大きな余震が続くんだよ。2011年の時は、夜通し揺れ続けていたようなもんだ。そんな危険な状況で自宅に戻れなんて、ありえないね。」

「そもそもどうやって仕分けるの? 被害状況をどうやって判断するんだろうね。」

「津波や火事が予想されるような状況では、そんな対応、まず無理だ。」

「あの時も、地震の後は、何が起こるか心配だった。不安だから、みんながいる避難所に行こうっていう人を追い返すなんて、考えられない。」

さらに、南海トラフの巨大地震では、東海地震・東南海地震・南海地震が時間差で発生することがあるらしい。江戸時代の安政東南海地震では32時間後に南海地震が発生。両方の地震の被害が大きかった近畿地方では、どちらの地震による被害なのか分からない地形や地質の痕跡もあるらしい。

トリアージで自宅に帰されて、時間差で発生する大地震に見舞われてしまったのでは悔やみきれない。それに、大きな余震が発生する可能性は、時間差で発生する大地震よりはるかに高いから、大地震直後の被災地がたいへん危険な場所であるのは間違いない。

現状の施設でキャパが足りないのなら、これから先、公共施設を造るときには、避難所としての利用も織り込んだものにするとか、民間の施設を使う協定を結ぶなど、対応策はいろいろあるのではないか。

いったい何のため、トリアージなんて考えを持ち出したのか、理解に苦しむ。

個人で1週間分の備蓄は可能か?

避難所のキャパシティが不足する上、近隣自治体からの支援もすぐには無理だから、自分の身は自分で守ろう。1週間分の水や食料は個人で備蓄だ!という提言が行われた。

しかし、
自宅が被害に遭って備蓄していたものを取り出せなくなったらどうするのだろう。

女川の石田さんの声がリアルに聞こえてきた気がした。

「私たちみたいに津波ですべて流されてしまったら、どうするつもり?」

だからこそ、公的な機関での備蓄が必要であるはずだ。

もちろん、個人による備えは大切だ。でも、だからと言って、行政がその仕事を放棄していいということにはならない。個人も、行政も、そして身近な地域も、それぞれが災害への備えを行い、補い合うという考え方が重要なのに、最終報告書ではこの部分がほとんど強調されていない。

「500ミリリットルのペットボトルを10人で分け合った。」
「握りずしくらいの大きさのおにぎりを、後でこどもに上げるためにラップで包んでポッケに入れた。」
「避難した校舎のまわりが水没し、孤立したことが分かったとき、避難していたみんなが、持っていた食料を供出して分け合ったんですよ。自分は3日間でアメ玉ひとつでしたけどね。」

でも、報告書で想定されるように、1週間も支援を待つようなことになると、いったいどうなってしまうだろうか。

助け合う美しい心と「行政は何もしてくれない!」と非難する気持ちが、ひとりの人の中に同居しうることを忘れてはならないと思う。

このところ、自助・共助・公助という言葉がよく語られるが、「財政難だから個人で備えろ!」という話ではないはずだ。
今回の提言は千年に一度の大災害を念頭に出されたものだ。
であればなおのこと、個人・地域・行政の三者が備えを充実し、補い合う仕組みを、まずは目指すべきだろう。

関東から九州までの太平洋沿岸の津々浦々の町々に「極限状況」が生じるようなことがあってはならない。

蔓延する不公平をどうするか

被災した自治体だけでは避難場所が足りないケースが想定されるので、より広域に自治体が連携して、被災者を受け入れようという提言もあった。

東日本大震災でも、たくさんの人が別の土地への避難を経験している。親戚や知人を頼って町を離れた人、避難所の生活環境に合わなくて隣町にアパートを借りた人、行政による二次避難として他県に移動した人もいた。

でも、町を離れて避難した経験のある人たちが口を揃えるのは次のような話だ。

「とにかくね、町の避難所に行かなければ情報が何もないのよ。私は山の方の隣町に避難していたんだけど、まったく情報が入らない。役所の手続きや書類の書き方みたいな話から、仮設住宅の申し込みがいつ頃になるかという情報、炊き出しとか物資とかイベントの情報なんかも、一切入らなかったからね。」

たくさんの人から聞いた話の代表として紹介するのは、南三陸町のロードサイドで食堂を切り盛りするお姉さんの話。「情報の入らないのって苦しいのよ。取り残されるかもっていう危機感があるから、用事がなくても町の避難所に通っていたんだから。」

情報は、集まるところには何でも集まる。集まらないところには何もない――。
福島でも宮城でも岩手でも、30分や1時間くらいかけて通ったという話を多くの人から伺った。

物事がどう進んでいくのか見えない非常の時には、情報を知らなければ手にすることができないモノやサービスも多々あったという。情報の有無がそのまま「格差」につながっていたのだ。

不公平は情報だけではなかった。

たとえばだ、残念だけれど、こんな話はたくさんある。
・他の自治体へ避難した人のみならず、近所の在宅避難者に対しても、支援物資の提供を拒否した避難所(の世話役)。
・避難所宛に届けられた物資を抱え込んで隠していた避難所(の世話役)。
・支援物資を手に入れるために、ほかの避難所に支援している団体の連絡先を強引に聞き出そうとした避難所(の世話役)。

2週間後に現地入りした知り合いのボランティアの中には、「どうせ捨てることになるから」とお弁当を4つも5つももらった人がいる。別の避難所では食料がまだ行きわたっていない時期だったのに。支援してもらったものなのに「このお金は使えない」と語った陸前高田の人が、

「もしも次にどこかで大きな災害がおきてしまった時には、私は何をおいてでも駆けつけなければならないのだから。」

と強く言い切ったのは、『被災地でのにんげんのこと』を知っているからこそ、伝えなければならないと思っているからではないだろうか。

物やお金を持っていくだけでは伝えられないもの。編集された活字や編集されたインタビュー映像では決して伝えられないこと。

平べったい言葉でいうなら「公助」という考え方。

そのことを、平べったくない、生きた言葉で伝えること。


日本中、どこで発生しても不思議ではない大災害。自分事として向かい合い、少しでも被害を少なくするために、東北の人たちの力が欠かせない。

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文●井上良太

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