青春18きっぷを手にすると、どれだけ電車に乗っていても平気になってしまう。
--------------------------------------------------------------------------------------- ■青春18きっぷ
・JR北海道からJR九州まで、すべてのJRの普通列車が乗り放題になる。
(特急列車は不可)  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
・使用期間は大まかに春、夏、冬。学生の休暇時期と重なるように設定される。
・5枚つづり11,500円で販売されるため、1日あたり2,300円で乗り放題。
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問題は八代駅から先!
大学を休学し、沖縄・西表島で働くことになった僕。青春18きっぷを片手に地元・神戸を出発し、まずは鈍行で鹿児島を目指す。初日は順調に熊本・八代駅まで行くことが出来た。しかし、ここから先が問題だった。
2日目は、八代駅から鹿児島中央駅まで行き、鹿児島港から沖縄行きのフェリーに乗る予定だ。目的地は鹿児島中央駅。調べてみたところ、八代駅から鹿児島中央駅へ行くには、主に3つのパターンがあった(2008年当時)。
★1つめは、八代駅の隣駅である新八代駅で【九州新幹線】に乗り換え、鹿児島方面へ行くパターン。しかし、当然運賃は高くつくし、そもそも青春18きっぷでは新幹線に乗ることもできないため、この選択肢はありえない。
★2つめは、八代駅から【肥薩おれんじ鉄道】に乗り換え、九州西部の海沿いを走りながら鹿児島を目指すパターン。この九州西部の海沿いを走るルートは、そのまま目的地の鹿児島中央駅まで伸びているので一見楽である。
しかし注意したいのは、この肥薩おれんじ鉄道。これは、元・JRの第三セクター方式の鉄道、いわゆる三セク路線だ。元々JRは、門司港駅(福岡)から鹿児島中央駅(鹿児島)までを鹿児島本線としていたが、その途中の八代駅(熊本)から川内駅(鹿児島)までの区間は慢性的な赤字区間だったらしい。営業距離が長いことに対して沿線人口が少なかったことから、経営が分離され、肥薩おれんじ鉄道として再出発した経緯があるそうだ。
つまり、肥薩おれんじ鉄道は鹿児島を目指すには便利だが、あくまで第三セクター。青春18きっぷを持って乗車は出来ても、肥薩おれんじ鉄道の区間は別料金が発生してしまうのだ。となると、やはり選択肢から外れてしまう。。
★そして3つめ。八代駅から【肥薩線】へ乗り換え、鹿児島方面を目指すパターン。これは、熊本・人吉市、宮崎・えびの市、鹿児島県内各市町を抜け、隼人駅(鹿児島)まで行き、隼人駅で日豊本線に乗り換え。そのまま鹿児島中央駅を目指すという、ちょっとややこしいルートだ。
このルートなら、先に述べたパターンのように“青春18きっぷが使えない”ということはない。しかし、問題は「肥薩線の一部区間(人吉~吉松)は1日たった5本しか列車が走っていない」という点だった。
鹿児島港18時発のフェリーに乗る。そのために……
僕は【肥薩線】に乗ることに決めた。この肥薩線は八代(熊本)~隼人(鹿児島)を結ぶ路線だが、述べたように、途中の人吉(熊本)~吉松(鹿児島)間では、列車が1日5本しか走っていない。
つまり、この人吉~吉松間を走る列車の時刻に合わせて行動しなければならない。そのため、「青春18きっぷファン泣かせ」な存在だと言われているそうだ。
僕自身の予定としては、鹿児島港18時発のフェリーに乗りたかった。時間的には全然余裕に見えるのだが、そのためには「人吉駅10時8分発」の列車に必ず、必ず乗らなくてはならない!!時間厳守、仮に万が一乗り遅れたとして「次があるさ」では済まされないのである。
学生特有の生ぬるい性分だった僕。恥ずかしながら、当時はこの“時間厳守”という言葉がとにかく苦手だった。だからこそ、妙なプレッシャーがあったのは言うまでもない。列車の本数が少ない区間では、こういったところで余裕のなさを感じたりする。
この「人吉駅10時8分発」の列車を軸に予定を考えてみると、次のとおりになった。
---------------------------------------------------------------------------------------- 【乗り換え予定】 【人吉駅時刻表:隼人方面】
07:53 八代駅 07:18 吉松行き(始発)
↓ (所要約80分) ●10:08 吉松行き(始発)いさぶろう1号
09:10 人吉駅着 13:21 吉松行き(始発)いさぶろう3号
↓ [列車待ち約60分] 17:09 吉松行き(始発)
●10:08 人吉駅発 19:47 吉松行き(始発)
↓ (所要約40分)★1日たった5本のみ!
11:21 吉松駅着
↓ [列車待ち約40分]
11:59 吉松駅発
↓ (所要約50分)
12:52 隼人駅
↓ (所要約60分)
13:48 鹿児島中央駅
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これなら鹿児島中央駅には13時48分に着ける(左・乗り換え予定参照)。当然、鹿児島港18時発のフェリーには余裕で間に合うだろう。
しかし不思議なもので、もし仮に列車を1本逃した場合「人吉駅13時21分発」まで次の列車が無い(右・時刻表参照)。こうなると、鹿児島中央駅には17時25分着になるのだが、これだと18時発のフェリーに乗れるかと言えば、少し微妙なラインだ。なんとももどかしい!
また、乗車時間だけで言えば実質4時間程度で済むのだ。ところが、毎回乗り換え駅でそこそこの待ち時間がある。接続は決して良くない。結果、所要時間で言えば、6時間ほどかかってしまうのである。これももどかしい!
そして「人吉駅10時8分発」の列車の場合、見てのとおり、八代駅を7時53分には出る必要がある(左・乗り換え予定参照)。前日、八代駅に到着した時刻は23時30分過ぎ。八代では最寄りのネットカフェに泊まったわけだが、これらを考慮すると意外とゆっくりできないのである。それにつけてももどかしい!
一般的な社会人なら、7時53分の列車に乗ることなどできて当然だろう。しかし、一般的な(堕落した)大学生が、7時53分の列車に乗るなんてそう容易なことではない!!さらに、ネットカフェの店内はうるさく出来ないため、目覚ましアラームだって鳴らせないのである。
こんなおそろしい状況下、速やかに寝ようとした僕だが、プレッシャーのせいか、逆になかなか寝付けなかったのだ。
球磨川沿いを行き、人吉駅へ(八代駅~人吉駅)
午前7時。朝起きられるかという不安と戦っていた僕は、無事、余裕を持って目を覚ますことができた。
何しろ、ネットカフェのパソコン上に、「フリーの目覚ましソフト」をインストールし、時刻を設定してヘッドホンを装着。寝相の悪さでそのヘッドホンがズレ落ちないよう、頭をハンドタオルでぐるぐる巻きにして固定。そのうえ、起きやすいように変な体勢で寝たのだ。
なかなか寝付けず、3時間弱の睡眠になったものの、まずは「起きられた」というその事実に安堵。身支度をして、八代駅へ向かう。駅員さんに青春18きっぷを見せ、本日分のスタンプを押してもらってスタートだ。
どうも天気がすぐれないようで、厚い雲が空を覆っている。7時53分、人吉駅行きの列車が出発。列車は球磨川沿いを走りだした。
景色が抜群の車窓。球磨川と言えば、富士川、最上川と並ぶ日本三大急流だそうだが、車窓から見える球磨川は、ゆったりさらさらと流れている。球磨川を囲む山々の木々を反映した水面の緑っぽい色みが印象的だ。……と、見ごたえのある景色だったものの、寝不足のせいかすぐに眠たくなり、僕はあっさりと堕ちてしまった。
1時間20分の乗車時間を経て、人吉駅に到着。折り返しの八代行きとなった列車に、乗客がぞろぞろと乗り始めたところで、ようやく目が覚めた。
さて、問題の人吉駅に着いた!
ここから先が、例の1日5本しかない区間である。次の列車は「人吉駅10時8分発」。この時点で9時過ぎなので、列車は約1時間待ちだ。もちろん、ホームにいてもやることが無いので、一度改札を出て周辺を散策する。
青春18きっぷで旅をしていると、こうしてふと見知らぬ駅で電車待ちをすることが多くなる。そんな時は、その街の名産品や歴史に注目するようになった。看板などを眺めたところ、どうやらこの人吉は温泉地らしい。球磨川やその周辺の風景が美しく、かつては城下町として栄えたそうだ。しかし、交通網の発達により、現在は人口の減少が続いているとのこと。
その説明どおり、駅前は温泉街らしい趣あるたたずまい。駅前は人がまばらで、4月ではあるものの、少し湿気を帯びた空気はひんやり感じた。
ちょうど手に取ったチラシには、九州各地の駅弁が一斉に掲載されていた。しかも、人吉駅の「鮎すし」が、その中で「グランプリ」と書かれているじゃないか!!
きっと、かなり旨いのだろう。こうした出会いがいちいち面白い。さっそく僕は駅前の販売所へ行き「鮎すし」……は、売り切れていたので隣にあった「栗めし」を購入した。休日や観光シーズンには、駅のホームで立ち売りも行っているらしい。
弁当を買って販売所を出るころ、先ほどから薄々感じていた嫌な予感が的中した。
雨だ。それも、突然の大雨。水滴が地面を叩く音が響き渡るなか、僕は慌てて駅へと戻る。「人吉駅10時8分発」の列車まであとまだ40分近く。これじゃあ何もできないなぁ~。肩を落としていると、僕の携帯が鳴る。出てみると、大学の学部事務室からで「休学手続きに必要な書類に不備がある」とか、ナントカカントカ。慌てて実家へ電話し、必要事項を確認。事なきを得たものの、なんだか急に、旅情を楽しむ余裕がなくなってしまった。
山を越えて南九州縦貫!観光列車「いさぶろう号」に乗る(人吉駅~吉松駅)
人吉駅に到着した赤い車体の「いさぶろう1号」。必ず乗らなきゃいけなかった「人吉駅10時8分発」の列車だ。人吉駅~吉松駅間が建設された当時逓信大臣、山縣伊三郎にちなんだ名前らしい。沿線人口が少なく、列車の本数もわずかしかない同区間を逆手に取り、秘境を行く観光列車として走っているそうだ。
観光列車と言うが、車種としては普通車扱いなので、もちろん青春18きっぷで乗車可能。ただし、自由席はたった7席で、残りの大半が指定席(有料)という、これまた日ごろ馴染みのないタイプの列車だから面白い。せっかくなので指定席券を購入し、ゆったりと座った。
列車は山岳地帯をゆっくりと走っていく。
しばらく続いたトンネルを抜けると、味わい深かった人吉の街並みから、のどかな見た目の山あいの景色へ。本やテレビでしか見たことはないが、昔ながらの農村風景といったところだろうか。ぽつぽつと民家が見え、その民家はどれも広々と大きな敷地にゆったり構えている。列車はそんな景色を臨みつつ、ゆっくり緩やかに勾配をのぼっていく。いつの間にか雨もやみ、ふたたび旅情が増してきた。
車内アナウンスが、この区間の見どころを教えてくれる。
間もなく到着する駅は大畑駅。大畑駅と書くが「おこば駅」と読む難読駅らしい。かつてのこの肥薩線は、肥後国と薩摩国を結ぶ唯一の路線だったそうで、多くの人で賑わったそうだ。当時のSL列車は、急勾配に対して大量の石炭と水を消費したとのことで、この大畑駅はその補給所として賑わったとある。
そんな説明だったが、今は人が乗り降りすることもほぼ皆無らしい。いさぶろう号に乗る観光客が、当時の雰囲気に思いを馳せて楽しむそうだ。
列車は5分ほど停車するとのこと。この間はレトロな駅舎や周辺の景色を楽しむ時間だというので、周りに合わせて色々と見て回る。
特に木造瓦屋根の駅舎は印象的だった。なんでも「駅舎内の壁面に名刺を貼り付けると出世する」なんて言い伝え(?)があるらしく、古いものから新しいものまで名刺が所狭しと貼り付けられていた。
名刺……、出世……、これぞ社会人キーワード!学生の僕にはピンと来ない。しかしそんな僕に、もう一人の自分がすかさずツッコミを入れる。
「いや、社会人間近の学生が“ピンと来ない”で良いのか??」
もちろん、もう一人の自分も言い返す。
「いやいや、いつかは嫌でも社会人になるんだから、今は学生らしく生きるんだ。今回はそういう一人旅じゃないか」
「いやいやいや、“学生らしく生きる”?それはただの現実逃避ではないかね?」
「いやいやいやいや、今しかできないことをしないときっと一生後悔するんだ」
「いやいやいやいやいや、そんな寄り道をしている間に周りと差が付いていくんだぜ?」
「いやいやいやいやいやいや……、」
い、いかん!エンドレスループの葛藤が!!
……一人旅は、自分を見つめる旅らしい。正直なところ、道中はすぐこういうプラス思考ともマイナス思考ともとれない思考が頭をもたげ、答えのない答えを探す僕がいた。ここまで余談だが。
(さて、気を取り直して)大畑駅を発車した列車。観光案内のアナウンスが「ここでにスイッチバックを行い、さらにループ線をのぼります」という。“スイッチバック”も“ループ線”も僕には馴染みのない言葉だが、これは急勾配に弱い列車が、なだらかに坂をのぼれるように線路を敷く手法らしい。
どちらも鉄道ファンの間ではアツい言葉らしく、いかにも高そうな一眼レフを構えた“鉄っちゃん”があらゆる角度から写真を撮りはじめた。中には大畑駅で下車して、動く列車を撮影しているツワモノも!次の列車は数時間後だし、この大畑駅自体、人里離れた陸の孤島みたいな場所だというのに……。
しかし、こんなフクザツな形をした線路、これは鉄っちゃんじゃなくてもちょっとワクワクしてしまう。子供のころ、“プラレール”で線路を作っていた記憶がよみがえる。
さらに線路は標高を上げ、矢岳駅(やたけ駅)へ。大畑駅よりもさらに「山の中」といった印象で、やはり木造の駅舎が味わい深い。かつて走っていたSLの展示館があり、やはり鉄ちゃんたちがシャッター音を立てていた。
何が良いのか、寝転がったり、木に足を引っかけたり、あらゆる角度から撮る鉄ちゃんたち。その熱意を見て「自分は今後将来、何に打ち込んで生きるのだろう……」とか考えてしまう。嗚呼、一人旅。
「右手に見えます山々は霧島連山です」
と、ふたたびアナウンスを聞いて我に返った僕。駅に着いたワケではないが、列車は一時停車し、その車窓からは雄大すぎる景色が広がった。「矢岳越え」と呼ばれる日本三大車窓の一つらしい。山を越え、すっかり晴れた景色は、遠くまで見通すことができ、「奥に見えているのは桜島だ」と教えてくれた。
こんな景色を見ると、頭の中で繰り返される自問自答にも「ばかばかしいな!」と開き直れる。「桜島まで見通せるなんて、これからの見通しが明るい証拠じゃないか」と強引に前向きになろうとする。僕は必死だった(笑)
しばらくして、真幸駅に到着。こちらも読めそうで読めない字だが、「まさき駅」というそうだ。
同様に長めの停車時間。駅舎には優しそうな顔をした年配女性が数人。そこで特産品が販売されており、東国原知事(当時)の看板が出迎えてくれた。そう、先ほどまで熊本県人吉市内を走っていたが、ここ真幸駅は宮崎県えびの市。そして次の終着・吉松駅は鹿児島県姶良郡湧水町と、ここで一気に県境を通過するのだ。
サービスの冷たいお茶をいただくと、飲みなれている素っ気ない麦茶とは違う、華やかな香りが広がった。売店は何というか、田舎のおばあちゃん家の庭先みたいな風情で、赤い屋根と山地の背景がどこか懐かしい気持ちにさせられる。下町育ちの僕にとって、決して馴染みある風景ではないのだけど、それでも、どこか落ち着く。
駅舎の近くからゴーンと音がしたので見てみると、ホームの中に鐘が設置されており、さっきの鉄っちゃん連中が鳴らしていた。「幸せの鐘」という名前だそうだ。
真幸駅は、その名前から「真の幸せに入る」という意味を持つ、縁起が良いとされる駅らしい。「なんてステキな名前なんだ!」と、引き続き強引に前向きを演じていた僕は、鐘を3回ほど突き鳴らした。雨の降っていた人吉と違い、気温的にも暖かい。徐々に南国に近づいている証拠なのだろうか、どことなく初夏を思わせる風景に気分が良くなった。
そんなこんなで、真幸駅を出て、ようやく吉松駅へ。観光列車の旅も終了だ。
「さて、先ほどの真幸駅ですが―――、」
と、観光アナウンス。
「縁起がいいとされている一方で、何度か災難に見舞われており、昭和20年には機関車が復員軍人53名を轢死させた事故が云々……。また、昭和47年7月には大雨の影響で起こった土石流が真幸駅を襲い云々……」
……そ、そんな!!
と、最後にそんなエピソードを伝えられ、終着・吉松駅に着いた。
1日5本しか走らない肥薩線の人吉~吉松区間。走った道は山あり谷あり。駅にまつわるエピソードも山あり谷あり……。
そうか。
良いことも悪いこともある。きっとこれが人生なんですね。
将来に悩む大学生の僕は一人で納得し、とりあえず前を向いた。
(つづく)
旅の記事、いろいろあります。
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