陸前高田では、いろいろな意味で孤立無援に思える苦しい状況の中で戦っている人と知り合いになった。
彼女がいまどんな状況におかれているのか、ここで詳しく話すことはできない。約束だから。ただ、ほとんどすべてが破壊された陸前高田の町の、更地と化した最前線のすぐ近くで、町の復活に向けて動き続けている人を想像してほしい。
そんな彼女がこんなことを言うのだ。
「ここをもっと良くしていくためには資金も必要です。そう訴えてきたから全国から支援金をいただきました。でも、そのお金は使えないの。だって、もしも次にどこかで大きな災害がおきてしまった時には、私は何をおいてでも駆けつけなければならないのだから。」
そう聞いて、頭が真っ白になった。
「どうしてですか。使ってほしいと届けられたものでしょう。足元も覚束ないような状況なのに!」
失礼なことを言っていると分かっていたが、言葉が止められない。「なんでそんなことを言うんですか」と繰り返した。自分が半泣き顔になってるのがわかった。感極まるってこういうことかと思った。
それでも彼女は動じることなく言った。
「お世話になったら、お返ししなければ」と。
ずっと言われ続けてきた「お返しをしなければ」
彼女と話しながら、同じことをこれまで、たくさんの場所で、たくさんの人たちから聞かされてきたことを思い出した。
「全国の人たちには本当に感謝しています。でも、どうやってお返しをしたらいいのか分からなくて困っています。」
「いろいろ支援していただいて、ありがたかった。津波でひどい目にあったけど、みなさんの優しさに出会うことができて、いい人生だったと思います。私はもう年だけど、お返しするために少しでも長生きしなければね。」
お茶っこしながらお話を聞いた人にお礼を言ったら、
「私のこんな話でも少しは役に立てたの?」
もちろんですよ。
「ありがとう。そう言ってもらえて今日は本当にうれしい。」
と強く握手されたこともあった。
「これ持ってけ」とお土産をいただくこともある。
ワカメ、昆布、おやつ海苔などの地のものから、缶コーヒー、栄養ドリンク、はては靴下まで。
黙って目を見ながら、「持ってけ」と笹かまを握らせてくれたこともあった。
遠慮など許されない。
「オレの気が済まねえんだ」と。
時々いっしょにお酒を飲むようになった友人からは、「even」という感覚が大切なんだと教わった。こんな時だからとくに、なのか、それがこの土地の文化なのかははっきり聞かなかったが、たぶん両方だろう。
支援してほしいとお願いして送ってもらったのに、「やっぱりこのお金は使えない」と決心してしまうくらい、人のつながりへの意識が太いんだ。●たくさんの物を贈ってもらって、いろいろなことでお世話になって、
東北の友人たちはみんなとても感謝している。
いまでもいろいろな形で、友人としてのプレゼントが届けられている。
そのこと自体はとても良いことだと思うのだが、ときどき少し不安になる。
そのプレゼントへのお礼はどうなるんだろう?
プレゼントに対してお返しをし合って、ずっと付き合っていくことで、
友情が深まっていくといい。
一番大切なのは、お金よりもなによりも「even」という意識でつながっていられることなのかもしれない。
文●井上良太
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