2013年6月22日(834日目)の福島県いわき市薄磯・豊間
塩屋埼灯台。
美空ひばりファンならきっと訪れたことがあるだろう。「みだれ髪」の歌が流れるスピーカー内蔵の歌碑や、永遠のひばり像が建てられた観光スポット。木下惠介監督の映画「喜びも悲しみも幾歳月」の記念碑もある。灯台そのものも美しい。
去年の大晦日、歌碑の前のお土産屋さんと短い時間、話しをした。
「朝日がのぼる海だからね。例年は初日の出を見に来る人で賑わっていたのよ。明日の元旦はどうかしらね。地元じゃない人は見に来るだろうけどね。」
そして一息ついてから、彼女はこう言った。
「私は、まだあんまり海を見たくないのよね。」
塩屋崎を境に北に広がる砂浜は、日本の渚百選にも選ばれた薄磯(うすいそ)。南はいまもサーファーが集まる豊間(とよま)。
震災から834日目の海辺の町を歩いた。
薄磯海岸
建物が撤去された後に残された基礎に描かれたガレ花やメッセージ。
久之浜でスタートした「ガレキに花を咲かせましょう」活動の参加者が継続して描き続けたものだという。
久之浜では、花は解体されるのを待つ建物の方に描かれていた。
建物の多くが撤去されたいま、久之浜のガレ花はほとんど姿を消した。
それは、「花は咲き、散っていく。でも再びめぐってくる季節の中で、咲き続けていくもの」という再生への信念が込められていると聞いた。ガレ花が描かれた建物が壊されていくのを見るのは辛かった。でも、いい話だと思った。
そんなガレ花が、薄磯の集落では基礎の部分に描かれている。
震災から800日を超える月日が流れて行ったいま、
あらためて「We will stand strong again」のメッセージと再会して、
素直に「自分もがんばろう!」と思った。
薄磯の海岸近くにある豊間中学は、津波の直撃を受けて校舎も体育館も大変な被害を受けた。校庭に積み上げられていてガレキの山は、かなり整理・仕分けされてきたように見える。
それでも、プールの手すりの曲がりようや、プールサイドのコンクリ土間が消滅して海砂に埋もれていることなど細部に注目すると、人間の力を超えた津波の威力が迫ってくる。
この場所はあの日、海だった。それも波涛が狂ったように暴れ回る海だった。
豊間海岸
巨大な何かが衝突して、陥没するように割れた擁壁の亀裂を広げるように伸びていく植物。生命は強い。
海岸近くでは、基礎まで破壊された場所もある。
海辺から少し離れると、夏を先取りしたような空の下、雲雀の声くらいしか聞こえてこない。
それでも、町は動き続けているという。
いわき市の別の地域で、住民の立場から町づくりに参加・発言し続けてきた人が教えてくれた。
「豊間は住民と行政、それも市・県・国の連携が見事なんです。住民参加の協議会が町づくりの中心として機能している感じ。見習いたいものです。」
一見、何もなくなったかのように見える町で、静かに進むものがある。
町に暮らしてきた人たちにとっては、ここは廃墟なんかではなく、
将来の暮らしの姿を透視できるリアルな場所なのかもしれない。
そして、豊間の海にはむかしと同じく、サーファーたちがやってくる。
駐車場(?)は満杯だ。
塩屋崎灯台の女性は、まだ海を見たくないと言った。
海辺の町を再建する動きは進んでいる。
震災前と変わらず訪れるビジターたちがいる。
一括りに状況をまとめることなんか、できるわけがない。
いろいろな歯車が回り始めていたり、回るべき歯車の歯がこぼれていたり。
たくさんの状況と、たくさんの将来が土地に結びついている。
解きほぐすことなどできそうにない、大きな束のようなものとして。
解釈するのは簡単だ。
でも、解釈するだけでは何も進まない。
それどころか、忘却を進めていくだけだ。風化なんてものではない、忘却。
「福島では復興はままならい」とか「福島でも復興は進んでいる」とか「多くの人が亡くなった海でレジャーするのはよくない」とか「サーフィン客が戻ってきたことは明るい兆し」とか、
単純な言葉に落とし込んだり、はめ込んだりして、終わったことにしてはならない。
丁寧にひとつひとつ感じ取って行かなければならないという大切なことを、
はままつ東北交流館の佐藤大さんに教えられた一日になった。
●TEXT+PHOTO:井上良太(ライター)
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