多くの避難所が閉鎖となり、大震災の被災地への支援の在り方は変化しつつある。復興を応援する人々の活動を紹介するリポートの第2回目は、被災した人々を伊豆の温泉と自然に招待するショートツアーに焦点を当てる。被災者の心に繋がっていく支援の在り方とは?ユニークな支援を行っているNPO法人伊豆どろんこの会理事長・白井忠志さんに聞いた。
2011年10月8日~10日、東北三県から13チームを招待して静岡県で開催された野球大会「Rebirth Cup」。被災地のジュニア・シニアリーグに所属する中学生が残していったアンケート用紙には、躍るような大きな文字で、こんな言葉が記されていた。
「野球ができてうれしかった」
この野球大会を企画し、被災地を走り回ってコンタクトを取り、観光バスやホテルの手配から自治体への根回しまで行ったのが白井忠志さんだ。
インタビューに応えて白井さんが語り始める。「ゲーム前に監督さんに言われたよ」。彼の語りはどんな時でも、誰に対してでもフレンドリー。「思ったことを黙っていられない性格なんで、損することも多い」と笑うが、被災地で初めて出会う人たちと仲良くなる上で、彼のキャラが役に立ったのは間違いない。
「大震災の後、子供たちはホントに元気がなかったんだって。とくに3年生たちがショゲていた。試合ができないままシニアリーグを卒業することが決まったようなもんだからね。それがこの大会に参加することになって、子供たちの目の輝きが変わりました。ありがとうございますって。そう言われてね、さすがにジーンときちゃった」
白井さんと彼が代表をつとめるNPO法人伊豆どろんこの会は、被災地のサッカー少年団を招いてのJリーグ観戦ツアーや、被災地の子供たちを海水浴に招待するイベントなど、ショートツアーによる被災地支援活動を数多く開催してきた。受け入れてきた子どもたちの人数は400人を超える。
避難所の多くが閉鎖になったとはいえ、被災地の生活は厳しい。狭い仮設住宅、見つからない仕事、先の見えない補償問題。大人たちが苦しい状況にあるのを察して、子供たちも自分を抑えている。友達と離ればなれになったり、知らない土地の学校に通うことになったり、これまで当り前にやってきたスポーツを諦めなければならなくなったり……、たくさんのストレスを背負い込んでいるというのに。
日本有数の観光地である伊豆に遊びに来てリフレッシュしてほしい。日本中に応援している人がいることを、肌で感じてほしい。それが白井さんたちが進めるショートツアーの目的だ。しかし、最初からうまくいったわけではなかった。 想像を超える混乱、うまく機能しない支援、そしてそんな中で駆け回る地元のボランティアリーダーたち。ニュースではあまり取り上げられることがなかった被災地の姿を白井さんは目の当たりにすることになる。
余っている支援物資を他の避難所に届けられない
白井さんが初めて被災地入りしたのは、震災発生から3週間目の4月1日。三島市を拠点に活動するNPO法人とのコラボレーションで、支援物資を満載したワゴン車とトラックに分乗し、まずは福島県郡山市を目指した。
白井さんの中には「被災地の子供たちの受け入れ」という具体的なプランがあった。その実現のため、行政や全国規模のボランティア組織に当たってみたが、現場が混乱していて話がなかなか進まない。「だったら、行けばいいじゃん」。アポなしの白井さんたちが向かった先は、郡山のビッグパレット。そこには2,000人以上の被災者が避難している。事前に仕入れた情報によると物資は不足気味。被災地では営業しているコンビニもごくわずか。行けばきっとニーズがあると思っていた。ところが――。
「ビッグパレットに乗り付けてみたら、避難所には支援物資が山と積まれていた。もうびっくりするくらいの量。食料なんかダブついてたくらい」
ここに物資をおろしても意味がない。むしろ、ここで余っている物資を他に運んだ方がいい。白井さんたちは、他に物資を必要としている避難所がないか、行政の人と思われるスタッフに尋ねてみたが、答は「わからない」。被災者への対応で手いっぱいだったのだろう。それなら自分たちで避難所をひとつずつ回って探せばいい。白井さんたちはそう判断した。
ふと見ると、目の前にパンの山があった。消費期限は1~2日後。「これくらいなら、まだワゴン車に押し込めそうだから、持って行ってもいいでしょ?」。返ってきた言葉は「郡山市内の避難所ならいいけど、よそに持って行くのはNGです」。
「阪神淡路大震災の時、届いたおにぎりの数が避難している人数の半分だったから廃棄したって噂があったけど、あれは本当だったんだと思ったね。おにぎりを半分に割って配るって発想ができない。カタチにこだわってる時じゃないんだけどね」
薄暗い避難所のバックヤードで、白井さんの頭から湯気が立ち始めていたところに、1人の青年が駆け込んできた。名前はハヤト。見た目はちょっとやんちゃ系。この避難所でボランティアリーダーをしているという。
「物資を運んでくれるのって、あなたたち?ちょっと遠いけど、伊達市の梁川高校で支援物資が欲しいって言ってる。行ってくれる?」
テレビで何度も何度も取り上げられるから、ここには物資が集まって来る。でも、マスコミが来ないところには、支援が行きわたらなくて困っている人がたくさんいる。ハヤトはそんなことが「イヤ」で、ツテをたどって他の避難所に連絡を取っていたのだと言う。それも、2,000人を超える避難者のケアに奔走しながらだ。迷子の手を引き何時間も保護者を探して回ったり、子どもが大切なおもちゃをなくしたといえば、徹夜してでも野っぱらを這いまわったりしながら。
「少しでも何とかしたい」。思いがひとつ、繋がった。
新聞紙すら「食器として貴重」な避難所生活
伊豆長岡の温泉旅館に到着した被災地からの一行は、イチゴ狩りやお楽しみ会など、避難所の不自由な生活から解放された3日間を過ごした。新聞などで報道されたのは、おおむねそんな内容だった。しかし──、
「新聞紙にラップを掛けた食器じゃない、本物の食器で料理を食べれたこと。時間を気にせずお風呂に入れたこと。そして布団で寝られたこと。その3つがありがたかったって言うんだよね。被災地の人たちがどんな風に大変だったのか、もっと知ってほしい。あの大震災の後でも、ふつうにご飯が食べられて、風呂に入れて、布団で寝られることくらい、当たり前だと思ってる人が多いでしょ。違うんだよ」
避難所で不自由な思いをしていても、被災した人たちは不平を言わない。不便な生活にじっと耐えている人がほとんどだ。たしかにそれは「日本人の美徳」なのかもしれない。
「でもね、被災地を遠く離れて、温泉に入ったりしていると、ぽろりと本音がこぼれ出るだよ。そんな本音を、大切に受け止めなければ」
大道芸のワールドカップが開催される土地柄だからか、静岡県にはレベルの高いパフォーマーが多い。夕食後のお楽しみ会には、バルーンアートの日本チャンピオンなど、子どもを楽しませるプロたちがボランティアとしてたくさん参加した。温泉ホテルの大宴会場は、たちまち子どもたちの歓声でいっぱいになった。さらにヒートアップして、部屋でケンカを始める子までいた。
「その子の親がね、子どもたちがケンカしているのが嬉しかったって言うんだ。避難所ではみんなケンカもしなかったんだって。子供たちのストレスは相当なものなんだよ」
「伊豆で思いっきり楽しんでもらっても、彼らは被災地に帰らなければならない。そう思うと辛いけど、ここに来ている間は徹底的に甘えさせたい。遠い伊豆の空の下に、お前たちのことを気にしている大人が、こんなにたくさんいるんだぞ、ってことを小さな胸にしっかり刻んでほしいんだ」
中止も考えた。「応募者3組」のツアーがやがてバス2台に
第1回目のツアー開催の1週間前、4月8日まで時計を戻そう。この日は伊豆へのショートツアー説明会の当日だった。募集は以前から行っていたのだが、応募はわずか3組。あまりの少なさに、コラボ先の団体は「中止」を申し出た。被災地からのツアー開催はまだ時期尚早と判断したのだろう。
「3組いるんだから、とにかく説明会を開こう。中止を決めるのはその後でいい」。白井さんは応募した3家族のお母さんたちを避難所の中から探し出し、車に同乗して説明会場へ向かった。
「この時はね、一緒に行ったスタッフと2人で『絶対にお母さんたちを笑わせるんだ、面白い人たちだと思わせるんだ』って気合を入れたね。車に乗ってる間、一瞬の間も与えないでずっと笑わせ続けて、最後にはケータイの番号交換もして。よし、これで仲間だってね」
説明会への送迎なのに、まるでグランプリに出場するお笑い芸人みたいな真剣さで、笑いを取ろうと攻めて行ったのはなぜか?
「だって、子どもたちを預るんだから当たり前でしょ。この人たちと一緒なら楽しそうって思わなかったら、誰だって子供を託せないじゃん」
どんなに魅力的なイベントでも告知しただけでは動員は難しい。顔と顔の繋がりがあって、人が人を巻き込んではじめて動き出す。白井さんは、車中の話の中で「お母さんたちがたくさん人を集めてくれないと、ツアーが中止になっちゃうかもしれないんだからね」と、冗談まじりにプッシュするのも忘れなかった。
一時は中止も検討された受け入れツアーが、結果的にはバス2台の人数で開催されたのはすでに書いた通り。3人のお母さんたちが中心となって、避難所で声を掛けてくれたのだ。その他にも、震災直後に手書きの壁新聞を発行したことで有名な石巻日日新聞の紙面で紹介してもらえたのも大きかった(こちらもスタッフの人と人の繋がりから実現した記事掲載だった)。
被災地での支援活動は、見ず知らずの初対面からスタートする。だからこそ出会った人、1人ひとりとの信頼を築いていくことが大切なのだと、白井さんの話は教えてくれる。
「東海」のときには、助けてくれよ
「そう言うだけで、被災者の人たちの申し訳ない気持ちが吹っ飛ぶ感じがするんだ。よし、その時は助けてやるからな、なんて言ってくれる。対等な関係になれるんだ。ちょっとしたことなんだろうけど、人間って気持ちが大事だからね」
白井さんは言う。被災した全員を個人としてサポートするのは不可能だ。でも、自分が知り合った人の状況を少しでも良くするためなら、きっと何かできることがある。自分にできることはそういうことなんだ。全部の人を平等に支援するのは、行政がやればいい。
「自分自身、小さい時に父親を亡くして、ほとんど母子家庭だったけど、まわりの大人たちに良くしてもらった。だから、分かるんだ。大人たちと関わりながら成長することが子供にとって大切。同じことを今の子供たちにもしてやりたい。被災地の子供たちと関わっていきたい。そして関わったからは、ずっと気に掛けていきたいんだ」
被災地以外の場所で生活する人たちが、被災した1人と友達になれば、被災地に暮らす人たちは、日本中に何十人も友人ができることになる。避難所の多くが閉鎖され、ニュースが取り上げられることは少しずつ減ってきたけれど、自分たちには、できることがまだたくさんある。がんばろう日本!
白井忠志(しらい・ただし)53歳
NPO法人 伊豆どろんこの会理事長。静岡県伊豆の国市、伊豆長岡温泉でプチホテルとイタリアンレストランの経営者でもある。スキンヘッドに巻きタオル、サングラスがトレードマーク。初対面の人と話す時には「見た目通り良い人なんだよ」と理解してもらうことを心がけているとか。
編集後記
白井さんが取り組んでいるような被災地からの受け入れツアーは、各地で行われています。被災地からまとまった人数で短期的に移転している人たちを応援するイベントも少しずつ増えているようです。ご近所でそんな活動があるのを知ったら、ぜひサポートに参加されてはいかがでしょう。一緒に遊んだり、話したり、ご飯を食べたり、お風呂に入ったりするだけで、東北の人たちと友人になれるチャンスですよ。
取材・構成:井上良太(ジェーピーツーワン)/写真提供:白井忠志氏(NPO法人伊豆どろんこの会)
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