日和幼稚園の送迎バスの事件。東日本大震災で尊い命が奪われた事件です。
今回、ご縁がつながり、亡くなった園児のお母様とその支援者様にお会いできることになりました。
わたしたちは、それぞれの思いを胸に宮城県石巻市に向かいます。
リーダー 2児の父親
「~つながり~ 人と人とのつながりを大切にする暮らしの素晴らしさ、豊かさを伝え、かつてのような地域のつながりを重視する社会の実現を目指します。」
私 大学生と中学生、小学生の母親
「~命、生命~ の大切さ、尊さを共に感じ、学ぶことのできる場所と機会を作ります。」
うっちー 2人の小学生を持つ母親
「~人生~ 世界中に笑顔があふれ、人生はすばらしいものだとみなが心から思える。ゴールはことばにすればとてもシンプルです。」
東日本大震災で亡くなった佐藤愛梨ちゃん、愛梨ちゃんは被災し亡くなったその場所で白い花を咲かせ「あいりちゃん」というお花が誕生しました。そのお花は生きる震災遺構として全国に伝え広がります。
今回「復興の森づくり植樹祭2017」に参加し、2020年に全国から集ったその愛梨ちゃんのお花がお花畑になり咲き誇るよう、石巻南浜津波復興記念公園に植樹しお花畑を作るお手伝いをします。
1日目 スタート!
始発の新幹線で三島駅を出発、新横浜駅で我らのリーダーと合流しました。
石巻駅に着いたのは10時過ぎ、レンタカーを借りて、まずは今年6月にオープンした「いしのまき元気いちば」へGO!
会社の仲間にお土産として頼まれていた「石巻カレー全集」と「燻製かきのオイル漬け」「ほや・ほたて・たこのアヒージョ」と「ホヤ食品」を探します。
1Fには石巻中心に宮城県の名産や特産品がズラリ。2Fはレストラン。牡蠣の塩焼きそばを横目に1Fへ。早速、石巻カレー全集をゲット!
続いて、ほやのアヒージョ、ほたてのアヒージョ、たこのアヒージョもゲット!燻製かきのオリーブ漬もゲット~~~!これでお土産リクエストはクリアしました。
うれしいことに、私の大好きなNOZOMI PROJECTのアクセサリーコーナーもありました。自分へのお土産でキーホルダーとマグネットをゲットです。
アイリンブループロジェクトのみなさまとランチ
あいりちゃんのお花のプロジェクトを主催する代表の菅原淳一様、ボランティアで語り部を努める亡くなった愛梨ちゃんの母親、佐藤美香様と初めてお会いすることができました。
待ち合わせは鳥料理店「友福丸」、こちらの飲食店も津波で店舗が流されてしまい、キッチンカーやトレーラーハウスで営業を続け、現在の店舗で営業を続けています。
鳥料理店なのになぜか海の幸の定食や丼が豊富で何種類もありおいしそう!
リーダーはウニ丼、うっちーは七福丼(運気が上がりそう?)、私は金華サバの塩焼き定食をいただきました~!おいしい~!
石巻の料理を食べながら、亡くなった愛梨ちゃんのお母様である美香さんから、震災当日の揺れのすごさ、言葉に言い表すことのできない揺れだったこと、そしてその日の様子を愛梨ちゃんの妹、珠莉(じゅり)ちゃん当時3才が現在もよく記憶をしていることをお話してくれました。
そして、珠莉ちゃんは昨年の熊本地震の際に、毎日のように熊本を心配していたエピソードをお話してくださいました。
珠莉ちゃんは、東日本大震災で熊本市民のみなさんに助けられたはずだから、今度は自分が熊本を助けたいと言ったそうです。
そして、学校の投書箱に募金活動をしたいと申し出ましたが、学校からOKがもらえませんでした。
そこで、自分で募金活動をすると言い出し、自ら女川駅で募金活動をし、集めたお金を熊本県庁に持って行き、副知事に直接手渡したそうです。自分の気持を綴ったお手紙も書き、県庁で副知事さんに読み上げた珠莉ちゃん。小学校3年生とは思えない行動力を示してくれました。
また、お母さんの美香さんは熊本出身。帰省の度に子どもたちを熊本城に連れて行ったそうで、珠莉ちゃんは被災前の熊本城をよく知っていたそうです。
募金を届けに訪れた昨年12月、被災後の熊本城を見た珠莉ちゃんは、その被災状況を目の当たりにし、言葉をなくしてしまったようです。だまって熊本城を見ていたとのことでした。
優しくて、行動力のある珠莉ちゃん。お姉ちゃんの愛梨ちゃんも天国で妹の活動を見守ってくれているはずです。
語り部 佐藤美香様
ランチ終了後、13時過ぎより、美香さんの語り部は娘愛梨ちゃんが被災された場所からスタートしました。あと数メートルで津波から逃れることができた場所でした。
今年の3月、仙台のバス会社の語り部さんが語ってくれた情報によると、愛梨ちゃんが乗っていた幼稚園バスが被災したのは、がんばろう石巻の看板の移転先、現在のがんばろう石巻の看板がある場所が愛梨ちゃんたちが園児が亡くなった場所だと聴きました。
母親の美香さんが話してくれた実際に愛梨ちゃんが被災した場所は、がんばろう石巻の看板より徒歩で1キロほど離れた日和幼稚園から徒歩数分の場所です。
語り部さんのお話される内容にも事実と違うことがあるということに驚きました。そのような事実とは異なる情報が流れていることに美香さんも驚いていました。
愛梨ちゃんたち園児5名が亡くなった場所から日和幼稚園は300メートルもありません。なぜ、幼稚園バスが被災してから、運転手だけが助かりその運転手を休ませている間、ひとりも先生方はバスの様子を見にきてくれなかったのでしょう。なぜひとりも5人の園児を探すこともせず、炊き出しを初めてしまうのでしょう。
愛梨ちゃんたちはバスが被災したあと、夜中の0時ごろまでは「助けて、助けて」と声をあげていたそうです。
遺体の損傷状況から見ても愛梨ちゃんは最後まで生きていただろうと母親の美香さんは語ります。
愛梨ちゃんの父親が幼稚園に迎えに行った夕方17時台に幼稚園側はあいりちゃんは被災したかもしれないとしか伝えず被災場所は伝えていません。
被災場所おしえてくれたら助けることができたかもしれない、ご主人が働く会社にはたくさんの男性社員がいたので、土下座して救出をお願いして助けることもできたと、その後悔を一生背負ってご主人も生きていくことになります。
1便から3便までバスの運行スケジュールは日常的に、幼稚園の利便性だけで、変更されていたそうです。保護者にお知らせもなく一方的にです。
内陸部に向かう3便のバスに乗るはずの愛梨ちゃんたちが、沿岸部に向かう2便のバスに乗ることは震災当日の朝に決まっていたそうです。
ずさんなバスの運行管理そのものが、園児5名と添乗員の命を奪いました。
防災無線で「大津波警報、沿岸部に近づかないようにしてください。」というアナウンスが鳴り響くなか、幼稚園はバスを出します。園長は防災無線は聞こえなかったと言っており、停電で信号も機能していない沿岸部に向かい2便のバスを出します。
3便に乗るはずの愛梨ちゃんたちも2便に乗せて。
沿岸部に向かうバスに乗って亡くなったのは、すべて3便にのるはずの園児たちでした。沿岸部に住む子どもたちは途中、子どもを探す保護者に見つけられ、また待機していた門脇小学校で引き渡しができています。
亡くなったのは、2便に乗るはずではなかった、3便の子どもたち5名全員亡くなりました。3人は抱き合うようにバスの前部、あとの2人はバス後部でそれぞれ見つかったそうです。
丸焦げで下半身もなく、腕も片方失い、脳みそも内蔵も出ていた亡くなった我が子の焼死体でした。それでも親、特に母親は我が子が分かります。誰一人間違いなく自分の子どもを連れて帰ることができました。
助かる最後のチャンスだった待機していた門脇小学校。門脇小学校から、幼稚園も徒歩で5分、園児でも十分歩ける距離です。門脇小学校でバスを戻すように運転手に伝えた幼稚園の先生2名は、園児を避難させずに、自分たちだけ徒歩で幼稚園に戻っています。バスが早くて安全だと思ったと証言しているそうですが、それならなぜ自分たちもバスに乗らなかったのかと美香さんは語ります。
宮城県でも大川小学校や七十七銀行など数件、震災裁判が行われたが、被災していない施設は日和幼稚園だけ、つまり、
「避難行動が必要な施設ではなかった」
バスのずさんな運行管理からはじまり、子どもの安全を1番に考えた行動が取れなかった、幼稚園。
これは、災害ではなく「人災」だと美香さんは伝えます。実際のバスのルートを歩いて感じるのは、報道でもニュースでも新聞でもネットでも感じることのできない、鳥肌が経つほどの怒りと悲しみでした。
怒りと悲しみと悔しさ、後悔、さみしさ、我が子への愛。色々な感情を背負って美香さんはこの辛いはずの語り部のボランティアを続けています。
新しくできた、避難道の階段にスロープがないこと、健常者ではない方が上に上がることのできない避難道が作られ、その前に立ち、優しさが足りない、もう少し優しさが欲しいと語る美香さんから、たくさんの「優しさ」を感じます。
ホテルルートイン石巻中央
珠莉ちゃんのお迎えの時間までみっちり語り部をしてくれた美香さん。ランチも含め、4時間も私たちとお付き合いをしてくださり、帰られました。
その後、予約したホテルにチェックイン、こちらのホテルは大浴場がついているのがグットです。今晩と早朝のジョギングのあとに入浴予定。
ホテルルートイン石巻中央
大浴場がサイコーです!飲食店やコンビニなども最寄りにあります。
イベントの印刷物を依頼する印刷会社へご挨拶
来年のイベントでフライヤーやポスターの印刷をお願いする「株式会社松弘堂様」へご挨拶をします。こちらの会社も東日本大震災で会社は全壊となり移転し営業をしています。
イベントのメンバから「印刷物も被災地でお願いするのはどうか」とアイデアが出たため(ナイス!!!です)、こちらの会社とのご縁となりました。
今回ごあいさつでしたが、今後お付き合いを進めていく上で、震災当時のお話などインタビューできればと思います。
アイリンブループロジェクト様との交流タイム
アイリンブループロジェクトの代表菅原淳一様と会食できる貴重なお時間となりました。
菅原様と同じホテルに宿泊だったため、ご一緒にタクシーに乗り込みます。
菅原様はタクシーのドライバーにすかさず震災当時の話をインタビューします。私たちに被災者の生の声を聞かせるためのようです。
「運転手さん、震災のときはどう?大丈夫だった?」
「その日は非番だった。自分の家は高台にあったから難を逃れた、ただ会社は流され、タクシーも20台は流された。経営者は再建を迷っていたため、仕事がなかった。震災3ヶ月後、コンビニで働きはじめたところ、戻ってほしいとの連絡があった」
「大変だったねぇ、それで震災が起きた時はどうすればいいとおもう?」
「一旦避難したのに戻って亡くなった方も多い、戻らないこと、そして高台に逃げること、当たり前だがそれが1番大事。」
そして、店内に入り、雑談などをしながら、菅原様は徐々に被災者のみなさまとの関わり方を教えてくれました。
・優しさ
・ただ寄り添うこと
・一生懸命であること
日和幼稚園も遺族も和解できないのは、一生懸命でなかったからだ、一生懸命やっていれば誰も責めることはなかっただろう。
こうやってここにいるあなた方も、優しいからここにいるのではないですか。一生懸命なのではないですか。と菅原さん。感極まり涙がこぼれました。
東北支援活動について、時には、自己満足だとか、エゴだと言われます。
一生懸命やっていても、第三者に理解されないこともある中、菅原様はそんなわたしたちの活動を認めてくださった。このことに感謝し、これからの活動のエネルギーにして、歩みを進めようと決意した夜でした。
帰りのタクシーでもドライバーさんに声をかけ、インタビューする菅原さん。
「運転手さん、震災のときはどう?大丈夫だった?」
帰りも優しい声で菅原さんはドライバーに話しかけます。
2日目 早朝ジョグから大浴場でひとっ風呂
昨日、時間の都合で視察に行けなかった橋通りCOMMONに向かって5時40分ジョグスタート、途中石巻商工会議所の赤レンジャーと写真を撮ったり、お寺に立ち寄って、「鰻塚」?を発見したりしながらのジョグ。
目的の橋通りCOMMONに着いた頃は小雨でした。来た道と別のルートの方が走っていて楽しいので、3キロかけてホテルに戻るジョグ。トータル6Km。
疲れたけど楽しかった、車の中からは発見できない発見や体験ができるのが、ジョギングです。
橋通りCOMMON
★「復興」から「共有」へ ~新しいまちなか文化の発信地が誕生しました~
復興の森植樹祭2017
500名以上集まった復興の森づくり植樹祭。この杜づくりにゴールはないそうです。「追悼と鎮魂」の杜と位置づけ、数十年から数百年に渡って杜を育ていきます。
その第一回目の植樹に参加できたことに感謝し、被災者のみなさま一人ひとりを思い植樹します。
<植樹のポイント>
・穴を鉢と同じ深さに掘る
・掘った土は周りに盛っておく
・苗木は十分ほぐし、まっすぐに立てる
・土を少しずつ戻しながら、水を加え苗木と土をなじませる
・残りの土と水を加えながらなじませる
・乾燥や流出防止のためチップで苗木の周りを敷きつめる
あいりちゃんのお花畑づくり
移動した先は、がんばろう石巻の看板のすぐ後ろ、こちらが2020年お花畑となり、様々なお花が咲き誇ります。あいりちゃんのお花畑の周りには、ど根性ひまわりも肩を並べるとのこと。
お花畑の中でお茶を飲めるようなカフェスペースを計画していると実行委員長が話していました。
がんばろう!石巻 看板
2日目の昼食はいしのまき元気いちば!
植樹も無事終わり、2日間お世話になった菅原様と美香さんとお別れ。美香さん報道陣が殺到してインタビューが絶えない中、私たちが帰る姿をインタビューの最中横目でみつけたのか、走ってこられ、お別れをしてくれました。
わたしたちの姿が見えなくなるまで最後まで何度も会釈をしてくれました。
優しさが強さなんだと知ったように思います。語り部を続ける強さ、辛いことと向き合って生きる強さは、未来に起きるかもしれない災害人災から尊い命守るための優しさと強さだと私は思います。
13時過ぎ、植樹が無事終わり、腹ごしらえ。余った時間は先輩がデザインしたおちゃっこクラブの看板を見に行こうとリーダーの提案。
前日によだれをたらしながら(汚くてスミマセン)横目に我慢した、牡蠣の塩焼きそばを食します。
ペスカトーレもシェアしつつ、リーダーにカレーまでいただきお腹いっぱい。
先輩デザイナーが描いたスペインタイル
余った時間を利用して、尊敬する先輩がデザインした飲食店の看板を見に行きます。さすが先輩。デザイナー根性を見せたスペインタイル。ステキです。
何度か、ここに来たけれど、いつもホッとするスポット。おちゃっこクラブ。
うっちーはダイエッターを忘れて、ほやソフトクリームを食べご満足。私とリーダーはアイスコーヒーをいただきました。
この場所も津波の被害に遭った場所です。菅原さんに教えていただいた、「標高ワカール」というアプリではここは16メートル。まさか、ここまで津波がくるなんてという津波の恐怖を感じる場所です。
慰霊碑の前に立ち、3人でお線香をあげ、それぞれ祈ります。
それぞれの思い、「つながり、命、人生」を未来へつなぎたい。
そして、あいりちゃん、またお水をあげにお花畑に行くから。待っててね。
最終更新: