2016年から2017年へ。「正月早々のいい話」

iRyota25

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正月早々いい話を聞いた。お正月だからといって、松竹梅とか一富士二鷹三茄子みたいな縁起ものの話ではない。その話とは、町会費の積み立てでリヤカーを買ったという話。どうしてリヤカーがいい話なのか、少しの間おしゃべりにおつきあいいただけたら幸いだ。

高齢化ニッポンのどこにでもある町で

この話の舞台は静岡県のとある町。新幹線も停まる駅からがんばれば歩けるくらいの距離にある町内会。町の近くには東海道(JR東海道線や新幹線ではなく、百数十年前まで大名行列が歩いていた東海道だ)が通っている。作家の太宰治の行きつけだったという酒屋もある。つまりは歴史のある町なのだ。

町に歴史があるくらいだから、そ町並みを構成しているのは築数十年の民家が多い。生活しているのも歴史ある人たち、つまりご高齢の方々が大半だ。

「戸主としてはわたしが最年少なんだから」

いい話を聞かせてくれた女性はそう言った。町内には壮年の男性や若い世代の人たちもいるが、70代、80代だけの世帯も多い。町としては古くからの歴史がある場所ではあるものの、ある意味、高齢化ニッポンにおける一般的な地域、つまり極めて「今日的」な背景をもつ町なのだと。

長年勤め上げた仕事を退職した彼女が、その町の組長を任された。どこの町内会、組会でもそうだが積立金というものがある。数年に一度の特別な行事のための積み立てとか、運営費の余った分の積み立てとか。本来の目的に要する金額以上に積上っている場合も少なくない。組長になった彼女は、積立金を意義ある何かにしておきたいと考えた。

わたし自身も町内会の運営に関わった経験があるが、積立金の余剰分をどうするかは難しい問題だ。必要以上に積み上げることは本来の目的から逸脱しているのは明らかだ。極端な言い方をすれば死に金だから。といって他の用途に変更しようにも、いったいどんな用途に変換するのか、取りまとめには大変な労力を要する。ある程度自由に使えるお金というものが示されたら、ミーティングに参加した人の数と同じかそれ以上のアイデアが飛び出すことだろう。簡単に合意形成できるものではない。結局は「これまで通りに積み立てるということで、積立金の用途変換に関しては次の執行部に任せましょう」という話になって、積立金はさらに積み上っていくことになる。

なぜリヤカーだったのか

積立金の余剰分でリヤカーを購入したいと彼女は考えた。それはなぜか。彼女は東日本大震災の被災地を繰り返し訪問し、支援活動を続けてきた。その活動は、当初のガレキ撤去や泥出しといったものからは変化しながらも、震災6年を迎える現在までずっと継続している。

もはや活動というより、彼女、そして彼女の仲間たちの間では生き方と言ってもいい。東北にたくさんの知り合いができた。支援する人される人という図式ではない、人と人としてのつながりがある。ファーストネームで呼び合える人たち。その町を歩いているだけで知らない人からも声をかけられるようなつながり。分かりやすく言うなら、地域を越えた仲間、遠い親戚みたいな存在として見えもらえることのありがたさを感じながら、彼女たちは東北を訪問し続けている。

そんなつながりの中で、繰り返し語り伝えられてきたこと。震災直後のボランティア活動の頃から、今日に至るまでずっと、震災を経験した東北の人たちが「あの時はな」と伝えてくれたこと。

津波の第一波が引いた後、ずぶぬれになりながら高台へ逃げる人たちとは逆の方向、つまり海の近くの住宅地に向う姿が目撃されたのが最後となった人のこと。津波にもまれながら、海辺の独居者の家に救助に走り、夜中まで孤立状態で過ごした人のこと。鉄筋コンクリートの建物のベランダから、津波で流されてくる人たちの手を何人かまでは掴まえることができたが、全員を助け上げることはできなかったと話してくれた人のこと。

津波てんでんこ。地震が来たら、とにかく各人が高台へ逃げろ。逃げるのに一刻の猶予もない。親も子もない。という教えはあるものの——。

今ではほとんど見かけることはなくなったが、震災から数年の間はどの町にも被災車両が集められた場所があった。津波に呑み込まれた車両が置かれた場所の多くで、赤く塗られた消防自動車は、外からは目に付きにくい奥の方に置かれていたことを思い出す。誰かを助けようとして、逃遅れた人はいないかと最後まで探し続けて犠牲になられた人たち。原型を失うほど壊された消防車は、人のために生きた人たちの墓標であった。

「リヤカーを購入したんだ」という彼女の言葉に、わたしはそんないろいろなことを思い出した。

何でリヤカーなんだ、とい人もいたのだという。けれども、「もしもあんたのお母さんがケガでもして逃げ遅れそうな時、あんたはお母さんを置いて行けるの?」と言っただけで、リヤカーの意味を理解してくれたという。

大地震が発生して津波が迫っている時。火の手が目の前に迫る中、倒壊した建物からようやく引っ張り出した家族が自分では歩けないくらいの大ケガを負ってしまっていたら。

1人の人間が1人の人間を背負うのは、実は大変に難しいことだ。防災訓練で教わった簡易タンカを作って運ぶにしても、1人を搬送するために少なくとも2人以上を要する。その場にそんな人数がいるとは限らない。まして、歴史ある町並み、歴史ある人たちが暮らす地域。70代、80代はあたりまえ。60代が若手とされるような町で、物干し竿2本にジャケットを2枚通してタンカを作ってなんて悠長なことをやっていられるのか、どうか。そんな余裕があればいい。しかし、もしも自分1人の命にも関わるくらいに状況が差し迫ってしまったら、どうか。

リヤカーなら、お尻さえ乗せてしまえば何とかなる。1台で2、3人は搬べるだろう。

リヤカーを購入することにしたという彼女の言葉に深い感銘を受けたのはそういうわけだ。

災害は人の都合を待ってはくれない

もうひとつ、どうしてもお伝えしたいのは、リヤカー購入に当たっての決定の仕方だ。定例会のような場での議決を経てからというのが本来の形かもしれない。しかし、彼女は防災担当の役員と話し合った上で購入を決定し、回覧板で通知するという形をとったのだという。その判断にも唸らされた。

文字だけで書いているこの記事のような「言葉」で記していくと、彼女の判断は独断の誹りを受けかねないかもしれない。しかし、考えてみてほしい。

積み立て過ぎた余剰分がある。このままではただ積み上って行くばかりで、組全体から集められたお金を有効に活用することができない。静岡県は30年以上前から想定東海地震のエリアとして、とくに地震防災に力を入れてきた。防災は喫緊の重要テーマである。ところが、再三述べてきたきたように、意識にはばらつきもある。町内会としての意思決定にも難しい面がある。

リヤカー購入を「今年最初に聞いたとてもいい話」と感銘を受けたのは、リヤカーという物の選択の確かさのみならず、この決定のやり方によるところが大なのだ。

彼女がリヤカーを購入を決定したことで、「なんでリヤカーなんだろう」という問いが町内の人たちの間に広まったことだろう。そして次の瞬間、疑問に感じた人たちの脳裏に、災害時の状況がこれまでより以上リアルに思い描かれたのは間違いない。

迫る津波、あるいは降りしきる火の粉。倒壊し炎上する建物、呼んでも来ない消防車両、そこかしこから聞こえてくる助けを求める声。

いのちてんでんこ。とは言うものの、高齢だったり負傷して逃げられない人を捨て置けるのか。

民主的な問題解決の筋道でいくなら、まず全員にテーマを周知し、十分な議論を積み重ねていく過程で、災害時のリアルな状況や危険に対する理解を深め、その上でリヤカーなりその他の防災グッズの購入を決定するということになるだろう。

たしかにその通りなのだが、災害は人間の都合を待ってなどくれない。

余剰金の扱いについて、たくさんの意見をまとめることができず、「また来年の定例会で」と先延ばしを繰り返している間に、いずれ必ず次の災害はやってくる。

2016年から2017年、そしてさらに年をつないで

岩手県で仮設住宅に泊めてもらった時、早朝に救急車がやってきたことがあった。赤いパトランプが停ったのは斜め向かいの仮設住宅。80代の寝たきり男性が体調を崩し、年老いた奥さんが119番通報したのだった。しかし、救急車に備え付けのストレッチャー(脚の部分が伸縮するタンカ兼搬送ベッド)は狭い仮設住宅の玄関には入らない。大柄の男性を搬出するのに、取っ手のついたシート状のものに男性を乗せ、それを前後各2人で支えて玄関の外まで出して、そこでストレチャーに移し替えてと大変な苦労をしていたのを思い出す。(その後、男性は数日間の入院の後帰宅されたそうだ)

日頃、ハードだけでは新しい町はつくれないという論に立つわたしだが、この時ばかりは、仮設住宅で暮らす高齢者に合ったハードウェアの必要性を痛感したものだ。

しかし、そういう話ではないのだということを、静岡の女性から教えられた思いがする。ハードとかソフトといった区分はどうでもいい。その両方を含めて、ひとを真ん中にする考え方や行動が大切なのだと。

この場合のソフトウェアには、住民同士の交流とか創意工夫ばかりではなく、制度といったものまで含まれてくるのは明白だ。

21世紀になって17回目のお正月。被災地でも、これから被災するかもしれない全国のあらゆる場所でも、人口減少が直近の問題として迫っている地域でも、人口集中による様々な問題に直面する大都市でも、新たな対応が求められているのは間違いない。

2017年のお正月に聞いたいい話の「いい」とはそういうこと。

20世紀的なもの、とひとくくりする気はないが、20世紀的なあり方にとらわれない目線で、いまと明日を見つめたい。

[※ 写真のこと] ちなみに冒頭の写真は12月初めに陸前高田市の農村部で見た虹。静岡でいい話を聞きながら、1カ月前の虹のことを思い出していた。空に弓をなして架かる虹の根っこが、少し分かりづらいが先の農道の橋のたもとにまで続いていた。「虹の彼方」なんて言うくらいだから、虹は地平線の向こうに架かるものというイメージがある。しかし、科学的な知識で考えてみれば、地平線の手前、山よりこちらがわに虹の根っこが見えるのが当然というものだ。当然ではあるが、見えてしまえばそこまで行ってみたくなったりもする。当たり前と思っているイメージが実は違っていたり、違っていたと気づいても、やはりそこに引きつけられるものを感じたり。ものを見る目というのは不思議なものだし、自分の見方についても考え直したりする必要があるのだなあと思った次第。この虹の根っこを見た時には、そこに何か大切な物がありそうな気がしたが、それが何かということまでは思いが至らなかった。とらわれることのない柔軟な考え方と、そしてつぶさに観察して行動することが大切なのだと、この虹の根っこは教えてくれていたのだということに、年が明けてから気がついた。

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