これが津波?

iRyota25

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もしかしたらこれも津波の余波なのだろうか。11月22日の津波警報が解除された後、予定を変更して気仙沼に向かう途中、沿岸の町で海が盛り上がるような景色を何度も目にした。

宮城県沿岸部に津波警報が発令されたのは、地震発生からほぼ2時間が経過した午前8時過ぎのこと。仙台湾で1.2メートルの津波を観測したのを受けて、それまで注意報(1メートル未満の津波)から警報(1〜3メートルの津波)に切り替えられたのだった。

その後の状況は別の記事に記したとおり。

津波警報発令。その時わたしはどう行動したか
 津波警報発令。その時わたしはどう行動したか
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11月22日のお昼頃、地震発生からほぼ6時間で津波警報は解除された。その際にも「沿岸部では通常とは異なる潮位変動が続く恐れがあるので注意を」と告げられていた。

三陸道の高台のパーキングエリアに避難した後、津波警報の解除を待って、石巻市内へ、さらに気仙沼市へ向かった。その途中、津波にやられる心配のない高台を走る三陸道から、海辺の国道に戻った際に、海が異様に盛り上がっているのを感じた。

警報が解除された後も海はいつもの姿とは異なって、変にトゲトゲしいうごめきを続けていた。

見た目には分かりにくいかもしれない。しかし沖から渚に向かってくる波の高まりとは別に、おそらく陸地に反射した斜めの波の盛り上がりが、渚と並行の波と干渉して、海が全体にざわついているのだ。

冒頭の写真は宮城県気仙沼市大谷海岸から少し南の漁港の小さな川。

この浜は1年ほど前に竹の会所を紹介した漁港だ。沖合の島を使って海を仕切るように防波堤が設置された漁港だから、外海からやってくる津波やうねりはほぼ完全にシャットアウトしているはず。それなのに、港湾内に注ぐ小さな川には繰り返し繰り返し、常ならぬ波、おそらく津波の余波が押し寄せていた。

青いあおい太平洋をのぞむ「竹の会所」
 青いあおい太平洋をのぞむ「竹の会所」
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いやこれが本当に、津波の余波なのかどうかは分からない。しかし、何度か訪ねたこの場所で、こんな波を目にしたことはなかった。念のため、数日後にも同じ場所を確認してみたが、防波堤によってぐるりと囲まれたこの漁港につながるごく小規模な川に、うねるような海水のかたまりが押し寄せる様子は確認できなかった。

しかし、渚に打ち寄せる波とはまったく異なるタイミングで、漁港につながる水路ともいうべき小さな川を海水が遡っていく様は、まさに11月22日の津波の際に、テレビで放映された多賀城市の川を遡る津波とそっくりだった。

津波は普通の波ではない。海の容積そのものが膨れ上がり、そのかたまりが沿岸に押し寄せてくるものだ。ふだんの海のなつかしい潮騒をともなって寄せては引いていく波とは違い、常ならぬ高さまで持ち上げられた水のかたまりが、重力のままに落ち崩れて、沿岸部を呑み込んでいくものだ。

目の前にある水位の変動は数10センチほどのものでしかない。しかしこれは地震から9時間以上が経過した、ほんの余波でしかない。9時間以上経ってもなお、見た目に津波と分かる水位変動が続いているということが驚きだ。

繰り返すが、最大の津波が観測されたのは地震発生から2時間ほど経ってから。地震発生後9時間以上が経過した後にも、震源から100km以上離れた宮城県北部で、津波の余波と思われる潮位の変動が続いていた。

東日本大震災が発生した翌日、2011年3月12日の朝になっても、東北の沿岸部では常ならぬ渦巻くような潮の流れが続いていたという。

小規模な地震や台風に比べると、災害を引き起こすほどの大規模な津波が発生する頻度は低い。しかし、めったに起きない自然現象であるだけに、人は津波というものをあまり詳しく知ってはいないのかもしれない。

ほんの50cmほどの津波であっても人は流される。日本海中部地震では、秋田県でほんの膝ほどの高さの津波で亡くなられたと記録されている。

私たちは津波というものを知らない。被災経験を持たない私たちは、その共通認識を打ち立てる必要があるのだと、率直に思った。

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